じじぃの「科学・地球_330_世界を変えた100のポスター・B級スリラー映画」

Attack Of The Crab Monsters Trailer

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The Screaming Skull (1958) - Official Trailer (HD)

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Giant Killer Ants Wreak Havoc On The World! 'THEM!' (1954) RETRO REVIEW

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The Screaming Skull

1958 Independently Made American Horror Film Screaming Skull

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『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

065 B級スリラー映画 より

Film:B-Film Thrillers[1957年、1958年]

国際的な緊張が高まる時期に、ハリウッドがエイリアン映画を作るというのは紛れもない真実だ。1948年から1962年のあいだに、ハリウッドが公開したSFとホラーの長編劇映画は500本を超えた。このときソ連共産主義に対するアメリカの恐怖は頂点に達していた。

それは感情が激しく揺れ動いた時期だった。第二次世界大戦終戦でホットした気分は、その最終手段となった原子爆弾への恐怖により削がれた。原爆を作りだした科学は、原子力時代の豊かな近代化の幕開けをも告げていた。
リベラルな映画産業は、ジョゼフ・マッカーシー上院議員赤狩りの格好の標的になった。そのため撮影所は製作する映画が文化的、政治的に危険であると解釈されないよう用心するようになった。SFとホラーには緊張と解決という、ドラマを成立させる必要条件がある。どちらも危険の正体を見せるより気配をにおわせるほうが、恐怖は高まるし予算もかからない。また名監督が手がけ察しのよい観客が観る分には、アメリカの社会と政治についての遠まわしな批判の伝達手段になりえた。
だが1950年代にそこそこの腕の監督の手にかかり、洪水のように製作された映画は純然たる娯楽映画だった。『巨大カニ怪獣の襲撃』『叫ぶドクロ Screaming Skull』といった映画だ。興味をそそるよう大げさな映像が作られたが、今振り返ると少なくともふっと笑わされる面白さはある。ちょうどこの頃、郊外にドライブイン・シアターが増え、戦後の好況の中で新市場、つまり自由に使える収入を手にしたティーンエイジャーが出現した。娯楽映画は現実逃避であり、それを補強したのは人は死を免れないという存在論的恐怖そのものだった。だがそもそも、人はその現実から逃れるためにドライブインに行ったのだ。
こうした映画を宣伝するポスターは低俗小説のペーパーバックの表紙からそっくりヒントを得ている。気味が悪く思わせぶりで、興味をそそり、暴力的なのだ。『巨大カニ怪獣の襲撃』は1957年に公開された。この映画の放射能を浴びた甲殻類じは、『ゴジラ』や1954年の『放射能X』の巨大アリと同様に核爆発の産物だったが、それだけではない。ポスターから判断すると、明らかにアジア人の顔をしているのだ。日本、北朝鮮と銃火を交えたあとベトナムとの戦いが間近に迫る状況で、無名アーティストはチケットの宣伝効果をあげるために、アメリカ人の「黄禍」の恐怖につけこんでいる。人種的な固定観念は映画のカニにはそれほどあからさまに表れていなかった。
『叫ぶドクロ』はその1年後に封切りされた。
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「花嫁の寝室で呪われた幽霊が復讐を誓う」は基本をすべて踏まえている。超自然的存在による恐怖、肌もあらわな主人公、そして――ドラマ『アイ・ラブ・ルーシー』のテレビ界きっての有名夫婦が、検閲をパスするために寝室を別にする設定になっている時代に――寝室中心の場面設定だ。『叫ぶドクロ』が1973年にリメイクされたのは偶然ではない。このときベトナム戦争は終わりに近づき、ニクソンはその前年の1972年に中国を訪問して、冷戦を激化させている。
重要なことにこうしたポスターは絵で、写真ではなかった。映画の宣伝内容をいくらでも誇張できたので、その限界があるとしたらアーティストの想像力だけだった。B級映画が編みだした映画言語[フレーミング、カット、カメラ・アングルなどの映像文法]を、今日も用いる監督はいる。できの悪い映画でたまたま使っているが、秀作でも敬意の印として計算して採り入れているのだ。