じじぃの「神話伝説_147_断食(ユダヤ教・イスラム教)」

The Muslim Ramadan fasting of Islam Documentary - TheDeenShow 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xXd2Lt31Nfk
宗教的な断食 ウィキペディアWikipedia)より
宗教行為など精神的な理由から断食を行うことがある。宗教的な断食、精神的な理由の断食は紀元前から人間の習慣として存在する。『新約聖書』、『旧約聖書』、『マハーバーラタ』、『ウパニシャッド』、『クルアーン』でも言及されている。
イスラム教のラマダーン月における断食(日の出から日没までの半日は一切の飲食をしない)が特に有名である。また、ユダヤ教キリスト教にも定期的な断食がある。仏教では、煩悩を克服・滅却するために断食を行うことがある。
宗教的探求の手法のひとつとして行われる場合がある。数日の断食においても、意識がすっきりして来たり、五感が敏感になったりするなどの覚醒効果があるとされる。空腹による幻覚の効果と考えられている。

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『なぜ私達ユダヤ人は優秀なのか』 桜の花出版/編 桜の花出版 2004年発行
ユダヤ人が己に課す苦行・断食 (一部抜粋しています)
ユダヤの生活において「断食」というと、通常はある期間飲食を絶つという意味です。
ユダヤ人にとって重要な断食の日が、1年に2度あります。1つは、ユダヤ暦新年の「ヨム・キプール(贖罪の日)」であり、もう1つは夏の時期にある「ティシャ・ベアヴ(ユダヤ暦のアヴ月(第5月9日)」と言われるものです。
ヨム・キプールは最もよく知られた断食の日で、ユダヤ暦の中で最も神聖な日とされています。このことは、この日が「安息日の中の安息日」と呼ばれることからも分かります。安息日は毎週あるものですが、それでも大変重要な休日です。「安息日の中の安息日」とは、重要な日の中でも特に重要であるということです。
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ヨム・キプールを含めて、ユダヤ教の新年の祭は約1ヵ月続きます。このこととイスラム教の義務である断食がラマダン月の1ヵ月間続くことは偶然以上のものがあるのではないかと私は考えています。
また、断食の行い方も大変似ています。例えば、飲み食いの他、性交渉を禁じるなどしていること、子供や老人、病人、妊娠している女性などは断食を行わなくてもよいことや、夜明から日没までを断食の時間とすることなどです。
ムハンマドイスラム教の宗祖、マホメッド)の時代、アラビアにもユダヤの一族がいました。ムハンマドもその一族のことを知っていましたので、ユダヤの風習についてもよく知っていました。そこにはラマダンの断食の元になるものがあったと思われます。
しかし、全てのとは言いませんが、大木のイスラム教国では、断食の終わる日没の後、皆で勝手な食事をします。これはムハンマドが意図していたことではないでしょう。
断食の目的は貧しい人達の状況を体験し、慈善の心を引き起すことなのではないでしょうか。それは、ユダヤ教でも同じことです。
キリスト教も断食を行ないます。ユダヤ教と同じ考えで断食する一派もあると思います。
しかしキリスト教には、断食について別の考え方があります。それは自らの身体を痛めつける苦行という考えです。これは、肉体と魂がある意味で対立しているという二元論に基づいています。このような考え方はユダヤ教にはありません。
プラトン哲学や初期キリスト教、特にパウロの考えでは、魂は純粋で、正しいこと、神の御心に適うことのみ行おうとします。一方、肉体は人の罪深さの現れであり、常に心地よい状態を求め、邪なことを行ない、性欲や食欲が満たされることを要求します。
肉体の要求を満たすことは、天国から遠く離れ、魂が正しい行いをしようとすることから遠ざけることだと彼らは考えています。そこで、彼らはこの肉体を克服しなければならないと考えます。その1つの方法が、断食などで食事や性交を避けて肉体の欲望を満たさないようにするということです。
中世の初めの頃、カトリック教会が理想としたのは世俗を離れて特別な共同体の中で暮らしていた修道士でした。彼らは貧しい中で暮らし、食事も必要最低限のみで、祈りと定期的な断食の生活をしていました。
ユダヤ教の中でも、一部には古代のエッセネ派のように苦行をする者達がいました。しかし、ユダヤ教の大多数の人は、このような自らを苦しめるために断食をするという考えは持っていません。その点で、ユダヤ教キリスト教は断食について明確に異なった考えを持っていると言えます。