じじぃの「歴史・思想_43_世界史を変えた指導者・ウィリアム・シェイクスピア」

テンペストシェイクスピア)-あらすじと感想

テンペストは1612年に発表されたシェイクスピアのロマンス劇です。 かつてミラノ大公だったプロスペローがナポリ王とミラノ大公の船団を嵐で呼び寄せて復讐する物語ですが、テーマは和解であり復讐と言ってもちょいと懲らしめるぐらいのものです。
シェイクスピア作品はやたらと人が死ぬものも多いですが、本作は比較的安心して読める物語です。
https://amaru.me/story/tempest/

『図説 世界史を変えた50の指導者』

チャールズ・フィリップス/著、月谷真紀/訳 原書房 2016年発行

ウィリアム・シェイクスピア ロンドン演劇界に君臨し英語に新たな命を吹きこんだ、多作な劇作家 より

ストラトフォード・アポン・エイヴォンの手袋職人で市長もつとめた人物の息子として生まれたウィリアム・シェイクスピアは、役者・劇場支配人として成功するためにあらゆるチャンスを逃さず、やがてロンドン随一の劇作家になった。彼の作品群は英語で書かれた戯曲の史上最高傑作である。

ウィリアム・シェイクスピアとリチャード・バーベッジ率いる国王一座は1603年5月19日、国王ジェイムズ1世から設立勅許状を公布された。シェイクスピアはその非凡な劇作の才能で大出世し、わずか10年あまりで、ロンドンの傑出した劇作家、国王一座の中心人物、グローブ座の共同所有者となっていた。
国王一座は劇団としての頂点をきわめた。ジェイムズ王の戴冠式の行列にふさわしいよそおいができるようにと、団員一人ひとりに約4メートルの赤い服地が支給され、一座は1604年3月15日、行列に予定どおり参加した。宮廷からはひんぱんにおよびがかかり、1604年11月から1605年2月にかけて、シェイクスピアの劇『オセロ』、『尺には尺を』、『恋の骨折り損』、『ヘンリー5世』、『ヴェニスの商人』はすべて宮廷で上演された。
シェイクスピアは恵まれているとはいえない境遇から身を起こし、イギリスとスコットランドの国王からひいきにされ称賛されるまでになった。戯曲を見れは、シェイクスピアが作家としてたぐいまれな才能をもっていたことは明らかだが、その才能にくわえ、意欲と野心とチャンスをみきわめる目をかねそなえていたのが大きい。シェイクスピアストラトフォード・アポン・エイヴォンに生まれ、妻アン・ハサウェイとのあいだに娘のスザンナと双子のハムレットとジュディスという3人の子どもをもうけた。演劇人、詩人として名を上げようと決意してロンドンに出てきたのはその後のことである。

劇作家のリーダー

1594年には宮内大臣一座の重要なメンバーとなっていた。宮内大臣一座はのちに設立勅許状を公布され、国王一座と改名している。シェイクスピアはその才能、機知、行動力によって一座のリーダーのひとりにのぼりつめた。一座の筆頭脚本家であり、ときどき役者として出演もし、共同経営者でもあった。収益はすべて一座のメンバーと劇場の共同所有者(「ハウスキーパー」とよばれた)で分けあうが、共同所有者にバーベッジ、バーベッジの父親とともにシェイクスピアも名をつらねていた。
シェイクスピアは自分の才能を開花させることにまず最大限の努力をそそいだが、出会ったチャンスは絶対に逃さず、自分の芸術には頑固なこだわりを見せた。1590年代前半に宮内大臣一座はショアディッチの劇場座をおもな上演の場としていた。劇場が建っていた土地の借地契約が切れると、団員は自分たちの演劇へのこだわりから、劇場の建物を解体してまるごと川べりの倉庫に移設した。翌年、この建物を模して、サザークの新しい場所にグローブ座を開業した。

努力と献身

全員が獅子奮迅の働きをした。なかでもよく働いたのがシェイクスピアで、1594年から1611年にかけて年間2本の戯曲を書きながら役者もつとめ、劇場の経営にもたずさわった。初期の作品に『真夏の夜の夢』、『タイタス・アンドロニカス』、『ヴェニスの商人』、『ロミオとジュリエット』、『まちがいの喜劇』がある。劇団はまたたくまに成功していった。宮内大臣一座はロンドン随一の人気劇団となり、1595年には宮廷で女王エリザベス1世の御前で上演している。
1596年にシェイクスピアの父親のジョンが紋章を授与されているが、息子の資金援助があったのはまちがいないだろう。1597年にシェイクスピアは、ストラトフォード・アポン・エイヴィンのチャペルストリートに大邸宅ニュー・プレイスを購入した。故郷に錦を飾ったわけである。翌年、イギリスの牧師で作家でもあったフランシス・ミアズが、シェイクスピアはイギリス最高の喜劇・悲劇作家だと評している。

至高の才能

シェイクスピアが結実させた才能のなかでも最たるものは、直観力、機知、詩的創造力だった。歴史などの原典から材をとり、忘れがたい印象を残す人物を登場させ、躍動的で美しいセリフがひっぱる、生き生きと真に迫った劇場作品を生み出す。1610年に宮廷で上演された『テンペスト』は最後の作品とされる。