じじぃの「科学・地球_337_世界を変えた100のポスター・闘牛ポスター」

Catalonia's Last Bullfight

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hm1LkfpCFDY

『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

079 闘牛ポスター より

Bullfighting Posters[1972年]

スペインの闘牛の素晴らしさをはじめて国際社会に知らしめたのは、アーネスト・ヘミングウェイだったかもしれない。だが、それを土産のポスターという形で家にもち帰る気にさせたのは、1969年代に盛んになったパック旅行だった。

1932年、アーネスト・ヘミングウェイは『武器よさらば』のヒットで波に乗っていた。だが続いて書くことにしたのは同じ小説ではなく、スペインの闘牛の素晴らしさとその象徴するものを称えるノンフィクションだった。闘牛を見ることは「戦争の最前列の席に座るようなものだ」と彼は書いている。
スペイン語で「コリーダ」と呼ばれるスペイン式の闘牛。歴史に深く根差したルーツがあり、メソポタミアの雄ウシの信仰と生贄の儀式、さらには古代イランのミトラス信仰にまでさかのぼると考えられる。旧石器時代の洞窟の遺跡からは、雄ウシの様式化された壁画が見つかっている。古代ローマ人は闘牛を愛し、このならわしを帝国中に広めた。だがスペインほど生活の一番になった場所はほかにない。
フランシスコ・ロメロは1720年代にはじめて、乗っていたウマを捨てて雄ウシと正真正銘の一騎打ちをしたといわれる。群集はやんやの騒ぎになりそれ以降スペインの闘牛は変わってしまった。近代的スタイルを確立したのは、ホアン・ベルモンテだった。このマタドールはつねに雄ウシの至近距離にいることにおだわった。そのかいもあり何度も角で突かれたが、この革新的アイデアは定着した。
これぞ闘牛というエニなるのが最後の場面だ。マタドールはムレタという赤い布をひるがえし、舞踊のようにウシの突進を何度もかわしたあげく、短剣でウシを倒す。そしてこれもまた舞踊のように、目の肥えた者ばかりの観客がその芸術的表現を評価するのだ。
マタドールによる芸術性の追求にくわえて、ポスター広告においても闘牛特有の絵とレタリングのスタイルが発展した。そこで部分的に応用されたのが、サーカスと映画のポスターのスタイルだ。闘牛ポスターが刷られた縦長の薄い紙は、時代を代表するマタドールの雄姿をとどめるのに適していた。リトグラフが進歩して色の最限度はますますよくなり、一級品の闘牛ポスターは専門のアーティストと印刷機によって作られた。
1950年代に圧倒的影響力をおよばしたのは、スペイン東海岸にあるバレンシア市の出版物と、特筆すべきひとりのアーティストだった。バレンシア生まれのホアン・レウス(1912-2003年)は、同市のオルテガ印刷会社とよく組んで仕事をしていた。レウスのポスターはレタリングのない未完成品として印刷された。するとどんな参加者による闘牛でも項目を刷り重ねられる。レウスは1920年代の闘牛アートの巨匠、ロベルト・ドミンゴから技能を学んでいた。
このポスターの劇的な画像は他のジャンルのポップアートを思い起こさせる。
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時代は進んでいる。現在の土産物の闘牛ポスターは、ロバのわら人形と安っぽさを張りあっている。いまやそうした皮肉を感じさせないポスターは少ない。だがスペインでこの伝統は驚くほど変化を寄せつけていない。動物虐待の懸念の影響はほんのわずかだ。スペイン人の大半は気にしておらず、1920年代のヘミングウェイと同じく、今日も闘牛という儀式化された殺戮に釘づけになっている。