kaagaz ke phool Full movie (1959) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EvM7wW5-u7o
Parasakthi (1952) Full Movie | Classic Telugu Films by MOVIES HERITAGE 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=s5Z3rfHeLVw
Tamil Cinema
インド映画を10倍楽しむ方法 バハードゥルシャー勝(まさる)
インドの人口の8割はヒンドゥー教徒で、イスラーム教徒が1割強、その他の少数宗教がいくつか存在するが、これはあくまでインド全土の平均であり、地域によって偏りがある。イスラーム教徒やキリスト教徒が多い地域もあるし、少数宗教を信仰していながら誰よりも経済力を持っている人々もいる。そして、これらの宗教は必ずしも平和的に共存していない。インドは宗教対立の問題を抱えており、しばしば映画の題材にもなる。よって、登場人物がどの宗教を信仰しているかが、ストーリーを理解する上で重要になって来ることがある。ただ、登場人物の宗教を台詞や文字で明確に提示しない場合が多い。それは、インド人ならば、いくつかの特徴からその人の宗教を容易に推測可能であるからだ。
例えば名前。インド人の名前は単なる個人の識別ではない。名前には宗教をはじめ、多くのアイデンティティー情報が含まれる。映画において、登場人物の名前が出て来た時点で、実はかなりの情報が観客に提示されているのである。字幕ではそれがどうしても抜け落ちてしまうため、インド映画の字幕は難しい。名前からカーストも分かることがあるし、それに伴って所属する社会層や経済状態も大体分かってしまうことが多い。
http://www.bahadurshah.com/blog/jvta
『カーストから現代インドを知るための30章』 金基淑/編著 赤石書店 2012年発行
カーストと映画 より
インドの映画とカースト制とは直接は結びつくわけではない。つまり特定のカーストが映画にかかわっているわけではない。それよりもインド独立以前には映画人、演劇人そのものが地位の低い人びととみなされていた。そのため初期のインド映画では女優のなり手がなく、監督の身内を起用したり、また女形を使ったりしていた。さらに、カースト原理にしばられない混血のアングロ・インディアンの女優も多く起用された。
こうした差別的状況が大きく改善されるきっかけになったのは、ノーベル賞作家ラビンドラナート・タゴールを大叔父にもつデーヴィカー・ラーニー(1908〜94、ブラーマン・カースト)が映画に参入した1930年代からのことであった。もちろん、こうした意識が一挙に変わったわけではなく、名監督グル・ダット(1925〜64)の自伝的名作『紙の花』(Kaagaz Ke Phool, 1959)では、周囲から蔑まれる映画人の苦悩がリアルに描かれている。今ではそのような差別も徐々にうすらいでいるようで、一線スターがBBC(英国放送協会)の特集番組などで流暢に英語で答えている姿をみると隔世の感がある。
また、ヒンディー語映画では、シャー・ルク・カーン、アーミル・カーン、サルマン・カーンらの3カーンと呼ばれるムスリム系のスターの人気が高く、映画音楽などでもムスリムが支配的である。もともと北インドの宮廷にはムスリムの古典音楽家が多く雇われていたふが、映画界もその伝統を受け継いでいる。同じくグル・ダット作品の『十四夜の月』(Choudhvin Ka Chand, 1960)には、ムスリムの影響の濃い北インドの古都、ラクナウの芸人の姿を垣間みることができる。
一方、南インド、タミルナードゥ州では、20世紀に入り非ブラーマン諸カーストによるブラーマン支配への反対運動が展開されるなかで、映画にも少なからず影響が及んだ。1950年代から勢力を伸ばした非ブラーマン中心の地方政党が映画を積極的に利用したからである。タミルナードゥでは、映画に先立つ芝居演劇においても政治的な主張を取り入れていたが、政治的な映画も積極的につくられるようになったのである。
とくに、1949年に結成されたドラーヴィダ進歩連盟(DMK)は読み書きのできない大衆層
へアピールするために政治的な映画をつくり、支持層の拡大をはかった。DMK初代の党首アンナードゥライやその後継者カルニーナディが脚本を書き、ときの大スター、シヴァージー・ガネーサンやM・G・ラーマチャンドランが出演して、現実とフィクションを行き来するいわゆるDMK映画というジャンルが生まれた。その初期の代表作が、シヴァージー・ガネーサン主演の『女神』(Parasakti, 1962)である。
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また、サンスクリット語の影響を排除した純粋のタミル語(Sen Tamil)で全編せりふが話される映画もつくられた。サンスクリット語の知識をもつことでその特権を享受してきたブラーマンに対して、非ブラーマン政党は、タミル語をもっともサンスクリット語の影響を受けていない言語として、自らのナショナリズムの中核に据えたのである。