China-Laos railway in 90 seconds
経済制裁強まるロシア 日用品の値上げもモスクワ郊外の市場で中国語? (2022年4月18日)
「Belt and Road Strategy」 China-Laos Railway
China-Laos Railway a road of friendship that leads to prosperity
5 Decembre 2021
The China-Laos Railway is not only a key project of China-Laos cooperation, but also a key hub of the regional transport network.
To make full use of its radiation and demonstration effects, all parties concerned will start working on connecting the China-Laos Railway to the Laos-Thailand Railway, so as to further connect the networks of the Singapore-Malaysia railway and the China-Europe Railway Express.
https://www.alwihdainfo.com/China-Laos-Railway-a-road-of-friendship-that-leads-to-prosperity_a109384.html
新しい世界の資源地図――エネルギー・気候変動・国家の衝突
ヤーギン,ダニエル【著】〈Yergin Daniel〉/黒輪 篤嗣【訳】
地政学とエネルギー分野の劇的な変化によって、どのような新しい世界地図が形作られようとしているのか?
エネルギー問題の世界的権威で、ピューリッツァー賞受賞者の著者が、エネルギー革命と気候変動との闘い、ダイナミックに変化し続ける地図を読み解く衝撃の書。
目次
第1部 米国の新しい地図
第2部 ロシアの地図
第3部 中国の地図
第4部 中東の地図
第5部 自動車の地図
第6部 気候の地図
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
序論 より
本書では、この新しい地図を読み解いていきたい。世界における米国の地位はシェール革命でどう変わったか。米国vsロシア・中国の新冷戦はどのように、どういう原因で発生しようとしているか。新冷戦にエネルギーはどういう役割を果たすのか。米中の全般的な関係は今後、どれくらい急速に(どれくらいの危険をはらんで)「関与」から「戦略的競争」へ推移し、冷戦の勃発と言える様相を帯び始めるか。いまだに世界の石油の3分の1と、かなりの割合の天然ガスを供給している中東の土台はどれくらい不安定になっているか。1世紀以上にわたって続き、すっかり当たり前になっている石油と自動車の生態系が今、新たな移動革命によってどのような脅威にされされているか。気候変動への懸念によってエネルギー地図がどのように描き直されているか、また、長年議論されてきた化石燃料から再生可能エネルギーへの「エネルギー転換」が実際にどのように成し遂げられるか。そして、新型コロナウイルスによってエネルギー市場や、世界の石油を現在支配しているビッグスリー(米国、サウジアラビア、ロシア)の役割はどう変わるのか。
第1部「米国の新しい地図」では、突如として起こったシェール革命の経緯を振り返る。シェール革命は世界のエネルギー市場を激変させ、世界の地政学を塗り替え、米国の立ち位置を変えた。シェールオイルとシェールガスが、21世紀の現在まで最大のエネルギーイノベーションであると言える。
・
第3部「中国の地図」は、いわゆる「国恥の100年」(100年来の屈辱)と、ここ20年にわたる経済力と軍事力の飛躍的な伸長、それに世界最大になろうとしている経済(見方によってはすでにそうなっている)のエネルギー需要にもとづいて描かれる。中国は地理から軍事、経済、テクノロジー、政治にいたるまで、あらゆる方面で勢力を拡大しつつある。「世界の工場」は今、バリューチェーンの上流にのぼって、今世紀の新産業で世界の盟主になろうと狙っている。また、南シナ海のほぼ全域に対して、自国の領有権を主張してもいる。南シナ海は世界の海上通商路の枢要をなす海域であり、現在、米中の戦略上の対立が最も先鋭化している場所だ。中国よるこの領有権の主張にはエネルギーの問題が大きく関わっている。
中国の「一帯一路」構想は、アジアとユーラシア、さらにその先まで広がる経済圏を描き直し、世界経済の中心に「中華帝国」を据えようとするものだ。
第3部 中国の地図 より
第25章 一帯一路
中央アジアにあるカザフスタンの首都、ヌルスルタン(旧アスタナ)は部分的に新しい都市だ。シベリアから冷たい風が吹き付けてくる。冬の寒さが厳しい都市で、旧地区は、ソ連時代、ツェリノグラードというまた別の名で呼ばれていた。僻地にある活気のない都市だったが、カザフスタンが独立を果たしたときに新しい首都に選ばれた。
