じじぃの「人の死にざま_1627_飯沢匡(劇作家)」

ブーフーウー 1/3 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e8-3sTc519Q
飯沢匡

飯沢匡 ウィキペディアWikipedia) より
飯沢 匡(いいざわ ただす、1909年7月23日 - 1994年10月9日)は、日本の劇作家、演出家、小説家。
飯沢匡喜劇全集』全6巻がある。政治風刺劇のほか、NHKの子供番組の脚本で知られた。
いわさきちひろ絵本美術館(現・ちひろ美術館)初代館長でもある。黒柳徹子とは「ヤン坊ニン坊トン坊」以来師弟関係にあり、ラジオ・テレビ・舞台と多くの作品で競演し、極めて親密な関係であった。飯沢が亡くなって久しい今でも、黒柳は飯沢の事を話す際は常に敬語で思慕の念を込めて話している。
ブーフーウー
ブーフーウー」 (Boo Foo Woo)は、1960年(昭和35年)9月5日から1967年(昭和42年)3月28日までNHK総合テレビで放送されていた着ぐるみによる人形劇。
・すべて、作詞は飯沢匡、作曲は小森昭宏によるもの。

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『徹子ザ・ベスト』 黒柳徹子/著 講談社 2011年発行
ライフワークは舞台 (一部抜粋しています)
作品を決めるときは、まず台本ありき。それが決まったら、実在の人物を演じるのであれば、その人がどういう人かを徹底的に勉強します。
人物像が、うまく身体の中に入るように。台詞を覚えるのは、そのあと。だいたいお稽古中に、「そろそろ覚えてください」と言われることが多いわね(苦笑)。でも、舞台で俳優が演じていることは、その人物の氷山の一角でしかない。その人の全人生に比べたら、2時間で表現できるものなんて、ほんの一部でしょう? だからこそ、水の中の何倍もの氷、つまり隠された人生を凝縮させなければならないの。
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私の舞台をご覧になったかたから、あとでよく言われるのは、最初に登場したときはみなさん、「あ、黒柳徹子だ!」って思うんだけど、時間が経つにつれて、だんだん、”その人”に見えてくるんですって。舞台って不思議なのね。1997年に、『ライオンのあとで』という作品で、女優のラサ・ベルナールを演じました。ラサ・ベルナールは、亡くなったときにフランスで国葬にまでなった大女優。晩年、ケガがもとで右脚を切断して、義足になってからも女優を続けていた人です。『ライオンのあとで』は、彼女の伝記的な作品で、幕引きに、こういう台詞があったの。「どうぞ思い切って、切ってください。全然構わないわ、切って。膝の上から」って。それを、軍医さんに向かって言うんだけれど、そのとき、必ず声がかすれちゃうのね。はじめは、昼のマチネーの公演だったからかな? と思っていたら、2回目の夜のときも、幕開きは、やっぱりかすれたんです。人間って、一番痛いときは、声がかすれるんですってね。痛い思いをしたときは、きっと声帯も疲れるってことなんでしょうね。私も、そこまで演じ切れているわけじゃないと思うんだけど、何度やっても、やっぱり声がかすれたので、みんなで、「神懸かり的だ」って冗談を言ってたくらい。だって、(脚を)切った芝居のあとからは普通の声になるの。
 一人の人生を演じるのだから、どうせなら、共感できる人がいいと思いますね。これまで、共感できない人は演じたことがないし、難しいと思う。ただ、脇役でなら、共感できない人の役もやりますよ。面白いもの。
私がなぜ翻訳物にこだわるかというと、オリジナルだと、いくら当て書きといっても、脚本ができあがったときに、「え?」って思うことも、あるかもしれないでしょ? それに、ギリギリに仕上がって、「勉強する時間がない!」ということもありそうだし……。私は、準備に時間をかけるほうだから、バタバタするのはイヤなんです。あとは、演出家で劇作家の飯沢匡先生から、「君に関しては、外国人をやったほうがいいかもしれないね。日本人よりも、いろんなタイプの女の人が外国の芝居には出てくるから」と言われたこともありますし。そうそう、私、向田邦子さんとも仲良しだったんですけど、彼女は、「私の書くものに、あなたみたいな人って、出ないのよ。寺内貫太郎とか。だけど、あなたがおばあさんになったら、日本人にいないおばあさんが出る芝居を書きたいから、早くおばあさんになって!」とおっしゃっていました。でも、向田さんがいないから、おばあさんになっても、つまんない。