じじぃの「科学・地球_315_新しい世界の資源地図・中国・南シナ海」

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動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nh1j6HH_aro

南シナ海

ウィキペディアWikipedia) より
南シナ海は、太平洋西部で、中国、台湾、フィリピン、マレーシア、ブルネイインドネシアシンガポール、タイ、カンボジアベトナムに囲まれた海域の名称。世界有数の通商航路(シーレーン)であるだけでなく、スプラトリー諸島南沙諸島)などの領有権とその周辺海域の管轄権を巡る国際法上の紛争もあり、軍事・安全保障も重要な海域である。
2010年7月23日、ハノイで開かれた東南アジア諸国連合 (ASEAN) 地域フォーラム (ARF) は、南シナ海問題を重要な議題の一つとして議論した。2002年の「南シナ海行動宣言」を効果的に実施し、法的拘束力のある「南シナ海行動規範」へと発展させることへの支持を確認した。
2014年6月1日、シンガポールで開催中のアジア安全保障会議 (シャングリラ対話) において、中国側代表の王冠中・人民解放軍副総参謀長 (当時) は、南シナ海の島々は2,000年以上前の漢代に中国が発見して管理してきたという旨の発言をした。また王は、名指しを避けながら中国に自制を求めた日本の安倍晋三首相 (当時) に対して、「安倍総理大臣は、遠回しに中国を攻撃し、ヘーゲル長官は率直に非難した。ヘーゲル長官のほうがましだ」と述べ、これに対して小野寺防衛相 (当時) は、「中国の反応は理解できない」と反論した。

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新しい世界の資源地図――エネルギー・気候変動・国家の衝突

ヤーギン,ダニエル【著】〈Yergin Daniel〉/黒輪 篤嗣【訳】
地政学とエネルギー分野の劇的な変化によって、どのような新しい世界地図が形作られようとしているのか?
エネルギー問題の世界的権威で、ピューリッツァー賞受賞者の著者が、エネルギー革命と気候変動との闘い、ダイナミックに変化し続ける地図を読み解く衝撃の書。
目次
第1部 米国の新しい地図
第2部 ロシアの地図

第3部 中国の地図

第4部 中東の地図
第5部 自動車の地図
第6部 気候の地図

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『新しい世界の資源地図――エネルギー・気候変動・国家の衝突』

ダニエル・ヤーギン/著、黒輪篤嗣/訳 東洋経済新報社 2022年発行

序論 より

本書では、この新しい地図を読み解いていきたい。世界における米国の地位はシェール革命でどう変わったか。米国vsロシア・中国の新冷戦はどのように、どういう原因で発生しようとしているか。新冷戦にエネルギーはどういう役割を果たすのか。米中の全般的な関係は今後、どれくらい急速に(どれくらいの危険をはらんで)「関与」から「戦略的競争」へ推移し、冷戦の勃発と言える様相を帯び始めるか。いまだに世界の石油の3分の1と、かなりの割合の天然ガスを供給している中東の土台はどれくらい不安定になっているか。1世紀以上にわたって続き、すっかり当たり前になっている石油と自動車の生態系が今、新たな移動革命によってどのような脅威にされされているか。気候変動への懸念によってエネルギー地図がどのように描き直されているか、また、長年議論されてきた化石燃料から再生可能エネルギーへの「エネルギー転換」が実際にどのように成し遂げられるか。そして、新型コロナウイルスによってエネルギー市場や、世界の石油を現在支配しているビッグスリー(米国、サウジアラビア、ロシア)の役割はどう変わるのか。
第1部「米国の新しい地図」では、突如として起こったシェール革命の経緯を振り返る。シェール革命は世界のエネルギー市場を激変させ、世界の地政学を塗り替え、米国の立ち位置を変えた。シェールオイルシェールガスが、21世紀の現在まで最大のエネルギーイノベーションであると言える。
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第3部「中国の地図」は、いわゆる「国恥の100年」(100年来の屈辱)と、ここ20年にわたる経済力と軍事力の飛躍的な伸長、それに世界最大になろうとしている経済(見方によってはすでにそうなっている)のエネルギー需要にもとづいて描かれる。中国は地理から軍事、経済、テクノロジー、政治にいたるまで、あらゆる方面で勢力を拡大しつつある。「世界の工場」は今、バリューチェーンの上流にのぼって、今世紀の新産業で世界の盟主になろうと狙っている。また、南シナ海のほぼ全域に対して、自国の領有権を主張してもいる。南シナ海は世界の海上通商路の枢要をなす海域であり、現在、米中の戦略上の対立が最も先鋭化している場所だ。中国よるこの領有権の主張にはエネルギーの問題が大きく関わっている。
中国の「一帯一路」構想は、アジアとユーラシア、さらにその先まで広がる経済圏を描き直し、世界経済の中心に「中華帝国」を据えようとするものだ。

