じじぃの「人の死にざま_1735_長野・泰一(ウイルス学者)」

ウサギ (rikasuki.jp HPより)

インターフェロンの発見者は語る −インターフェロン発見への道−』 理科好き子供の広場
ガンやウイルス感染症の治療薬として使われているインターフェロンは、1954年に長野泰一博士と小島保彦博士によって発見され、インターロイキン(またはサイトカイン) などと呼ばれる情報伝達分子の研究の先駆けとなった。
この分野も免疫学と同様に日本人研究者の独壇場となっている。
http://www.rikasuki.jp/rika_no77/rika_no77.htm
長野泰一 コトバンク より
長野泰一(ながの やすいち、1906 − 1998) 昭和-平成時代のウイルス学者。
明治39年6月22日生まれ。昭和22年東大教授となり,31年同伝染病研究所長。42年北里研究所部長,61年林原生物化学研究所参与。29年ウイルスの増殖をおさえる抑制因子(インターフェロン)を発見した。56年学士院恩賜賞。平成10年2月9日死去。91歳。三重県出身。北海道帝大卒。

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現代免疫物語―花粉症や移植が教える生命の不思議 岸本忠三・中嶋彰/著 ブルーバックス 2007年発行
サイトカイン物語 (一部抜粋しています)
1998年2月、研究一筋に歩んだ一人の科学者が逝った。長野泰一・元東京大学教授。世界で初めてインターフェロンを発見した偉大な研究者だ。「がんの特効薬か」と後に社会から大きな期待を集め続けたインターフェロンは、細胞と細胞の間を行き来する情報伝達分子(サイトカイン)の中で最も著名な分子。長野はその姿を世界で最初に捕らえた日本が誇る研究者である。
それは今から半世紀以上も前の1949年のこと、東大伝染病研究所の長野たちは、ウサギを使った実験中にウイルスの働きや増殖を抑制する物質を偶然、発見した。ウサギにワクシニア・ウイルス(天然痘の予防接種に使う種痘ウイルス)を感染させるとともに弱毒化したワクチンも与えたところ、ウイルスの活動が抑制される現象が数時間後に始まったのだ。
「なぜだろう?」。生き物の体には、病原体が体に侵入すると免疫の営みによって病原体の働きを抑える抗体が作り出される。だからそのせいでウイルスの活動が抑制されたとしても不思議ではない。
しかし抗体が体の中でできる時期は早いもので病原体の侵入からおよそ3、4日後だ。抗体より、リアクションが明らかに早い。長野は「抗体のせいではない。新しい物質が働いているに違いないと確信し、1954年に論文を発表する。彼はその中でウイルスの働きを抑制した新物質を「ウイルス抑制因子(Inhibitory Factor)と命名した。
だが、この後、事態は予期せぬ方向へと展開する。1950年代後半にいたって、英国のA・アイザックスとスイスのJ・リンデマンがニワトリの卵を使った実験で長野と同じ新物質を見つけ「インターフェロン」と命名したのだ。
彼らは、2種類のウイルスが細胞に感染した時、ウイルスが互いに干渉して増殖を妨げ合う現象を観察した。「干渉」は「インターフィア(interfere)」。これがインターフェロンの語源だ。インターフェロンという言葉は一気に広まり、それとともに「インターフェロンの発見者はアイザックスとリンデマン」という見解も世界の学会に定着してしまった。
日本の学界では「インターフェロンの最初の発見者は長野だ」とする見方が定説だ。だが世界ではそうではない。
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長野は東大教授を退官後、北里大学を経て、岡山市の有力企業、林原に招かれて研究室を開設。90歳を過ぎてもインターフェロン抗がん剤の研究を続けたと伝えられる。長野が「発見」したインターフェロンは今、C型肝炎治療薬として少なからぬ人の生命を救い続けている。