じじぃの「科学・芸術_1000_台湾・日本統治時代の捉え方」

【ゆっくり解説】犠牲者2万8000人!? 二・二八事件

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eaHMZWtVMMY

台湾で通じる日本語?

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https://www.youtube.com/watch?v=nMWI8M5QF6M

二・二八事件とは  コトバンク より

1947年、台湾で起こった住民による反中国国民党暴動。台湾現代史のうえで重要な意味を持つ事件とされている。
1945年10月、台湾に進駐した陳儀ら国民党政権台湾接収委員は日本植民地当局から施政権を引き継いだ。
当初、多くの台湾住民は祖国復帰を歓迎したが、本省人(第2次大戦前から台湾に居住していた漢族)が、省政府から排除されたり、日本資産の接収をめぐる不正が横行、また大陸出身の官吏・兵士が無能で規律を遵守しないため、社会的混乱が発生した。さらにインフレが進行、本省人の不満は急激に増大した。
47年2月27日台北市内でやみタバコ取締りをめぐる紛争が起こり、28日同市内で国民党軍がデモ隊に発砲、これをきっかけに、3月1日から主要都市で民衆が官庁や警察を襲撃占拠、外省人(第2次大戦後、中国大陸から来た中国人)を殴打した。
事態の収拾に向けて、知識人や地方名士からなる二・二八事件処理委員会が台湾各地に組織された。

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白色テロとは コトバンク より

共産主義勢力などの反政府運動に対する為政者側の暴力的弾圧行為。
「白色」は、フランス王権の表徴である白百合に由来するという。

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『台湾を知るための72章【第2版】』

赤松美和子、若松大祐/編著 赤石書店 2022年発行

Ⅰ 現在までの歩み より

第7章 日本統治時代の捉え方――台湾史の多元性から考える

日清戦争の結果、1895年に結ばれた下関条約によって台湾は清朝から日本へ割譲され、1945年の日本の敗戦に至るまで台湾は植民地支配を受ける。この50年間をどのように呼ぶのか? 実のところ、台湾では呼び方が一定していない。かつての戒厳令下の時代には「日拠時期」(日本占拠時代)とされていたが、民主化以降は「日治時期」(日本統治時代)とするのが一般的になった。「日拠」という表現には、台湾は中国の不可分な領土であるという歴史認識に基づき、日本の台湾支配は不法占拠であったという合意がある。対して「日治」と言う場合には、オランダ、鄭氏政権、清朝など様々な外来政権に統治されてきた台湾の歴史的多元性を前提として、日本統治もそうした中で並列的に位置づける意図がある。日本統治時代をめぐるこうした用語の相違から、「中国」の正統性を軸に据えた「中華民国史」と、「台湾」というこの島における多元性を重視する「台湾史」との対立が垣間見える。近年は、統治・被統治という政治的コンテクストそのものから離れて時代相を捉えようという意図から「日本時代」と表記されるケースも増えている。
日本の敗戦により台湾を接収した国民党政権は、歴史教科書の編纂にあたって中華民国の正統性を示すことに力点を置いた。教科書の内容は中国史が中心で、台湾史が顧みられることはなかった。日本統治時代の台湾に関する記述もごくわずか、あったとしても抗日英雄の事績を称揚するばかり。その他の部分は事実上、空白に等しく、戦後に育った世代には台湾というこの島の歴史を知らないといういびつな状況に置かれてしまった。戦後の戒厳令下で沈黙を強いられた台湾人は政治的に周縁化されており、1980年代以降の民主化もおける台湾意識の高まりは、今まで知らなかったこの島の歴史を知りたいという欲求と密接に結びつく。また、民主化運動は二・二八事件白色テロといった恐怖政治による犠牲者の名誉回復及び真相解明要求と連動していたので、国民党政権によって隠蔽されてきた歴史の再検討という課題が台湾史研究の出発点の1つとなった。
もちろん、史実を客観的に解明しようという学問的動機が大きいとはいえ、体制批判という政治的動機も絡まっていた点は否定できない。戦後史研究と同様に日本統治時代に関する研究も進んだが、かつて国民党政権に押し付けられた歴史観への対抗言説としての性格も帯びていたと言えよう。
日本の植民地支配には、第1に西洋を基準とした近代化。第2に皇民化運動(1937年以降)で顕著にみられるように神社崇拝や改姓名などを推進した日本化という2つのベクトルが混在しており、プラス・マイナスを画然と分けて論ずるのは難しい。

公衆衛生の改善、鉄道や水利施設など産業関連のインフラ整備といった事業は、植民地支配の便宜上進められた施策であったとはいえ、結果として台湾の近代化に貢献したと評価する向きもある。日本の教育制度や出版物を通して西欧の先進文明へアクセスすることも可能となったし、初等教育でしつけられた礼儀正しさ、約束や時間の遵守、勤勉、公共心といった生活徳目(日本語世代は「日本精神」[台湾語でリップンチェンシン]と表現する)は近代的経済活動に適合的なエートス(習慣・特性)を養ったとも言えよう。

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2000年以降、崩れかけた日本統治時代の建造物を補修・復元して観光スポットに仕立てるケースがしばしば見られる。これは台湾史への主体的関心から活発化した古蹟保存の動きの一環として理解できる。現地の人からすれば郷土の歴史的景観を構成する一要素としてたまたま日本統治時代の建物も含まれるということであって、いわゆる「親日」かどうかは副次的な問題に過ぎない。また、若い世代を中心に1920~30年代の文化をレトロモダンなものとして愛好する人もいる。ただし、そうした関心には戦後に流入した日本に対するステレオタイプも混在しており、日本統治時代の記憶と直接つながっているとは限らない。
いわゆる「湾生」(台湾生まれの日本人)のエピソードも台湾で注目を浴びた。台湾は複雑な族群構成を持つため、現在では多文化性が社会的コンセンサスとなっている。日本の植民地統治にまつわる記憶の一つ一つも、台湾を特徴づける歴史的多元性の中にしっかり組み込まれていると言えよう。