じじぃの「ラマダーン(断食)・ブタは強い男の象徴?雑学の本」

『人類の起源、宗教の誕生』

山極寿一・小原克博/著 平凡社 2019年発行

なぜ宗教に「断食」があるのか より

小原 スマホラマダーンというのはなかなかおもしろい発想ですね。それに対しては宗教的にいろいろ解釈ができそうです。そもそもラマダーンとは何かというと、ムスリムにとっての断食月のことですが、ラマダーン月の1ヵ月、日中飲食を断ち、禁欲的な生活をします。それは信仰を見直す期間ですが、断食することのよって、人間というのは食わずにして生きていけない存在であることを徹底して認識させられることにもなります。
山極 なるほど、逆ですね。
小原 そうなんです。断食では、食べなくても生きられる、ではなく、食べないと生きられないという端的な事実に立ち返ることになります。食べて当たり前、飲んで当たり前の現代では、お金さえ出せば鶏肉でも牛肉でも豚肉でも簡単に手に入るわけですが、これは人類史的には極めて特殊な時代です。
 そういう当たり前さに私たちは慣れ切ってしまっているので、それが決して当たり前ではないことを知るのは簡単ではありません。しかし、世界中のムスリムの人たちはラマダーン月に、人間は食べ物なしには生きていけない脆弱な存在であることを経験するわけです。ムスリムにとっては食べ物を与え、人を生かすのは神ですから、それが信仰を強めることにもつながります。また、信仰者同士が同じ苦しい経験をすることによって、連帯意識を新たにするという効果もあります。そういう意味では、スマホを絶つことによって、我々がスマホにいかに依存しているかを自覚できるという点で、スマホラマダーンにはラマダーン月の断食と同じような効果がありますね。

                        • -

『時間を忘れるほど面白い雑学の本』

竹内均/編集 知的生きかた文庫 2011年発行

昔、ブタは「強い男の象徴」だった? より

ブタは、人間からいいイメージを持たれているとはお世辞にもいえません。本当はきれい好きな動物なのですが、とかく汚くていやしいイメージがつきまといます。
たとえば、アメリカで「ピッグ」と言えば、日本で「ポリ公」なんていうのと同じこと。フランスではブタを「コション」と言いますが、これは太って汚らしく、いやらしい男という意味のスラングにもなっています。
これではおいしいブタに申し訳ないと思って、もう少しいいイメージのエピソードを探してみたら、時は昔、日本の戦国時代にありました。
山形城を本拠地にして一帯を支配していた武将、最上義光は、力自慢の家臣を集めて重用していました。
中でも一番の力持ちには、「武太之助」の名を授けてかわいがっていたそうな。
字面はいかにも強そうだけれど、音だけ聞けば「ブタノスケ」。現代では情けない響きの名前ですが、当時はブタは力強くたくましい男の象徴だったのです。
ブタ君、長いあいだ悪く思っていてごめんなさい。

                        • -

どうでもいい、じじぃの日記。
「断食では、食べなくても生きられる、ではなく、食べないと生きられないという端的な事実に立ち返ることになります。食べて当たり前、飲んで当たり前の現代では、お金さえ出せば鶏肉でも牛肉でも豚肉でも簡単に手に入るわけですが、これは人類史的には極めて特殊な時代です」
「断食」には深い意味があったんですね。