じじぃの「石鹸・世界の衛生環境を変えた医師の物語!ケミストリー世界史」


SOAPS & DETERGENTS HISTORY

A major step toward large-scale soap making occurred in 1791 when a French chemist, Nicholas Leblanc, patented a process for making soda ash from common salt. Soda ash is obtained from ashes and can be combined with fat to form soap. This discovery made soap-making one of America's fastest-growing industries by 1850, along with other advancements and development of power to operate factories.
https://www.cleaninginstitute.org/understanding-products/why-clean/soaps-detergents-history

『ケミストリー世界史 その時、化学が時代を変えた!』

大宮理/著 PHP文庫 2022年発行

第12章 資本主義から帝国主義へ より

重商主義、そして産業革命による工業社会の到来は、資本主義というシステムを発展させ、新しい市民階級=ブルジョワジー(資本家)と労働者を生み出しました。ブルジョワジーとはフランス語の「ブール」(町・都市)からきた言葉で、日本語なら「町人」のようなイメージです。シェルブールストラスブール、ドイツだとハンブルクなど、もとは同じ語源です。
ブルジョワジーによる議会が、政治の中枢になります。フランス革命の到来とともに、アメリカ合衆国に次いで、地球上に新しいステージとなる近代民主主義が生まれます。

1806年 アルカリ製造の悲喜劇――裏切られた発明

●フランスではアルカリ不足が深刻な問題
フランス革命で”化学の父”ラヴォアジェがギロチンの露と消えましたが、もう1人の男が革命に翻弄されて消えました。この男の物語の始まりは、少し時代をさかのぼります。
石鹸製造やガラスの製造にはアルカリ(水に溶けてアルカリ性になるもの)が必要になります。人類が長いあいだ使っていたアルカリは。炭酸ナトリウム(Na2CO3)でした。エジプトなどでは、干し上った湖で得られる、天然ソーダといわれる炭酸ナトリウムをふくむ鉱物がありました。いまの100円均一ショップで売っているセキス炭酸ソーダという物質で、昔は貴重品だったのです。
天然ソーダ以外のアルカリとしては、植物灰(炭酸カリウム)やバリラ(スペイン南部の海岸でつくられる海岸植物の灰で炭酸ナトリウムをふくんだもの)でした。
そもそも、アルカリという名前自体が、アラビア語の「アル」(定冠詞のthe)+「カリ」(「灰」という意味)に由来します。アルは、「アッラー」(「the神」という意味)、「アルコール」などのアラビア語由来の言葉に見られ、一方のカリは「木灰」を表す「カリ」(「カリウム」に由来)なのです。
1701年から始まったスペイン継承戦争(フランス・スペインとイギリス・神聖ローマ帝国との戦争)でイギリスが海上封鎖を行い、スペインからのバリラの輸入が途絶えると、フランス国内ではアルカリ不足が深刻な問題になりました。
この苦い経験から、フランスの王立科学アカデミーは塩化ナトリウム(食塩や岩塩の成分)からアルカリ、ソーダを経済的につくる製造法を発明した者には賞金2400リーブルを与える、という懸賞で発明を募りました(1775年)。この賞金は当時としては破格の金額でした。

●記録や金もすべて失う
医師だった二コラ・ルブランは化学の知識があり、食塩から芒硝(ぼうしょう、硫酸ナトリウム)をつくれば、石灰石を組み合わせてつくれるだろうと考え、実験に没頭しました。
現代の中学生が習うような、化学式や化学反応式などない時代です。地図がないのにジャングルを探険するような、途方もない作業の連続でした。数字がないのに数学をやるようなものです。
ルブランは化学実験にのめりこむあまり、ついには医学部もクビになります。しかし、彼を慕う後輩の紹介により1780年にはオルレアン公の侍医にしてもらい、オルレアン公の援助を受けられるようになりました。
試行錯誤の末、1783年、食塩と硫酸から硫酸ナトリウムをつくり、さらに硫酸ナトリウムと木炭と石灰石から炭酸ナトリウムをつくる製造法を発明します。その後、オルレアン公の計らいで、パリの郊外に日産250キログラムの工場を建設しました。
アルカリ製造の発明者として栄光へと手が届きそうになったとき、フランス革命が勃発します。ルブランは特許が許可された1791年、ルイ16世が捕えられ、賞金2400リーブルは王立アカデミーから支払われませんでした。
ルブランを援助してくれた自由主義で革命派だったオルレアン公は、革命政府により逮捕され処刑されました。さらに、ルブランのアルカリ工場と製造法の記録や資料も接収されたのです。
フランスは、アルカリ不足でさまざまな工業が打撃を受けていたので、政府はルブランの特許を無償公開することにします。ルブランには特許料の収入すらなくなりました。1801年には、ナポレオンにより工場が返還されましたが、資金がなく再開することはできませんでした。
ルブランは困窮し、救貧院という施設に入れられていましたが、1806年1月のある寒い日、失意のながで拳銃の引き金を引き、自殺します。
その後、イギリスの実業家が、ルブラン法によるソーダ工場を建設しました。

●アルカリ工業が近代をつくる
イギリスでは繊維工業が盛んでしたから、繊維の染色でアルカリが必要でしたし、なによりもガラス工業で、大量のアルカリ(炭酸ナトリウム)の需要がありました。繊維工業の中心であるニューカッスルランカシャーなどにルブラン法のソーダ製造工場が立ち並び、イギリスの化学工業の発展をうながしたのです。
アルカリ工業により炭酸ナトリウムが大量生産できるようになると、石鹸は木材資源によらず生産ができるようになりました。アルカリ性の水溶液で油脂を分解すると石鹸がえられます。庶民でも安く石鹸を買えるようになり、これが衛生環境の向上に役立ったのです。
それまで、乳幼児の死亡率が断トツに高かったために平均寿命も短かったのですが、石鹸が安価になって庶民にまで普及するようになると、衛生面で大きな改善が得られて、平均寿命も伸びるようになりました。

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どうでもいい、じじぃの日記。

「医師だった二コラ・ルブランは化学の知識があり、食塩から芒硝(ぼうしょう、硫酸ナトリウム)をつくれば、石灰石を組み合わせてつくれるだろうと考え、実験に没頭しました」

石鹸作りに一生を捧げた医師の物語。

「それまで、乳幼児の死亡率が断トツに高かったために平均寿命も短かったのですが、石鹸が安価になって庶民にまで普及するようになると、衛生面で大きな改善が得られて、平均寿命も伸びるようになりました」

自分の功績が認められず、自殺してしまった。
ふと、石鹸で手を洗うときに、この医師の物語を思い浮かべるかもしれないなあ。