じじぃの「科学・地球_391_進化の技法・重りの仕込まれたサイコロ・退化」

Salamander Care and Feeding

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tHOuPOdTfYE

サンショウウオ、イモリのおもな種類


サンショウウオ

コトバンク より
両生綱有尾目に属する動物。一般に有尾類全体をサンショウウオとよび、このうちイモリ科またはイモリ亜目の種をイモリとよぶ。
【形態】
体は細長く、頭、胴、尾に分かれる。全長4~120センチメートル。頭部には口、外鼻孔、目があり、鼓膜はない。洞穴性の種では目が退化または消失し、幼形成熟の種では外鰓(がいさい)または鰓孔が残る。胴部は長く、体側に規則的に配列する溝(肋皺(ろくしゅう)、肋条)をもつ種が多い。四肢はほぼ同大。前肢に4本、後肢に5本の指をもつ。水中性の種では四肢が退化・消失する傾向がある。無尾目と異なり、成体にも尾がある。プレソドン科やハコネサンショウウオは肺をもたず、主として皮膚呼吸をする。

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進化の技法 転用と盗用と争いの40億年 みすず書房

ニール・シュービン(著) 黒川耕大(訳)
生物は進化しうる。ではその過程で、生物の体内で何が起きているのだろうか。この問いの答えは、ダーウィンの『種の起源』の刊行後、現在まで増え続けている。生物は実にさまざまな「進化の技法」を備えているのだ。
本書は、世界中を探検し、化石を探し、顕微鏡を覗きこみ、生物を何世代も飼育し、膨大なDNA配列に向き合い、学会や雑誌上で論争を繰り広げてきた研究者たちへの賛歌でもある。
歴代の科学者と共に進化の謎に直面し、共に迷いながら、40億年の生命史を支えてきた進化のからくりを探る書。

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『進化の技法――転用と盗用と争いの40億年』

ニール・シュービン/著、黒川耕大/訳 みすず書房 2021年発行

第7章 重りの仕込まれたサイコロ より

退化

サー・レイ・ランケスター(1847~1929)は、身長も胴回りも立派な大男だった。さらに、おしゃべりで、自説にこだわる嫌いがあって、論争好きだった。医師の父に育てられ、その父の勧めで自然を観察していた彼は、幼い頃から科学者の道を志し、1860年代にオックスフォード大学当代きっての碩学の下で勉学に励んだ。
種の起源』の出版後、トーマス・ヘンリー・ハクスリーはダーウィンを声高に擁護し、「ダーウィンの番犬」と呼ばれるようになった。そんなハクスリーのもとにランケスターが行き着いたのは、ある意味自然な流れだったのかもしれない。ランケスターは、そのあまりの喧嘩っ早さから、近年の科学史家に「ハクスリーの番犬」と呼ばれている。とにかく論争好きで、よく喧嘩腹になったものだから、あのハクスリーでさえ、時折彼をなだめないといけなかった。
ヴィクトリア朝時代には超常現象の存在を訴える輩(やから)がごまんといて、ランケスターは、その欺瞞(ぎまん)を暴くことに躍起になった。ロンドンでの交霊会でアメリ霊媒師ヘンリー・スレイドの正体を暴いたことはよく知られている。スレイドの術は、あらかじめテーブルの下に小型の黒板とチョークを置いておき、交霊会のさなかに取り出して、霊界からのメッセージを披露するというモのだった。ランケスターが、ある日の交霊会に参加し、その恰幅(かっぷく)の良さを生かして会が始まる前に黒板を取り上げると、そこにはすでにメッセージが記されていた。ランケスターは、熱心なあまり、スレイドを刑事告訴までした。
この、「怪しいものを声高に疑う」態度は、インチキを暴くだけでなく、ランケスターの研究を推し進める力にもなった。彼は、オックスフォード大学を卒業語、イタリアのナポリ臨界実験所で解剖学を勉強し、海棲の二枚貝、巻貝、エビの専門家になった。それらの生き物を調べると体のつくりに驚きが詰まっていて、終着点も見えぬままに、嬉々として証拠を探っていった。
ダーウィン以後の解剖学者は、生物種どうしの類似点を探して、それらの祖先をたどる手がかりにしようとした。「体のつくりが似ているということは、それらの種が共通の祖先を持っていることの証しである」としたダーウィンの推論を思い出してほしい。ハクスリーは、あるグループの魚のヒレに腕の骨のようなものがあることを知って、その魚と四肢動物が近縁であると指摘した。さらに、他の研究者とともに、体のつくりに見られる類似点を挙げて、糖類と哺乳類が様々の爬虫類と類縁を持つことも示した。ダーウィンの推論に基づいて、「類縁の近い種どうしは、そうでない種どうしよりも類似点が多いはず」という具体的な予測を立てることができたのである。
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もっとも分かりやすい退化の事例としては、一部の種に残る小さな痕跡を除いて四肢を失っているヘビが1つ挙げられる。もっとも、ヘビの体制(ボディプラン)は体の部位を失うことで完成したわけではなく、椎骨と肋骨が増えることで体長が伸びたりもしている。

