じじぃの「人の死にざま_180_いわさき・ち」

いわさきちひろ - あのひと検索 SPYSEE
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いわさきちひろ・心に刻む風景 動画 Woopie
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ちひろ美術館−いわさきひちろの美術館 東京・安曇野
http://www.chihiro.jp/
いわさきちひろ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
いわさきちひろ(本名 松本知弘(まつもと・ちひろ、旧姓岩崎)1918年12月15日-1974年8月8日、女性)は、こどもの水彩画に代表される福井県武生市(現在の越前市)生まれの日本の画家・絵本作家である。左利き。
初期作品には、岩崎ちひろ、岩崎知弘、イワサキチヒロ名義で発表されたものが存在する。夫は日本共産党元国会議員松本善明
【童画家活動】
当初のちひろは油彩画も多く手がけており、仕事は広告ポスターや新聞・雑誌のカットや表紙絵などが主だった。この頃ちひろの絵には少女趣味だ、かわいらしすぎるなどの批判があり、ちひろ自身もそのことに悩んでいた。1963年(44歳)、雑誌「子どものしあわせ」の表紙絵を担当することになったことがその後の作品に大きく影響を与える。「子どもを題材にしていればどのようにかいてもいい」という依頼に、ちひろはこれまでの迷いを捨て、自分の感性に素直にかいていく決意をした。また1962年の作品『子ども』を最後に油彩画をやめ、以降はもっぱら水彩画に専念することにした。「子どものしあわせ」はちひろにとって実験の場でもあり、そこで培った技法は絵本などの作品にも多く取り入れられている。当初は二色もしくは三色刷りだったが、1969年にカラー印刷になると、ちひろの代表作となるものがこの雑誌で多くかかれるようになった。この仕事は1974年に55歳で亡くなるまで続けられ、ちひろのライフワークともいえるものであった。
画家を志すきっかけとなった紙芝居『お母さんの話』をはじめ、ちひろハンス・クリスチャン・アンデルセンに深い思い入れをもっており、当初から多くの作品を手がけていた。1963年(44歳)6月に世界婦人会議の日本代表団として渡ったソビエト連邦では異国の風景を数多くスケッチし、アンデルセンへの思いを新たにした。さらに1966年(47歳)、アンデルセンの生まれ育ったオーデンセを訪れたいとの思いを募らせていたちひろは、「美術家のヨーロッパ気まま旅行」に母・文江とともに参加し、その念願を果たした。この時ちひろアンデルセンの生家を訪れ、ヨーロッパ各地で大量のスケッチを残した。二度の海外旅行で得た経験は同年に出版された『絵のない絵本』に生かされた。
当時の日本では、絵本というものは文が主体であり、絵はあくまで従、文章あってのものにすぎないと考えられていた。至光社武市八十雄は欧米の絵本作家からそうした苦言を受け、ちひろに声をかけた。二人はこうして新しい絵本、「絵で展開する絵本」の制作に取り組んだ。そして1968年『あめのひのおるすばん』が出版されると、それ以降ほぼ毎年のように新しい絵本を制作した。中でも1972年の『ことりのくるひ』はボローニャ国際児童図書展でグラフィック賞を受賞した。

