The Out-of-Taiwan Theory, Explained
Birthplace of Austronesian Languages
Taiwan: Birthplace of Austronesian Languages
January 16, 2014 NEWS & EVENTS
The diversity of Taiwanese languages strongly suggests that Austronesian peoples have inhabited Taiwan for 8,000 years.
Population growth contributed to out-migration from Taiwan to the Philippines starting 6,000 - 7,000 years ago, and thence to mainland Southeast Asia and the islands of Indonesia. From maritime SE Asia, Austronesians fanned eastward to the islands of the South Pacific between 1200 B.C. and 1280 A.D., when New Zealand became the last major island group to be settled. Austronesians fanned westward into the Indian Ocean and landed in Madagascar by 500 A.D.
http://iwri.org/taiwan-birthplace-of-austronesian-languages/
第4章 台湾と中華民国の異なる歴史 より
阿倍元首相が深めた日台関係
それから(2011年3月11日に発生した東日本大震災が起きた後、台湾から日本に200億円の義援金が届いた)10年以上たって、状況はかなり変わったと思う。この原稿を書いている2022年7月、日台外交を大きく推進することに尽力した政治家、安倍晋三・元首相が暗殺の凶弾に倒れた。このニュースに、台湾人は日本人以上に悲しみ、追悼や悲しみを表していたと、林建良・台湾独立建国連盟日本本部委員長から聞いた。
林氏とは7月19日に行われた李登輝友の会シンポジウムで久しぶりにお会いし、ともに登壇したのだがそのときに林氏は「台湾人にとって安倍さんはメンター(指導者、助言者)だった」と語っていた。
日本人の大多数も悲しみに暮れており、初七日(しょなぬか)まで自民党本部に設けられた献花台には連日長蛇の列ができていた。だが、たしかに一部、イデオロギー上相容れない日本人達が、その死に際しても罵詈雑言を憚(はばか)らない状況もあり、台湾人のほうがより深く哀悼しているように見えるかもしれない。台湾政府からは岸信夫防衛相から直接連絡を受けた台湾の頼清徳・副総統が安倍家の通夜と葬儀に駆け付けた。
また、台湾一高いビル「台北101」で「敬悼、安倍首相」の文字や「ありがとう」といった日本語メッセージがタワーの壁面に映し出された。何人もの台湾人の知人が、新型コロナ禍のなかでなければ、すぐにでも日本に行って献花したいといっていた。「台湾民意基金会」という比較的国民党寄りの世論調査機関ですら、71.9%の台湾人が安倍氏の死を悲しんでいるという調査結果を出していた。支持政党別に見ると、民進党支持者は88.9%が安倍氏の死を悲しんでいるという。
ここまで台湾で安倍首相が愛されていたのは、それだけ安倍政権時代に対台湾政策はいくつかの実質的な成果を上げていたことがある。たとえば2013年4月に調印された「日台民間業業取り決め」は、当時の安倍首相の高度な政治的決断によって妥結した。この取り決めは台湾漁民にきわめて有利な内容であったが、馬英九政権下で急接近していた中台にくさびを打ち込む外交的意義を日本は優先した。
馬総統はこの調印に「領土は分かち合えないが、資源は分かち合える」と安倍外交を賞賛していた。台湾漁民は実利を得て、世論の日本への好意は一気に上がった。また2017年には、日本の対台湾窓口機関が、「公益財団法人交流協会」から「公益財団法人日本台湾交流協会」と、台湾の名前を入れた。台湾の対日本窓口機関も「亜東関係協会」から「台湾日本関係協会」に名称を変更した。これも安倍政権下だからできた、といわれている。
「私はタイワ二ーズ」
台湾は中華なのだろうか。少なくとも今の段階では自らを中華、華人、チャイニーズと自任する台湾人も多かろう。だが、「私は台湾人(タイワ二ーズ)」と名乗る台湾人も確実に増えている。チャイニーズではなく、タイワ二ーズと。
それは、あまりにも中国人(チャイニーズ)が共産党政府の振る舞いにしても、中国人個人の旅行者やビジネスマン、留学生の振る舞いにしても海外で評判が芳(かんば)しくないので一緒にされたくない、という気持ちがあるようだ。
同時に、自分は何者であるか、というアイデンティティは自らの経験を踏まえて形成していくものであり、台湾人のそれは、台湾の歴史的・政治的経験を経て、中華人民共和国とも中華民国とも異なるものに育ちつつある。中国のいう祖国統一の「祖国」とは、タイワ二ーズを名乗る人々には台湾島と周辺の島々しかないのである。
台湾人の起源は南太平洋島嶼国の人々
そしてじつは、この島の原住民は人種的にいえばオーストロネシア語族に属し、南太平洋島嶼国の人々に近い。しかも、南太平洋島嶼国から台湾に移り住んできたのではなく、台湾から南太平洋島嶼国に拡散していった。つまり、台湾人は南太平洋島嶼国の人々の起源だという説がある。
位置的には中国の東南海岸から直接130kmの西太平洋にある火山島、面積は3万6200km2、九州を8掛けにしたくらいの大きさに約2350万人余りが暮らす。平均人口密度は世界2位という。
常夏の島というイメージだが、北部が亜熱帯、南部が熱帯で、台北の冬は意外に肌寒い。中央に富士山より高い玉山があり、太平洋戦争を開戦を指示する「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文の新高山とは、玉山の日本語統治時代の名前だ。中央の高山地帯は冬季に雪も降り、台風や地震の天災被害もしばしば甚大で、気候地形や自然の変化には少し日本に近いものもある。
十三行文化の始まり
この台湾は、じつはちょっと不思議な島で、最近の研究では原住民はハワイ、オーストラリア、ニュージーランド、ソロモン諸島の島々からイースター島、西はマダガスカルまで広く分布するオーストロネシア語族のなかで、起源といってもいいくらい古いらしい。そのオーストロネシア語族がどこから、台湾に来たのかはまだ判明していない。一説には、まだ台湾と中国が地続きであったころ中国南部の人たちが台湾に移り住んでいたらしい。
3~5万年前の旧石器時代には、台湾島にはすでに人類が住んでいた。台南市左鎮区で発見された2~3万年前の人骨は、左鎮人と呼ばれている。7000年前に新石器時代が始まり、2000年前には鉄を使った十三行文化が始まった。淡水川口左岸にある十三行という場所では、3世紀ごろの多数の溶鉱炉と伸展葬や屈葬の墓、住居、土器や石器、鉄器や銀器が発見され、現地の「台湾県十三行博物館」に展示されていた。
この文化は15世紀まで存続し、中国との交易の証拠ともいえる青銅製刀柄や漢~宋代の銅銭も発見されている。十三行文化の担い手は、考古学データなどから台湾島北部先住民、平浦族のケタガラン族(凱達格蘭族)との氏族的関係が推定されている。16世紀前半まで、こうしたオーストロネシア語族の複数の民族集団が分かれて暮らしていたと見られている。