Cave Art: World's Oldest Pictorial Story
世界最古の絵画? オーカーで印をつけた石の薄片
「夫を殺す方法」の作家、夫殺害で有罪評決 米オレゴン州
2022.05.27 CNN.co.jp
米オレゴン州ポートランドの裁判所の陪審は25日、2018年にシェフの夫を殺害したとして、作家のナンシー・クランプトン・ブロフィ被告(71)に第2級殺人罪の有罪評決を言い渡した。
被告の夫は講師を務める料理学校で射殺されていた。
クランプトン被告は「夫を殺す方法」と題したエッセーを書いたことで知られる。評決が読み上げられた際に特に感情は示さなかった。
https://www.cnn.co.jp/usa/35188085.html
世界最古の絵画? 7万3000年前の石に描かれた模様
2018.09.15 ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
7万3000年前、今日の南アフリカにあたる地域に住んでいた初期人類が、石の表面にハッシュタグ(#)のような印を描いた――模様が描かれた石を発見した国際考古学チームは、石に描かれた赤い模様は最古の絵画だと主張する。
科学誌「ネイチャー」に発表された論文によると、今回の石の絵画は、これまで最古の洞窟アートとされてきたインドネシアやスペインの洞窟の絵画より3万年も古いという。本当なら、古代のヒトが「現代的な行動」をした時期は、もっと古い時代まで遡ることになる。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/091400403/
ゴリラの森、言葉の海 Amazon
山極 寿一 (著), 小川 洋子 (著)
【著者略歴】
・山極寿一
1952(昭和27)年、東京都生れ。霊長類学者・人類学者。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程修了。アフリカ・ルワンダのカリソケ研究センター研究員、日本モンキーセンター、京都大学霊長類研究所、同大学院理学研究科助教授を経て同研究科教授。2014(平成26)年10月より京都大学総長。
・小川洋子
1962(昭和37)年、岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991(平成3)年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。
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Ⅲ ゴリラとヒトの間で遊ぶ より
時間が作り出すもの
小川 以前の対談でも伺いましたが、みんなで協力しないときちんと育たないぐらい、人間の子どもは未熟な状態で生まれます。それに、サバンナのような外敵の危険が多い場所にいる。だから自分の子ども、他人の子どもと区別していられない中で子育てしなくてはいけませんでした。
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山極 子どもにとって一番幸福なのは、自分の食欲を満たしてくれる環境が整っていて、そこで自由に振舞えるということです。
小川 あのときはまさにそうだったと思います。自分の食べるものが用意されつつあって、自分は好きな絵本を読んでいるわけですから。
山極 誰かがそういう場を作ってあげないといけないんです。いくら食べ物があっても食べるというだけではだめで、誰かが作って与えないといけない。それが幸福につながる。だから、いま居酒屋ブームじゃないですか。あれはそういう気持ちを満たしてくれるからですよ。大人が子どものようにカウンターに並んで、おかみさんに叱られながら、酒を飲んでおいしいご飯を食べている。
小川 愚痴を聞いてくれたりね。
山極 客同士も互いに愚痴を言い合って。
小川 そこにいない人の話ですね。上司とか(笑)。
山極 上司の悪口を言うことは、自分にとって人間的な環境を回復するためで、その噂話を共有しないといられない。でも実際には、われわれはギリギリの人間関係を渡り歩いて生きているので、共有するのは難しい。でも飲み屋のママというのは、聞いたふりをしてくれるわけです。それで客は共有したような気持になる。
小川 例えばツイッターなどで自分の木に入らない人をコテンパンにやっつける、人の悪口を言わないではいられない衝動も、そういうことに関係しているのでしょうか。
山極 悪口というのは、人間が肉声で言う分にはぜんぜんかまわないけど、ネットでやると炎上してしまう。言葉というのはイマジネーションを広げる力があるけれど、その一方で、特に文字になると視覚的な環境を固定して化石化させてしまう。肉声なら誰が言ったのか分けるから広がる範囲に限界がありますが、文字になるとそれが際限なくなる。その過程で発する側から内容が遊離してしまって、発せられたときには別の意味を帯びてしまいます。作家にこんなことをいうのはおこがましいですが。
小川 小説を書くのが難しい理由を、今ご説明いただいた気がします。放っておいたら固定化しようとする文字を使って、いかに自在な世界を構築するか。ここに矛盾を抱えているわけです。
山極 だから、インターネット上では議論をしないという作法があるのは、それを避けるためでしょう。例えば、「あいつを殺してやる」といくら怒鳴っても、これまではみんな相手にしなかった。本気で殺すと思ってないから。怒鳴るだけで済んでいた。でもそれを文字にすると意思表明としてとても大きなものになって、証拠としても残る。一方で、いまブログやツイッターでは、声を出すように文字を書くわけでしょ。声がそのまま文字になっていくというか。
小川 そう考えると、ツイッターという命名は絶妙ですね。さえずり、つぶやきを書き言葉にして固定する。
山極 本来つぶやくだけで済んでいたのがものすごく大きなインパクトを持ってしまうんです。
小川 書き言葉の出現が人間にとって大きな段階だったということでしょうか。
山極 しかも、書き言葉は時間を超える。同時性を超えるから、いつそれが発せられたかが確定できなくなるんですよね。通常、われわれの言葉には同時性があります。こうして小川さんが何かを話したら、僕が答える。そのプロセスが目に見えるんですが、書き言葉にはそれがない。
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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、テレビで報道番組を見ていたら、「世界衝撃 『夫の殺し方』著者が“被告”に 実際に銃で殺害か 裁判難航」をやっていた。
被告の女性は「夫を殺す方法」と題したエッセーを書いていたことで知られていた。
裁判所側は、エッセーで書かれたのが事件の7年も前だとして証拠採用せず、陪審員が読むことも禁止。
状況証拠として、当時殺害された夫の現場近くにいたことと、夫に100万ドルの保険金がかけられていたことが決め手となって、有罪判決が下された。
話言葉に比べて書き言葉は、時間を超えて人に影響を与える。
しかし、ツイッターやブログで「あいつを殺す」というのは、証拠にはならない。
被告が当時殺人現場にいた、お金が絡んでいる、は証拠になりうる。
とか。
「人類が何か書いた」、はいつ頃からだっただろうか。