じじぃの「科学・地球_381_魔術師と予言者・人口問題・成長の限界」

"The Limits to Growth" (Animation by GPEN)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VBNuZAdlXW8

The Limits to Growth


成長の限界(The Limits to Growth)

2020年4月12日 note
1972年に発表された研究。全地球的システムのモデル化によって人口と工業投資がこのまま幾何級数的成長を続けると地球の有限な天然資源は枯渇し、環境汚染は自然が許容可能な範囲を超えて進行し、100年以内に成長は限界点に達するというもの。
「ローマクラブ」の委嘱によりマサチューセッツ工科大学(MIT)のデニス・メドゥズを主査とするチームがシステム・ダイナミックスの手法を使用してとりまとめた。
https://note.com/cos_kyoto_info/n/nb824f00dac90

魔術師と予言者―2050年の世界像をめぐる科学者たちの闘い 紀伊國屋書店

チャールズ・C・マン(著)、布施由紀子(訳)
現代の環境保護運動の礎となる理念を構築した生態学者ウィリアム・ヴォート=予言者派と、品種改良による穀物の大幅増産で「緑の革命」を成功させ、ノーベル平和賞を受賞した農学者ノーマン・ボーローグ=魔術師派の対立する構図を軸に、前作『1491』『1493』が全米ベストセラーとなった敏腕ジャーナリストが、厖大な資料と取材をもとに人類に迫りくる危機を描き出した、重厚なノンフィクション。
《人類の未来を考えるための必読書》

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『魔術師と予言者――2050年の世界像をめぐる科学者たちの闘い』

チャールズ・C・マン/著、布施由紀子/訳 紀伊國屋書店 2022年発行

第8章 予言者 より

4万人が驚いた

1948年6月、ウィリアム・ヴォートが書いたそのはじめての記事「大陸の破壊」が「ハーパーズ・マガジン」誌に発表されると、それまでに彼が書いた学術的報告書を全部合わせてもかなわないほどの反響があり、たちまち中南米の景観の現状に注目が集まった。しかしその容赦ない書きぶりは、米州連合加盟国の怒りを買った。たとえば、ヴォートは次のような理由でチリを攻撃した。2年前の火災で「1000平方キロメートル」もの森林が消失したというのに、その後「ひとりの防火責任者も、森林官も雇用していない」こと。伐採業者――ヴォートに言わせれば「悪徳材木商」――が新たに木を植えないので、大規模な侵食や洪水が起きていること。このままでは「100年以内に」、いや、ことによるともっと早い時期に、チリの国土の「大部分」が砂漠化するだろう。ヴォートはそう予言した。
チリ政府としてはむろん、自分たちが雇った人間に公然と批判されることはおもしろくない。チリ大使が米州連合の理事会に苦情を申し立てた。それは簡単なことだった。大使は理事のひとりだったからだ。彼はヴォートに、「宣伝活動を続けるか。連合を去るか」どちらかの道を選択してもらいたい、と言った。
米州連合事務総長のアルベルト・ジェラス・カマルゴは、この苦情を退けた。ジュラスは、コロンビアの前大統領だったが[1958年にふたたび選出された]、社会人になってはじめての仕事は記者で、ボゴタやコロンビア南西部カウカ県の町、ブエノスアイレスで、スキャンダル専門の新聞に記事を書いていた。彼は検閲めいたことはいっさいしたくなかった。しかもヴォートは有能で勤勉な働き手であり、彼が書いた資源保全報告者は、メキシコ、ベネズエラコスタリカなどの加盟国にとって有用だった。ほかならぬチリも、ヴォートの勧めでフエゴ諸島に国立公園を創設したほどだ。ジェラスはバランスをとるため、解雇の要求をはねつける一方で、ヴォートにも自重を求めた。
それから2ヵ月後の8月、『生き残る道』が世に出た。ヴォートは、人口抑制に焦点を置いた見解が論争の的になることを承知していた。刊行の数週間前、彼は読者の反応を予測し、友人のひとりに、「あらかじめ「不健康だから覚悟してください!」とでも言っておいてほしかったと思う人も多いだろうな」と冗談を言っていた。しかし驚いたことに、それは出版社が「その年で最もドラマチックで、広く話題になった本」と呼ぶヒット作になった。国際的にも反響があった。何年ものちになってから、フランスの著名な人口学者アルフレッド・ソーヴィーが、『生き残る道』はヨーロッパで「19世紀初頭、マルサスの『人口論』が発表されたときに匹敵するセンセーションを巻き起こした」と述べている。

