じじぃの「科学・地球_302_人権の世界ハンドブック・報道の自由」

報道の自由度ランキング発表、日本は67位 去年から1つ低下

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_Xg4pc2X9ic

世界の報道自由度ランキング【2020年版】日本は66位で問題あり?!

Exploring
テレビや新聞を通して普段何気なく見聞きしているメディアからの情報。あなたはメディア報道の自由度について考えたことがありますか?
この記事では、2020年に発表された『世界報道自由度ランキング』を基にして、180ヵ国の報道の自由度をランキング形式でご紹介します。
2020年、報道自由度の高いランキングで上位を占めているのが、ノルウェーフィンランドデンマークスウェーデン等の北欧諸国の報道です。
日本は前年度より1つ順位を上げた66位で、5段階中の3段目『問題のある状況』に位置づけられています。
https://exploring4ever.com/world-press-freedom-index-2020/

『地図とデータで見る人権の世界ハンドブック』

カトリーヌ・ヴィトール・ド・ヴァンダン/著、土居佳代子/訳 原書房 2021年発行

人権の歴史 より

人権は時を超えるものとしてイメージされるべきではない。それは政治的・哲学的思想のゆっくりとした成熟ののちに、ある時期、ある場所、すなわち17世紀と18世紀ヨーロッパで姿を現わした。
1789年にフランスでおごそかに宣言され、その後徐々に法文に組み込まれた「人間と市民の権利宣言」も同様に社会の精神構造と慣行に根づいたものである。こうした具体化は民主主義体制の定着と強化をともなった。だがこの具体化が不完全で、さらには脆弱であったことは、20世紀前半の、独裁への回帰や、全体主義あるいは第2次世界大戦の残虐性の経験が示すとおりである。

良心、表現、信教の自由

1948年の世界人権宣言の前文に再録された表現によると、1941年1月6日の演説のなかで、ルーズヴェルト大統領は「人間が恐怖と悲惨から解放されて、自由に話し、考える世界の到来」に言及した。絶対主義や全体主義全体主義は個人の良心に根をおろした自由の、私的な側面を否定する。

自由は、その哲学的・宗教的根拠を「良心(信条)」の精神的優位に見いだす。宗教戦争が終わって、ウェストファリア体制が、古い原則「信仰属地主義」を宗教的少数派の保護によって緩和し、政治の領域においても、宗教の領域におけるのと同様、個人の自由、寛容、多源性の尊重に道を開いた。1689年から現われるロックの[政教分離の原典といわれる]「寛容についての手紙」とともに現われるこの関係は、啓蒙主義哲学者たちによって発展する。異なる宗教を平和に共存させることだけでなく、それぞれの個人の信条の自由、つまり宗教をもつか否かの自由な選択、宗教を変える自由も尊重しなければならない。言い方を変えれば、良心の自由は、それぞれの人のもっとも深いところである「内心」と公的、個人的、集団的な表明をとおしての「外部」という2つの表出において、最高のものである。

宗教上・政治上の調整

こうした大原則を基礎に、国の裁判所をふくむ統制機関が、それぞれの国の特殊性を考慮しつつ、法解釈(判例)を発展させてきた。フランスの場合は、教会と国家の分離の根拠であるライシテ(非宗教性)の概念が、公権力の中立性と宗教の多様性を保証するため、個人の良心の尊重と関連において存在する。ほかの国々も、政治的イデオロギーや宗教的イデオロギー――さらには神の啓示による法の優先――と個人の自由の尊重とを調整しなければならない。そこでは宗教を変える自由、背教や冒涜の告発を受けることもなくある宗教を批判する自由も問題になる。
欧州人権裁判所は歴史的状況、宗教規律の多様性を認めるため、とくに世俗の平和の土台としてのフランスの政教分離概念にかんして、補足的機能限定原則[EUの活動事項を各国政府の主権的議決のおよばない捕捉的活動に限定するという原則]を指針としている一方で、国際連合の機関は、イスラム嫌悪に対する闘いという文脈のなかで、より根本的なアプローチの特権があたえられているように見え、宗教的少数者、とりわけ女性イスラム教徒に対する「制度的差別」を告発するのを躊躇していない。