第3部 中国の地図 より

第20章 「次の世代の知恵に解決を託す」

南シナ海をめぐる紛争はここ数十年、沈静化していた。各国とも経済成長に力を注いでいたからだ。とりわけ中国はそうだった。年10%以上の経済成長を続け、いわゆる「平和的台頭」を遂げた。そのような成長や、グローバル経済での中国の役割の拡大のためには、平和が絶対に欠かせなかった。
鄧小平は自身の人生経験から、戦争や争乱のコストをよくわかっていた。中国の市場経済化と世界経済との統合を指揮したのは、20年にわたって最高指導者の地位にあった鄧だ。鄧は毛沢東に側近として重用されたが、その後、2度、粛清されている。おかげで革命の問題点についてじっくり考える時間がたっぷりあった。1度目は追放され、トラクター工場での労働を強いられたとき、2度目は毛政権末期、自宅で軟禁されたときだ。鄧は毛の壮大な計画によって生じた大量の悲劇的な犠牲と多大な無駄を目の当たりにすると同時に、自身も毛の支配と文化革命でひどい苦しみを味わった。鄧の息子は文化大革命の時代に、狂信的な若い紅衛兵に窓から放り出されて、大けがを負い、麻痺で一生歩けなくなった。鄧は生来、実際家だった。フランス留学時代には、共産党の宣伝の仕事をするかたわら、中華料理店も営んでいた。晩年、カール・マルクスの『資本論』は時間がなくてきちんと読んでいないとも語っている。

鄧はベトナム政府に、南シナ海の島々は「古代以来、中国に属している」と言ったとされるが、問題に対処するための戦略も提示している。「我々の世代には、このような難しい問題を解決する知恵がない。次の世代の知恵に解決を託すというのも1つの手だろう」と(東シナ海の問題でもこれと同じ考えを相手に伝えている)。

国民1人ひとりに豊かな生活を目指して頑張ってもらい、経済を拡大させ、収入を増やすほうが賢明ではないか、というのが鄧のメッセージだった。2002年には中国とASEAN東南アジア諸国連合)10ヵ国(ブルネイカンボジアインドネシアラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)が共同で、現実的な解決に向けた「行動規範」の枠組みを策定した。
鄧の方針は「全方位外交」と呼ばれ、おおむね功を奏していた。
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2010年7月、ベトナム主催のASEAN第17回地域フォーラムがハノイで開催された。その数ヵ月まえから、中国の政府高官やストラテジストが南シナ海を「革新的利益」と呼び始めていた。これは看過できない言葉だった。中国が最も重視するチベットや台湾の問題にもこれと同じ表現が使われていたからだ。また、この言葉には挑発的な意味が含まれているとも解釈できた。「革新的利益」という言葉に米国は反発し、東南アジア諸国は警戒心を募らせた。地域フォーラムの開催前、ベトナムなど複数の国が米国に対して、ハノイの会合でこの問題について強い発言をするよう求めていた。当時のヒラリー・クリントン国務長官は言われるまでもなくそのつもりだった。
クリントンは演説で、米国は特定の領有権の問題ではどちらの側にも付かないが、行き詰った状況は多国間で解決されるべきであり、南シナ海への「自由なアクセス」は保たれなくてはならないと指摘し、次のように述べた。「米国にとって、そしてすべての国にとって、航行の自由、アジアの海のコモンズ(共有地)、南シナ海における国際法の尊重は、国益に関わる」。この「国益」という言葉は、中国政府の「革新的利益」に言い返す言葉として「慎重に選ばれた表現」だったと、クリントンはのちに話している。
クリントンの演説が終わったとき、中国の楊潔チ外相(当時)の顔は、クリントンの言葉を借りれば、「怒りで青ざめていた」。楊は1時間の休憩を求め、いったん退席した。再び戻ってきたときにも、怒りは収まっていなかった。
クリントンの発言は「実質的に中国に対する批判だ」と、楊は英語で言い、クリントンをこっと見据えて、「外部からの干渉」は慎むべきだと警告した。誰も「地域の平和と安定を脅かしていない」と。米国は中国に対して陰謀を企てているというのが、楊の言い分のようだった。さらに楊はシンガポールの外相のほうを向いて、こう言い放った。「中国は大国で、ほかの国々は小国です。これは事実です」。