じじぃの「科学・芸術_1006_台湾・外務・僑務・大陸事務」

台湾巡り断交迫る中共 ソロモンで抗議デモ

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dDEPuR2Bw3s

台湾、キリバスとの断交を発表 2019年9月20日


国交樹立国14ヵ国、中華民国(台湾)のオブザーバー参加をWHO総会に提案

2020-05-14 台北駐日経済文化代表処
今年はニカラグアパラオエスワティニ王国セントルシアマーシャル諸島、セントクリストファー・ネービス、ベリーズ、ハイチ、ナウルパラグアイ、ツバル、グアテマラホンジュラスセントビンセント及びグレナディーン諸島の14ヵ国が正式に提案を終えている。また、バチカン市国はWHOにおいてはオブザーバーであるため、従来から提案とは異なる方式で台湾のWHO参与を支持している。
https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/post/72256.html

『台湾を知るための72章【第2版】』

赤松美和子、若松大祐/編著 赤石書店 2022年発行

Ⅴ 対外関係 より

第57章 外政――外務・僑務・大陸事務

私が台湾に興味を持ち始めた1990年代末、蒋介石国際空港(中正国際機場、現在の桃園国際空港)の入国審査には、確か「Chinese」と「Foreigner」という英文標識があった。中国語標識は「国人」と「外国人」だったように思う。
その後、台湾での台湾人意識が高まり、「国人」(自国民)の中で、「Chinese」のレーンに並びたくないと主張する人が登場したため、20年ほど前から、レーンの標識が「Citizen」(持中華民国護照旅客)と「Non-Citizen」(持非中華民国護照旅客)に変わった。つまり中華民国パスポートを所持しているか否かで、自他を区分したのである。
2008年と2011年に中国人観光客の台湾への旅行が段階的に解禁されると、台湾を訪ねる観光客は2010年に中国人が1位となり、日本人は2位に繰り下がった。日本人の私が桃園空港の入国審査場で「Non-Citizen」のレーンに並んでいると、最近10年来、私の前後は時に中国からの観光客である。ただし彼らはパスポートではなく、入台証なる身分証で入国(正確には入境)の手続きをする。台湾にとって中国は外国なのか、それとも自国の一部なのか、あるいはどちらでもない別の存在なのか。
台湾では外政が外務・僑務・大陸事務の3種類に分かれている。これは、中華民国の主張する「1つの中国」において、中華民国統治権が台湾のみに留まるものの、主権は中国全土(モンゴルをも含む)に及ぶと規定されているからである。本章では、外政の3つをそれぞれ概説する。
第1に、外務を概説しよう。外務は中華民国外交部が扱う。外務は国交の有無に基づき、公式の外交と非公式の外交に分かれる。中華民国は1971年に国連への参加資格を喪失して以降、諸外国との国交を相次いで失い、2022年2月現在、14の国家と公式の外交関係を持つ。こうした14ヵ国は全て中華民国を唯一合法の中国として認めているため、中華人民共和国とは国交を持たない。このように中華民国と国交を結ぶ国があっても、台湾と国交を結ぶ国は1つもない。
世界には190数ヵ国の国家があるから、中華民国はそのうちの9割の国家と国交がない。しかし、公式の外交関係はなくても、実務関係を結ぶ。例えば台湾(中華民国)と日本の場合、互いに大使館や領事館を設置せず、台湾側は台湾日本関係協会を、日本側は公益財団法人日本台湾交流協会をそれぞれ設置している。
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第2に、僑務を概説しよう。僑務は外交部ではなく、行政院僑務委員会が扱う。国際社会での活動空間が狭い中華民国は、外務の不足を僑務で補っている。ある国家が華僑の居住国であった場合、中華民国はその国家とは外交関係がなくとも、華僑を通じてその国家との友好関係を維持し、ひいてはその国家の政策にも影響を与えることができる。そのため、概ね東南アジア、北米、日本、欧州の優先順位で僑務政策が展開されてきた。ちなみに、「華僑は革命の母である」は中華民族の僑務政策のスローガンであるものの、実のところ孫文にそういう発言をした形跡はないようだ。
第3に、大陸事務を概説しよう。大陸事務は外交部ではなく行政院大陸委員会が扱い、中華民国版の「一つの中国」に基づく。中華民国は1912年に中国大陸で成立し、大陸と台湾を併せて実際に統治したのは1945年から1949年までだけである。とはいえ、台湾では1949年以降、対岸の政府を仲恭(中国共産党政権)と呼び、あくまでも中国における不当な地方政権として扱ってきた。そして中華人民共和国との関係を外務ではなく、大陸事務に規定した。李登輝時期になり、「台湾(政治実体)+中国大陸(政治実体)=中国(主権国家)」というふうに理論づける。中華民国は中国大陸にある政権の存在を否定しないものの、だからといって中華人民共和国を外国だともみなさない。
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歴史を振り返ると、1949年に中華民国が政府を台北へ移転して以来、大陸事務を長らく担っていたのは政府ではなく、中国国民党だった。動員戡乱(反乱平定)時期という設定のもと、国民党がほとんど革命政党として国家を導いたためである。国民党では中央委員会大陸工作会が担い、大陸工作の内容は政治のみならず軍事や諜報に及んだ.(現在は中央委員会政策委員会大陸事務局が引き継ぐ。)政府による大陸事務は、1987年11月に台湾から大陸への親族訪問を解禁し、1988年に行政院工作会議(会報は霊会に相当)を設置したことに始まる。1991年1月になって大陸委員会が設置され、1992年に「台湾地区と大陸地区の人民関係の条例」(両岸人民関係条例)が成立した。昨今の台湾では「大陸」(中国)、「陸民」(中国人)、「陸生」(中国人学生)、「陸客」(中国人観光客)、「陸偶」(中国人配偶者)などの特殊な用語が飛び交う。