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『ラブレター』 いわさきちひろ/著 講談社 2004年発行 (一部抜粋しています)
童画と私
絵をかくのが本職の私は、文をかくのがどうもおっくうでとうとう日がなくなってしまった。そこで横着(おうちゃく)をきめこんで、私のかってなおしゃべりを記事にしてもらったが、できあがったその原稿は、どこか、私のもののようではあったけど、まったくちがった内容をもった不思議な感じのものになってしまった。
私は、自分の横着を後悔しながらも、まず感じたことは、編集者が考えている私と、自分で考えた私とは、だいぶちがっているということだった。きっと、これは読者の人たちが考えている私の像とのちがいでもあるらしく、そこがなんともおもしろかった。
一口にいって、私はいっしんに児童文化の発展のために、子どもたちのよろこびのためにだけ、かいていると人は思われているらしいが、そういうわけではない。なによりも、自分のためにかいている。感動でいっぱいになってかくときも、つまらないと思いつつ、画稿のためにかくときも、うまくいかないときもあるけれど、いつもこんどこそはと思いながら、かきつづけている。ときどきは、あまりうまくいかず自分の能力にうたがいをもち、絶望的になったりするけれど、日本の子どもたちのために申しわけなくて、絶望的になっているわけではけっしてない。子どものためなら、ほかにもいる画家が、もっといい仕事をしてくれれば、それでもいいわけだから。
しかし、私がどう思って絵をかこうと、客観的には児童文化のためにやくだっていることは否定できない。これは、私の思わぬしあわせである。もし、世界じゅうに子どもがいなくなったとしても、こういうかきぶりでしか、絵をかくほかはない私にとって、まさに、子どもは、私の絵のためのたいせつな存在である。そして、なんとなくなごむような、静かなひととき、ふっと、自分は子どものための芸術家なのだという感動に責任のようなものを感じたりする。
私は、仕事の性質上、たくさんの童話をよむけれど、私のすきな童話というものは、あくまでも自分の絵に、都合よくできているものばかりである。詩のようにことばの短く、うつくしく、いろいろなことを思いうかべることのできる、そんなものがすきである。おひめさまが、どんな着物をきてて、どんな顔つきであるなどと、おとなの小説のように克明にかいてあると、私のイメージは、しぼんでしまい、うまくいかない。
おばさんは、とぼとぼ歩くだけでその情景が、なんとなくでていればいい。私は、文をよんで、かってに自分のこのみにあわせて、その絵をかいていく。作家にとって、こんなかき方をされるのは、ずいぶん迷惑かもしれないが、自由にかくことができればできるほど、絵をかくことがたのしくなる。
数年前だったろうか。おとなの小説のさし絵をかいていて、その作家と、私の感じ方のちがいにおどろき、かきつづけることが、とても苦痛になったのがある。その点では、童話の世界は、へんに表現のこまやかさがないのでわりに楽しく仕事をすすめることができるようだ。
たとえ克明にかいてあってもなお、私がかきよいものに、アンデルセンの童話の中のいくつかがある。「マッチ売りの少女」とか、いろいろなおひめさま、また魔女たちに、私は、それぞれのイメージをつくり、それをすこしずつ発展させながら、なんかいかいたことだろう。なんかいかいても、なお工夫するたのしさを、私はいまだに失なわないでいる。
100年もの年代の差をこえて、私の心に、かわらないうつくしさをなげかけてくれるアンデルセン−−。むかしふうの文章なのだけれど、その中にいまの社会につうじる、同じ庶民の悲しさをうたいあげているこの作家に、私は、ずいぶん学ぶことが多い。アンデルセンの童話のもっている夢が、たいへんリアルであるということが、現代の私たちの心にもつうじるのであろう。
およばずながら、私も長い生命をもった、童画家でありたいと思う。さざなみのような画風の流行に左右されず、何年も読みつづけられる絵本を、せつにかきたいと思う。もっとも個性的であることが、もっとも本当のものであるといわれるように、私は、すべて自分で考えたような絵本をつくりたいと思う。そして、この童画の世界からは、さし絵ということばをなくしてしまいたい。
童画は、けっしてただの文の説明であってはならないと思う。その絵は、文で表現されたのと、まったくちがった面からの、独立したひとつのたいせつな芸術だと思うからです。
おじいさんのすることにまちがいはない
"おじいさんのすることにまちがいはない"というアンデルセンの童話をご存じですか。うまをつれて町へでたおじいさんが、途中でであった人たちといろいろなものに交換しながら、さいごにくさったりんごと1袋ととりかえてかえってきます。それをむかえたおばあさんが、「ほんとにおじいさんのすることにはまちがいはない」といってほめる話です。
私たち夫婦は、おたがいに、その童話のおばあさんに、少し似ているところがあります。だから少しおめでたく、すこししあわせなのではないかと思います。
私は夫の仕事をおおまかには理解しているんですけれど、細かいことはむずかしくてよくわかりません。だいいちあんなのおおぜいの人前で演説をするなんてことはまったく不思議な、異質な能力です。夫にしたってきっとそうでしょう。音楽と図画ではいい点をとったことがない人ですから、私のことを同じように、なんと不思議な能力のある女性だろうと思っているにちがいありません。そういうことは口にだしませんが、私がどんなにへたな絵をかいたって感心してほめてくれるところを見ればわかります。まさにさきに童話のおじいさん版です。
こんなわけで、おたがいに仕事のことは直接にはたよれないけれど、私の絵がスランプで困っているときなど、夜おそく私は夫にいろんな話をしかけます。どういうふうに私たちは生きていかなくてはならないだろうかというような話、目さきの具体的な話でなくて、なんだか大きい人生の話です。この話し合いは絵には直接関係がないのに、わたしの仕事にはプラスになるのです。
自分の毎日かいている絵を、せせこましい技術をはなれて、この世の中や、また歴史の中に大きくひろげて考えてみることができるからです。

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