人口問題

ヒュー・ムーア(使い捨ての紙製コップを作った)が言ったように、「人間は汚染する」。しかし人口の増加イコール汚染の増加ではない。硬派の環境保護論者は、ハドソン川の生態系が回復したのは、ひとえに農薬がこの地を捨てて中西部に移り住み、開拓と称して緑の大草原をことごとく破壊した結果にすぎないと主張する。しかし彼らには、ほかのよいニュースをすべて説明することができない。アザラシやイルカがテムズ川に戻ってきたこと。1900年にはほぼ絶滅したと考えられていたオジロジカがニューイングランド地方の一般家庭の庭に現れて食害をおよぼすようになったこと。以前は深刻だった東京の大気汚染が劇的に改善したこと。ヨーロッパ人入植者がはじめて七面鳥を目にしたころに比べ、野性の七面鳥の生息範囲が格段に広がったこと。もしこうしたことのすべてが人口の急増期に起きているとしたら、なぜ、ヴォートやオズボーン、レオポルド、その多くの賛同者が主張したように、人口過剰が生態系の崩壊を招くと言えるのだろうか。
何年か前、わたしはこの疑問を、『成長の限界』の製作にあたった研究チームの共同リーダー、デニス・メドウズにぶつけてみる機会を得た。「エリー湖デトロイトを見ても、よくなったことはわかりますよ」と彼は言った。「しかしそこから、全体的に改善したという結論に飛びつくのは、ひとりの人が金持ちになったからみんなの暮らしがよくなったはずだと言うのに等しいのです」。ニューハンプシャー大学の名誉教授だったメドウズは、共同研究者たちとともに、『成長の限界』を何度か改訂した。そのたび、見通しは初版と同程度に、あるいはそれ以上に悲観的になっていった。「富裕国が環境問題に懸念を持つようになれば、たいてい、効果的な反応を生み出すことができます」と、メドウズはわたしに言った。
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わたしはある記事に、この趣旨に沿うよう、メドウズの言葉を忠実に引用した。が、それを発表してから1年後にふと、この意見は、じつは経済成長を遂げた社会のみが金銭で環境問題を解決できると言っていることになるかもしれない、と気づいた。これはボーローグのスタンスだ。おもしろいと思い、わたしはメドウズに電話をかけた。彼は快く応じてくれた。魔術師が主張するように、繁栄が鍵なのですか。いいえ、と、メドウズは答え、ひとつの例を示した。日本の山は、青々と茂る美しい常緑樹に覆われている。しかし日本はそれを維持するために、木材を東南アジア、オーストラリア、ブラジル、米国西部から輸入している。ニューヨーカーが農業を中西部に移したように、日本はその富を利用して、森林破壊という環境負荷を他国に転嫁しているのだ。わたしは、日本が木材の輸入をきっぱりやめて、プラスチックやウレタンフォームや、東京の通りで見かける奇妙なハイテク建材を使って家を建てるようにするわけにはいかないのですか、ときいた。この転換にはコストがかかるかもしれないが、日本は富裕国です。この問題だって、金銭で解決できるのではないでしょうか。わたしの愚問にメドウズはいらだちを見せて、「いいですか、根底にある事実は明らかです。かぎりある惑星で永遠に成長を続けることはできないのです。限度があるのですよ」と言った。しかし経済成長と環境破壊と惑星の限界のあいだの関係は、わたしにはもはやさほど明らかには思えなかったのだ。
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2016年の秋、デリーではあまりにスモッグがひどくなり、市内のすべての学校が何日も閉鎖された。この大気汚染の原因は、市内で石炭が使用されたことと、隣接するバンジャブ州、ハリヤナ州の小規模農家がいっせいに作物残渣を燃やしたことだった。同じころコペンハーゲン市当局は、市の二酸化炭素排出量が2025年までにゼロにする削減計画を発表していた。
排出量が異なるからといって、必ずしもデリーの家庭がコペンハーゲンの家庭よりも環境に大きなダメージを与えているとはかぎらない。デンマーク人は大量の肉を食べ、たくさんの自動車を運転するので、2014年の世界自然基金の報告によれば、デンマークの「エコロジカル・フットプリント」[人間活動が環境に与える負荷を示す指標。資源の再生産と廃棄物の浄化に必要な人口ひとりあたりの土地面積で表される]は世界で4番目に大きいらしい。主たる要因は、デンマークの豚肉産業を支える家畜飼料の生産量だ。デンマークの国民ひとりあたりの農地面積は、世界のどの国よりも広い。これによって国民の食肉習慣を維持しているのだ。
デリーとコペンハーゲンでは、どちらが環境にやさしいと言えるのだろうか。経済成長や消費に関わる絶対的な数値を比べても答えは出ない。鍵となるのは、大気汚染や土地利用問題をどの程度重視するか、その度合いなのだ。
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これは、環境問題が実在することを否定するものではない。魚の乱獲、森林破壊、土壌劣化、地下水汚染、哺乳類と鳥類の個体数の減少、そして何よりも警戒すべき急速な気候変動の可能性――これらはどれも重要だ。しかしそれに対する人口増加の影響は間接的なものであり、経済成長との関係についても多様な解釈が成り立ちうる。ヴォートのように、こうしたことを根本的な原因と見なして的を絞るのは、見当外れというものだ。20年間もの歳月が無駄になっただけではなく、二重に不運だった。なぜなら、人口をめぐる闘いが、しばしばヴォートふが伝えようとしたもっとも重要なメッセージ――限界に関する部分――を覆い隠してしまったからだ。彼は社会科学者をばか呼ばわりして公然と非難したが、彼らの意見に耳を傾けるべきだった。そして残念ながら、それはボーローグにも言えることだったのである。