新地区には高層ビルが立ち並び、世界的に有名な建築家によって設計されたきらびやかな近未来都市の街並みが広がる。そのような都市開発が可能になったのはひとえに、1991年の独立以来、外国からもたらされている石油収入の増大のおかげだ。カザフスタンは中央アジア諸国の中で最もグローバル経済との統合に力を入れてきた。首都には、金融ハブにする目的で建設された、英国の商法を準拠法にするアスタナ国際金融センターがある。石油資源も、中央アジアのどの国よりもはるかに豊富で、おかげで中央アジアで最も裕福な国になっている。
2013年、中国の習近平国家主席がこの首都を訪れ、ナザルバエフ大学で講演した。カザフスタンと世界をつなぐという大学のミッションにもとづいて、授業がすべて英語で行われている大学だ。習はこの講演で、中国の新しい世界経済地図「一帯一路」を初めて披露した。それは世界経済の地図を描き直し、その中央にかつて「中華王朝」を名乗った中国を位置付けようとする構想だった。この構想では中国とユーラシア(ヨーロッパとアジアをひと続きの大陸と見なすときの呼称)全土とをインフラやエネルギー、投資、通信、政治、文化を通じて、つなごうとされていた。一帯一路の範囲はこのあとさらに広げられ、中東とアフリカも含まれることになる。中国は発展の原動力、選ばれるパートナー、有力な資金提供者、プロモーター、壮大な戦略家になるという。
その日、習はある歴史上の人物を引き合いに出した。前2世紀、漢王朝の使者として中央アジアに派遣された張騫(ちょうけん)という人物だ。張騫は遊牧民に10年余りにわたって拘留されたのち、中国に戻って、それまで知られていなかった西域との交易の価値のついて皇帝に報告した。2000年以上の遠い昔に思いを馳せた習国家主席は、詩的な、神秘的な気分に浸ったように言った。「こうしてここに立って歴史上の出来事を振り返っていると、山々にこだまするラクダの鈴の音が聞こえ、砂漠から立ちのぼる煙のすじが見えてくるようです」。
張騫の報告がきっかけとなり、西域との交易路の開発は始まった。交易路は、最初は中央アジアやペルシャまで、のちには途切れている部分もあるが、ローマ帝国まで達した。大陸を横断するこの交易路に特定の名前はなかった。「ザイデンシュトラーセ」――絹の道(シルクロード)――と名付けられたのは1877年のことだ。名付け親は、地質学者で地理学者のフェルディナント・フォン・リヒトホーフェンというドイツ人だった。リヒトホーフェンは採鉱の可能な場所と、欧州への鉄道の候補ルートを探すため、中国に派遣されていた。「シルクロード」という名を選んだのは、古代ローマ人のあいだで中国産の絹が人気を博したことによって、交易が盛んになったからだった。古代ローマでは、絹の人気はときに過熱もしたようだ。ある元老院議員は、絹は女性の体をあらわにし過ぎ、不貞を著超すると批判している。
「シルクロード」といっても1本の舗装された道が延びていたわけではなく、タクラマン砂漠の周囲の一連の野道だった。オアシスの町からオアシスの町へと、しばしば危険に満ちた道をたどっていき、さらに険しい山々を越えて行かなくてはいけなかった。それでも、1000年以上、シルクロードは商品(絹や香辛料から革製品や楽器まで)のほか、文化や、宗教、言葉を運ぶ重要な輸送路として栄えた。紙の発明も、この道を通って西方に伝わった。紙は当初、ものを包むのに使われていたのが、やがて文字を書くのに使われるようになった。そして今、2013年のカザフスタンで、習は中国政府の壮大な計画を「新しいシルクロード」と呼んだ。
アスタナでの講演から1ヵ月後、習はインドネシア国会で演説し、新しい戦略の第2部を紹介した。このときには「三宝太監」、鄭和の精神を振り返った。15世紀、鄭和の船団は「西の海」へ旅立つ前に、現在のインドネシアに寄港していた。そのときに「数々の交流のエピソード」を残しており、それらは「今でも広く語り継がれている」と習は語った。
中国政府は「一帯一路」(One Belt One Road)の英語の略称として「BRI」を使っている。これは「Belt and Road Initiative」(ベルト・アンド・ロード計画)の略だ。もとの中国語には、これとはやや違う「Belt and Road Strategy」(ベルト・アンド・ロード戦略)というニュアンスがある。実際には、計画でもあり戦略でもある。便宜上、英語ではたいてい「ベルト・アンド・ロード」ないし「BRI」と呼ばれる。最近は、世界中のさまざまなプロジェクトにこの概念が用いられ、特に意味の限定されない呼称にもなっている。
・
中国は一帯一路を通じて、世界各地に技術と資金、それに大規模作業の能力と迅速な遂行力をもたらそうとしている。逆に、もたらそうとしていないのは、欧米によって促進されている「民主主義」と「自由」、野党とNGO、それに内政と選挙に対する批判だ。西側が「普遍的価値」と呼ぶものを、中国は「西洋の価値観」と呼んで退けている。中国の支配下では、「政権の交代」が検討されることも、「色の革命」が支援されることも、人権活動家が擁護されることもない。中国はそれよりも「絶対的な主権」を認め、尊重する。
中国がこれらの「相互接続」を実現するための大きな武器にしているのは、大規模な資金動員の能力だ。一帯一路のために設立されたファンド、シルクロード基金の規模は600億ドルにのぼる。また一帯一路の圏内の国々に開発資金の援助を行うアジアインフラ投資銀行(AIIB)も発足させている。その背景には、世界銀行の「ガバナンス」に対して、世界経済での地位に見合った発言権が中国に認められていないことや、世界銀行の融資で「政治的な正しさ」が重んじられていること(太陽光や風力発電はいいが、石油や天然ガスはだめで、石炭はもってのほか)への不満がある。