じじぃの「科学・芸術_165_台湾の中華文化・本土文化・日本文化」

【驚異の親日の理由】日本人大好き台湾の謎 日台友好 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YJ88WCgzI1Q
八田与一の銅像

日本人技師像元通りに 八田与一墓前祭でお披露目 2017年5月9日 琉球新報
八田は日本統治時代に当時アジア最大級の烏山頭ダム建設を指導。不毛の地を台湾最大の穀倉地帯に変えた業績をたたえ、ダムのそばに墓と銅像が建てられた。
像は首から切断されたが、地元作家が保管されていた複製品の頭部を接ぎ合わせ、命日に間に合わせた。
http://ryukyushimpo.jp/mainichi/entry-492135.html
『台湾を知るための60章』 赤松美和子、若松大祐/著 赤石書店 2016年発行
中華文化・本土文化・日本文化 (一部抜粋しています)
中華文化」「本土文化」「日本文化」と聞いて読者は何を思い浮かべるだろうか? 「本土文化」は聞き慣れないだろうが、この「本土」は中国語で「現地の、在地の」という意味なので(中国大陸を指す言葉ではない)、「本土文化=台湾文化」と言い換えることもできる。
清朝、日本、中華民国の統治を経て来た歴史的経緯を考えると、台湾には「中華文化」、「本土文化」、そして「日本文化」が存在するといえる。その際、読者が想像するのは、食文化、民俗文化、伝統芸術文化、はたまた大衆文化だろうか。
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清朝の一部であった台湾が、1805年から50年間続いた日本植民地統治を経て、中華民国に「光復」(「祖国」復帰)したのが1945年である。50年間の日本統治を経た台湾は、1937年からの皇民化運動もあいまって、日本文化が相当程度浸透していた。しかし、日本統治時代の「日本文化」>「本土文化≧中華文化」の図式は、「光復」によって、「中華文化>本土文化」>「日本文化」の図式へと転換を余儀なくされることとなる。
日本の台湾が中華民国台湾省になったことで国民党政権側から叫ばれたのが「祖国化」であり、そこでの「中華文化」は「日本文化」とは対照的な存在――「中華文化=王道主義」 VS 「日本文化=武士道主義」――として説明された。中華文化儒教が説く徳を重んじる文化であり、日本文化は武士道文化であった。すなわち、徳をもって人心を凝集させる中華(道徳)文化の優れた価値が強調される他方、武力で帝国の勢力を拡張していく原動力となった日本(武士道)文化は一掃されるべきであることから、台湾人が日本人から中国人になることの優位性が説明されたのであった。
「光復」当初の「本土文化」は、本来台湾を覆っていた原住民文化ではなく、主として福建や広東からの移民によって取って代わった漢民族文化を指し、そこでは祖国(中国)との密接なつながりを証明する役割が求められた。しかし、中国からの外省人の移入は、台湾社会を日本統治時代の近代的「法治文化」から封建的伝統中国の「人治文化」へと転換させ、日本時代にはほとんど見られなかった汚職、不正、犯罪の蔓延をもたらした。見かねた台湾人は、「祖国化」が「台湾文化を30年も退化させ」る、と新聞に投書するほどであった。
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「光復」当初、台湾は日本の植民地によって日本文化が優勢となり、中華文化が失われつつあると形容される向きもあった。しかし、その台湾が政治状況の変化によって「光復」20年後には一転して中華文化の聖地と位置づけられたのである。
とはいえ、台湾における1987年の戒厳令解除後の自由化と民主化は、それまでの政治的イデオロギー脱構築していくこととなる。台湾人として初の中華民国総統となった李登輝(1988〜2000)、台湾独立を党是に掲げていた民進党から総統となった陳水扁(2000〜2008)の時代を経て、日本統治を経験した台湾人(およびその後裔)が政治の表舞台で活躍していったことで、人々は次第に中国とは異なる台湾独自のアイデンティティを求めるようになっていった。すると、中国との文化的一体性を示すために国民党政権から重要視された「中華文化」よりも、文化面から台湾の独自性を主張するために「本土文化=台湾文化」の重要性が強調されるようになっていったのである。そこでは、従来は、一地方文化として位置づけられていた原住民文化の地位向上に代表される大きな転換が見られるようになった。1945年から長く続いた国民党の大中国史観の下での「中華文化>本土文化」>「日本文化」の図式は、ここから「本土文化」>「中華文化≧日本文化」の図式の把握を人々に可能にさせることとなったのである。
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ちなみに、今にちでは「台湾に残る日本文化」に対する現地の人の眼差しや評価には極めて好意的なものがある。戦後に撤去された台湾各地の神社「発見」ブームはその一例であろう。しかしその際、「台湾に残る日本文化」は、「かれら日本」の外国文化が植民地支配によって強制的に押し付けられたというよりも。むしろ、積極的に「われわれ台湾」の歴史的・文化的文脈が中国とは異なることの証拠として恣意的に持ち出され、語られる場合が決して少なくない。特に独立志向の人々にとって、その場合は、「本土文化+日本文化」>「中華文化」となることにも注意を払う必要があるだろう。
台湾に存在する「中華文化」、「本土文化」。そして「日本文化」は、異なる出目の人々が台湾に持ち込んできた「文化的多様性の融合によって台湾社会を豊かにしてきた」点において共通した意義を有する。しかし同時に、それは「文化的差異性の強調によって台湾社会を分断してきた」側面もある。「統一 VS 独立」イデオロギーと文化の語りは無関係ではなく、だからこそ、台湾で文化が語られる時、その背後にある歴史的経緯と政治性に敏感になる必要があるのである。