四肢を失った理由は、1つにはズルズルと這い進むその移動様式にあった。四肢は、このたぐいの移動をするには単純に邪魔だった。

ヘビのような体は、ランケスターも知ってランケスターいたように、なにもヘビだけが持っているわけではない。トカゲの多くの種も、四肢がめっきり縮み、胴体が伸びている。ヘビともトカゲとも離縁の遠いミミズトカゲ類という爬虫類のグループも、胴体が長くて四肢がない。ミミズトカゲはヘビやトカゲと見分けがつかないほど似ているが、体のつくりはだいぶ違ってい。さらに、両生類にも参戦してもらおう。アシナイイモリ類という両生類のグループも、胴体が長くて四肢がない。ここでもまた、同じ特徴、同じ進化が、多様な動物で何度も生じている。

乱雑さこそがメッセージ

科学者は、世間の人と同じく、乱雑さを嫌う。科学者は、各値が1本の直線や曲線にきれいに乗るグラフを好む。科学者は決定的は実験結果を求めてやまない。科学者にとっての理想の観測結果は、整然として、秩序立っていて、事前の予測ととことん一致するのだ、科学者はシグナルを好み、ノイズを嫌う。
生物の系統樹にまつわる研究も、その例n漏れない。系統樹を作成する作業は、野外で生き物を同定するための検索表をつくることに似ていて、ある動物の個体どうしが共有している固有の特徴を探すことが主になる。その種ならではの特徴が多いほど、その種を他の種と見分けることが簡単になる、例えば、カモメとフクロウの違いが分からない人などいないだろう。見分けるポイントとなる特徴(フクロウのなら丸い顔、カモメならクチバシと体色など)を、両種が持っているからだ。(体のつくりやDNAなどの)特徴を共有している諸々のグループは同じくくりに入る。この法則はどこまでいっても変わらない。ヒトは他の霊長類には見られない特徴を共有していて、霊長類は他の哺乳類には見られない特徴を共有していて、哺乳類は他の脊椎動物には見られない特徴を共有している、といった具合だ。
レイ・ランケスターは、「卵か先かニワトリが先か」といったたぐいの問題を白日の下にさらした。別々に進化してきた類似性と、真の系統を反映している類似性を、どう区別したらいいのだろうか。サンショウウオの舌のような、極めて複雑な複雑な別々に進化しうるなら、「この特徴を共有しているから、この2種類の生物には類縁がある」と自信を持って言えるケースが、果たしてあるのだろうか。実のところ、サンショウウオに関しては、舌の事例は氷山の一角にすぎない。多発的な進化の事例は他の多くの器官にも見られる。

氷漬けの足

サンショウウオの肢は、2億年余りにおよぶ進化史を通じて、ランケスターの退化器官のように進化してきた。つまり、何らかの構造を獲得することによってではなく、失うことによって。骨格上のいくつかの特徴が、進化の舞台が中国か中央アメリカか北アメリカによらず、何度も出現している。第1に、サンショウウオは指を失いやすく、しかも常に同じ指を失う。手足の指を失う時は常に小指の指が消失し、その反対側がなくなることはない。第2の傾向は、手首や足首の骨どうしが融合することで進化が起きるというもの。サンショウウオは、通常、足首に9つの骨を持っている。特殊化した種では骨の消失の仕方がほぼ決まっていて、隣り合う骨どうしが融合する。祖先が2つの別個の骨を持っていたとしたら、その子孫は1つの大きな骨を持つわけだ。デイヴィッド・ウェイク(サンショウウオの専門家)はこうした融合のパターンがどうもランダムに生じているわけではないらしいことに気づいた。特定の融合パターンが何度も出現している一方で、別の融合パターンは一切現れていない。
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長い間、サンショウウオの足の骨に生じたような多発的な進化は、生命史上に見られる研究者泣かせのノイズであり。風変わりな例外と思われてきた。しかし、調べれば調べるほど、発明の生じ方として定番の1つであることが分かりつつある。多くの事例で、多発的な進化は、進化の深遠な規則、つまり、「動物の体が発生課程を通してどう形作られるか」ということに由来する内在的な偏りを映し出している。ほぼすべての動物が基本的に同じ遺伝子群(あるいは遺伝的レシピまるごと)を使って体づくりを行なっているのだとしたら、多発的な進化の事例が動物界に無数に存在することも驚くには当たらない生命史上の大発明の出現は決して偶然ではないということになる。
進化の道筋は、直線的な進歩がランダムな変化を燃料として続いていく、というものではない。進化史を通じて、さまざまな種が往々にしてさまざまな経路をたどり、同じ場所にたどり着く。スティーヴン・ジェイ・グールド(アメリカの古生物学者・進化生物学者)の言葉を借りてこの表現するなら、「偶然的な状況を変更して生命史のテープをレプレイしても、重要な事件が替わることはない。それらは同様に発生する」となる。
エルンスト・マイア(進化学者)が私とのお茶会で自らの進化観を披露してくれたことがある。ヴォルテール(フランスの哲学者)の思想を拝借し、進化の結果は「考えうるかぎりで最善の世界」なおではなく「ありうるかぎりの最善の世界」なのだと語っていた。遺伝子や発生、進化史などが、どのような進化を起こりうるかということを決めるのである。