じじぃの「科学・地球_377_魔術師と予言者・土・光合成・GMO」

Are GMO Foods Safe? | Ars Technica

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D4ZHcBi2cDo

Who says GMOs are safe? (and who says they’re not)


Who says GMOs are safe? (and who says they’re not)

December 8, 2014
No article questioning the safety of genetically modified (GM) foods is complete without a rebuttal consisting of reassuring comments to the effect that every credible scientific and government organisation has said that GM foods are safe.

Take for example a recent article in the UK’s Guardian newspaper announcing the launch of a large long-term animal feeding study with a GM maize that’s been in the food supply for years. Among the many comments was this typical example:
https://beyond-gm.org/who-says-gmos-are-safe-and-who-says-theyre-not/

魔術師と予言者―2050年の世界像をめぐる科学者たちの闘い 紀伊國屋書店

チャールズ・C・マン(著)、布施由紀子(訳)
現代の環境保護運動の礎となる理念を構築した生態学者ウィリアム・ヴォート=予言者派と、品種改良による穀物の大幅増産で「緑の革命」を成功させ、ノーベル平和賞を受賞した農学者ノーマン・ボーローグ=魔術師派の対立する構図を軸に、前作『1491』『1493』が全米ベストセラーとなった敏腕ジャーナリストが、厖大な資料と取材をもとに人類に迫りくる危機を描き出した、重厚なノンフィクション。
《人類の未来を考えるための必読書》

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『魔術師と予言者――2050年の世界像をめぐる科学者たちの闘い』

チャールズ・C・マン/著、布施由紀子/訳 紀伊國屋書店 2022年発行

第4章 土――食料 より

世界人口が現在の50倍から60倍になるとき

ウィリアム・ヴォートの本の読者のひとりに、ロックフェラー財団の自然科学部長を務める、ウォーレン・ウィーバーという名の数学者がいた。意欲にあふれる多才な人で、科学と技術は慎重に利用すれば、人類の運命を好転させられると固く信じていた。だから1932年に学究の世界に別れを告げて財団に入ったのだった。彼は早い時期から、生命科学は「分子生物学」という語(ウィーバー自身が考え出した用語である)で代表される飛躍的な進歩を遂げつつあるとみていた。ロックフェラー財団でのウィーバーは、映画で言えばプロデューサーのような役目を果たし、科学者を選んでは資金を提供して、DNAとRNAの重要な発見につながる研究を支援した。1954年から1965年までのあいだに、分子生物学の研究でノーベル賞を受賞した18人の科学者のうち、15人がウィーバーを通して、ロックフェラー財団から助成金を受けていた。
同様に注目すべきは、ウィーバーの野外生物学における功績だ。米国のヘンリー・ウォレス副大統領からロックフェラー財団にメキシコの農業の改善に取り組んでほしいと依頼があったときには、ぜひ引き受けるべきだとウィーバーが上司に勧めた。熱心に推したので、メキシコ農業プログラムの指揮をとってほしいと頼まれた。その任務のひとつには、理屈のうえでは、ノーマン・ボーローグを監視することがふくまれていた。
1948年7月、財団は新しい会長を迎えた。電話会社の元社長であり、すぐれた経営理論の本を書いたチェスター・バーナードだ。彼が会長に就任してから2、3週間後に、ヴォートの著書『生き残る道』が刊行された。この本をすぐに読んだバーナードは、「私有財産からローマ教皇共産主義まで、何もかも」を「罵倒し」、攻撃するヴォートの論法はばかげていると思った。しかし、人類が地球の環境収容力を圧倒しつつあるというヴォートの主張に耳をふさぐことはできなかった。ロックフェラー財団は人々の健康と食料事情を改善しようと努力しているが、実際にはそれは逆効果なのか。人口を増やし、生態系お破綻を進めてしまうのではないか。バーナードが冷ややかに、財団に対する「冒涜的な批判」と呼ぶものを『生き残る道』が「かき立てる」のではないか。それを恐れた彼はウィーバーに調べてみてほしいと頼んだ。とりわけ、「[ヴォートの]批判も踏まえたうえで、メキシコ農業プログラムを正当化する方法」を考えてもらいたい、と。
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ウィーバーもわかっていたように、当時の科学の水準は、光合成の効率を改善できる段階にはほど遠かった。だから彼は、困難だが現実的な方策を提案した。「海の潜在的な食物供給能力」を開発する。農地に降り注ぐ雨水を管理・制御する。それから、バクテリア(彼はこれを、われらが「小さな召使い」と呼んだ)を選別して改変させ、「人間が食物として必要とする分子凝集体を形成」させる。しかしウィーバーは、これらの案は、代替手段にすぎないと考えていた。未来へとつながる真の道は、新しいエネルギー――太陽光か原子力――の開発・利用、光合成能力を改変して食料生産を増やすことだ、と。

