じじぃの「梅毒・化学療法を開拓した日本人たち!ケミストリー世界史」

【ゆっくり解説】秦佐八郎~梅毒治療の特効薬サルバルサンの開発~【日本の近代医学】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bCfo2Yp6Zsk

サルバルサンを創製したエールリッヒと秦佐八郎


第2回 世紀の発見 秦佐八郎 独留学で梅毒特効薬

岡山の医療健康ガイド MEDICA
明治四十(一九〇七)年、伝染病研究所第三部長秦佐八郎は三年間ドイツ留学に旅立ち、ベルリンのコッホ研究所に入った。岡山の母校・第三高等学校医学部の恩師荒木寅三郎教授が学んだ国、当時の日本の医学者あこがれの地だった。コレラ菌結核菌を発見したコッホはフランスのパスツールとともに世界の細菌学をリードしていた。

スピロヘータを病原とする急性の伝染病再帰熱の患者に治験。恐る恐る少量を注射すると数時間にして熱は下がり、患者は回復。特効薬サルバルサン誕生の歴史的瞬間だった。大ニュースとして流れ、ドクトル秦の名は世界に広まった。
https://medica.sanyonews.jp/article/1048/

『ケミストリー世界史 その時、化学が時代を変えた!』

大宮理/著 PHP文庫 2022年発行

第13章 20世紀の始まり より

ヨーロッパはローマ帝国崩壊後、宗教の違いはあれどキリスト教支配下にありましたが、資本主義により、資本や富という新たな価値が求心力を増し、哲学者フリードリヒ・ニーチェによって「神は死んだ」と喝破されました。
宗教とは別に新たな価値を求める時代になってきたのです。
資本主義の発展とともに、新しい位置を生み出す科学と技術が大きく発達していきます。1903年には、ライト兄弟によって人類の夢であった飛行機の初飛行に成功しました。船も石炭を燃やす蒸気機関から、石油を燃やす大出力のディーゼルエンジンに変わりはじめ、船の大型化が加速されていきます。電気の技術も急速に発展し、都市では電化時代を迎えました。

1910年 化学療法の発明――分子を使って病原体を攻撃する時代へ

●化学療法を開拓した秦佐八郎
いまでこそ病原菌を直接攻撃するさまざまな医薬品がありますが、そうした時代が到来したのは20世紀のはじめになってからです。
ドイツの細菌学者パウル・エールリッヒは、師であるコッホの講義の影響を受け、感染症の研究に着手していました。当時のはやりの手法として、病原体を観察するのに色素で細菌だけを染色して観察していました。顕微鏡で観察するとき、病原体の細菌は透明で(派手に着色して自己アピールしているわけではないのです)、輪郭もわかりにくく、肉眼で見つけることは困難です。いまテレビやネットで見るウイルスなどは、色を人工処理で後づけしているのです。
この特定の病原体を染める色素に、病原体を破壊するような機能があれば、選択的にその病原体だけを破壊できるので、分子レベルで病原体を殺すことができます。こういった発想を化学療法といいますが、その化学療法を開拓した人がエールリッヒと、弟子の日本人留学生、秦佐八郎です。エールリッヒは1908年に、抗体などの免疫の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

●病原体を殺す”魔法の弾丸”
エールリッヒは病原菌にだけ結合して破壊する分子を、ドイツのウェーバーのオペラ「魔弾の射手」に出てくる、願ったものだけに命中できる”魔法の弾丸”になぞらえました。
エールリッヒが若いとき、コールタールを原料に合成された、発明されたばかりのメチレンブルーという合成染料をウサギの静脈に注射したところ、血管を流れていくのがよく見えて、末梢神経だけを青く染めました。これをきっかけに、病気に侵されている部分だけを直接攻撃する分子を探しはじめたのです。
エールリッヒは、1901年にはアフリカの”眠り病”といわれる風土病の研究を行いました。このとき、エールリッヒの助手に、日本の伝染病研究所から派遣された志賀潔がいました。仙台出身の志賀は、日本の伝染病研究の第一人者である北里柴三郎の弟子で、1897年に赤痢菌を発見した、日本が誇る偉大な科学者です。
エールリッヒと志賀は眠り病の原因の原虫、トリパノソーマに効果のある医薬品を探し、1904年、トリパンロートといわれる赤い色素がトリパノソーマの一種、馬の感染症の原因になる原虫を攻撃できることを発見しました。これで手応えをつかんだエールリッヒが次に選んだのは、長年、人類を苦しめてきた梅毒の病原体でした。

●梅毒はコロンブスがヨーロッパに持ち帰った
梅毒はもともとアメリカ新大陸の風土病で、コロンブスの一行がヨーロッパへもちこんだといわれています。交易が広がるところに新しい疫病がありなのです。病原体はスピロヘータといわれる、ワインのコルク抜きのグルグルねじった部分のような形をした単細胞生物の1種(トレポネーマ)です。
16世紀の医学、薬学者のパラケルススや、医師で占星術師だったノストラダムスをはじめ、多くの医師たちが梅毒の治療に水銀やヒ素などをふくんだ化合物を用いました。
作曲家モーツァルトが、35歳という若さで病魔に苦しみながら「レクイエム」を作曲中に亡くなったのも、梅毒の治療に使った塩化水銀の中毒ではないかと考えられています。

●ついに梅毒の治療薬を発明
エールリッヒは新しい化合物こそが、”魔法の弾丸”になると追い求め、新しい分子の構造式を思いつけば、手当たりしだいにまわりにあるものに書きなぐり、シャツにまで書いてしまうくらいにとり憑かれていました。
梅毒の特効薬を見つけるため、秦佐八郎と、ドイツの化学者ベルトハイムという2人の優秀な助手とともに研究を続けました。ベルトハイムが新しい分子を合成して、秦が動物実験で効果を確認するという流れです。
梅毒のに侵されているウサギに第6製造シリーズの6番目の化合物、通称606号を秦が注射するち、翌日には効果が表れて、梅毒による潰瘍は乾いた状態となり、膿も消えました。病原体のスピロヘータは、顕微鏡で探しても見当たりません。
1910年のある日、ついに大発見の日がきました。この606号こそが、スピロヘータを殺してくれる”魔法の弾丸”だったのです。次に行われた人体実験のステージでも、ガリガリにやせて病原体の巣窟となった梅毒の患者を治すことができました。
606号は、梅毒を治す人類初の医薬品となったのです。
606号は、ラテン語の「サルワーレ」(「救う」という意味)とドイツ語の「アルゼーン」(「ヒ素」という意味)から、「サルバルサン」と名づけられ、ドイツの化学・製薬メーカー、ヘキスト社が発売し、世界中で使われました。
ただ、「サルバルサン」は梅毒を治す奇跡をもたらしたものの、副作用も多いことがわかりました。梅毒の特効薬として、さまざまな感染症に効く魔法の弾丸を超えた”究極兵器”は、「サルバルサン」の30年後に現れます。

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どうでもいい、じじぃの日記。
「秦佐八郎」という人、知っていましたか?
梅毒スピロヘータに効く薬を発見した方らしい。
その後、抗生物質ペニシリンが登場し新たな特効薬となるまで、世界の多くの人々を救った。
このような人たちが日本の近代医学の礎を築いたのす。