のろま

1940年にグアノの島で調査に取り組んでいたウィリアム・ヴォートを思い出してみよう。あれは窒素の歴史の脚注と言うべきものだった。ハーバー=ボッシュ法が知られるようになってからすでに30年が経過し、BASF社のような化学企業がこれを利用していた。しかし天然肥料もまだ重要で、ペルー政府はこれを守るために外国人生物学者を雇った。驚くべきことに、科学者も企業も有機農業推進派も、なぜ土に窒素を加えることがそんなに重要なのか、このときには理解していなかった。ヴォートがペルーを去ったあと何年も経ってからようやく、理由がわかった。窒素は光合成に不可欠だったのだ。
光合成を説明しようとすると、どうしても神秘論者が御託を並べているような言い方になる。光合成は、下から吸い上げた水と、上から降り注ぐ日光と二酸化炭素を混ぜ合わせて、大地と空をつなぐ役割をする。畑の作物は、空気と日光がしまい込まれた低温貯蔵庫と言える。畑のまわりの木々も近くの池の藻もそうだ。景観を彩る緑はどれもみな、絶え間なく稼働する光合成工場である。サイエンスライターのオリヴァー・モートンはこう言った。もしこの顕微鏡レベルの攪拌作業が停止すれば、「われわれがたいせつに思っているものがすべて死に絶えてしまうだろう」と。地球は生き残る。しかしもう緑の惑星ではなくなるのだ。

カントの倫理

科学者たちは憤慨している。この技術を最もよく理解している者が有用で安全だと考えているのに、なぜ一般の人々はその事実に無関心なのだろう。当の科学者もその食品を食べているのだ。しかし街の人々は、この問題をリスクのひとつと見なし、またフェアかどうか――硬い言葉で言えば公平性――という観点からも考えている。実験室の科学者は、実現可能かどうかを問う。だが実験室の外の世界では、道義上、正しいかどうかが問われるのだ。

GMO遺伝子組み換え作物)を食物として体内に取り込むことに不安を感じる欧米の消費者と、GMOを薬として進んで体内に取り込む欧米の患者の態度がいかに対照的かを考えてみるといい。

遺伝子組み換え処理をした大腸菌(E, coli)は、糖尿病に有名な合成インスリンの生産に使用される。遺伝子組み換えをしたパン酵母は、B型肝炎ワクチンを作るのに使われている。遺伝子組み換えをした哺乳類の細胞は、血友病の患者に投与する血液凝固第Ⅷ因子と心筋梗塞の患者に投与する組織プラスミノーゲン活性化因子(血栓融解薬)の製造に使われる。活動家たちはたびたび、こうした薬剤に反対する運動も展開してきたが、熱烈な支持を得るにはいたらなかった。反応がさまざまに異なるのは、一般の人々が愚かだからではなく、ふたつの状況では、コストに対する倫理上の便益(ベネフィット)が異なるからだ。いずれの場合でも、科学者は、望ましくない副作用が生じる可能性は低いと請け合うだろう。しかし合成インスリンを使う糖尿病患者は、個人として、どんなリスクも相殺できるほどの便益を得ている。血友病の患者にも心臓病の患者にも同じことが言える。一方、問題のイチゴ畑やジャガイモ畑の周辺に暮らすカリフォルニアの住民たちは、アイス・マイナス実験からはなんの恩恵も受けない。彼らにしてみれば、はるか遠く離れた都市に暮らす裕福な投資家にひと儲けさせるために、得体の知れない危険に身をさらせと言われているわけだ。どんなに小さかろうが、リスクを強いられれば、生活の質は低下する。純粋に、他者の目的達成の手段として使われるからだ。哲学では、カントの時代から、このようなことは倫理にもとると考えられてきた。
先進国では一般に、GMOが化学肥料や労働力、貯蔵に関わるコストの削減に貢献し、大規模農場経営者の生活を楽にしてきた。しかしこれらの国々のスーパーマーケットでそのような農家の生産品を買う中流層は、目に見えるような利益をほとんど手にしてこなかった。こうして生産された食品が、通常の食品より外見や香りや味がまさっているわけではない。値段も安いとは言えない。白衣の先生たちは、リスクはきわめて小さいと言うが、なぜ自分たちがそれを受け入れなければならないのだ?