じじぃの「いかに生きるか・リンゴの木を植える・死は人生の終末か完成か?倫風」

「明日、地球が滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える」石原慎太郎

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O34dox_3KJE

りんごの木を植えて ノベルズ・エクスプレス

大谷美和子 | HMV&BOOKS
たとえあした、世界が滅亡しようともきょうわたしはりんごの木を植える―これは、大好きなおじいちゃんがみずほに教えてくれたことば。
おじいちゃんとくらす毎日に、みずほはことばの意味をかみしめる。大好きなおじいちゃんといっしょに過ごした日々。いまもわたしの心の中できらきらとかがやいている…ありがとう、おじいちゃん。心あたたまる家族の物語。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E7%BE%8E%E5%92%8C%E5%AD%90_000000000512290/item_%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%94%E3%81%AE%E6%9C%A8%E3%82%92%E6%A4%8D%E3%81%88%E3%81%A6-%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9_11674755

『倫風』 2022年4月号

実践倫理宏正会

鎌田實の「人生を味わい尽くせ!」 それでも、私はリンゴの木を植える より

ルターの言葉そのままに生きた僕の義父

中世ヨーロッパの宗教改革指導者マルティン・ルターの名は、歴史の教科書で目にした方も多いでしょう。彼は素晴らしい言葉を多く残しています。中でも次の3つは、僕たちにいろいろなことを教えてくれます。

「死は人生の終末ではない。人生の完成である」「希望は強い勇気であり、新たな意志である」「たとえ明日、世界が滅亡しても、今日、私はリンゴの木を植える」

つまり「死が近づいても、希望を失わなければ自分らしく生きることができる」。そして「最後までやり遂げようとする意志が大事」ということです。
僕はこの3つ目の言葉に、女房の亡くなった父を思い出します。彼は胃がんの手術をし、何年かして見つかった肝臓がんでは、すでに転移もしていました。76歳のことです。
僕は包み隠さずに病状を伝え、また手術をすすめましたが、「もう手術はしない」と言うのです。治療自体を拒否したわけではありません。手術は拒否するけど他の治療ならいいというので、カテーテルを使った「腫瘍血管塞栓術」を受けてもらいました。それが効果的で、一時期は腫瘍が消え、ゴルフや旅行をして、人生を前向きに楽しんでいました。
明るい人で、諏訪湖の大花火大会にやってきて、終了後、一席設けてくれた画家の原田泰治さんへのお礼に「奥さま、お手をどうぞ」という十八番(おはこ)の歌まで披露してくれました。
「もう来年の花火は見られそうもありません。でも最高の瞬間をもらえました」と語った義父は、最後は家族皆に見守られて、眠るように旅立ちました。79歳でした。

少しでも人の記憶に残るように生きたい!

東京での葬儀に出るために、僕が義父の家に泊まり、脱け出して近くの喫茶店にお茶を飲みに行ったら、お客さんたちが義父のことを話しているのです。
「Hさんが亡くなったみたいだな……」
聞き耳を立てていたら、その一人が、
「毎日、駅前の道を掃除していたよな」と語る。
「ああ、あの掃除してたおっさんか……」
    ・
亡くなる直前まで普段通りの習慣を続けていくなんて、ルターの「たとえ明日、世界が滅亡しても……」という、その姿そのものだと僕は感心しました。
死期が近づいてもメソメソしたことは一度もなく、ひげ剃りも歯磨きも、他人を煩(わずら)わせず、自分のことは自分ですると決めていました。まさしく「死は人生の完成」そのままの姿勢でした。
彼の意志を継いで道路清掃をしてくれる人が出てきたかどうかは知りません。でもそんな義父の姿が、人々の記憶に焼き付いていたのは間違いありません。

                    • -

どうでもいい、じじぃの日記。
「ピンポーン!」
「また、雑誌持ってきました」
小太りのおばちゃんが、今年になってもやってきた。
「今度も何回か来たのよ」
手作りの「お味噌よ、スプーンで一杯茶碗に入れて食べてね」
手に持っていたビニール袋にお味噌の入った瓶と、2冊雑誌が入っていた。
4月号と5月号だ。
4月号に、鎌田實さんのエッセイ「それでも、私はリンゴの木を植える」が載っていた。
そういえば、今年の2月に亡くなった作家・政治家の石原慎太郎さんがよく言っていた言葉だ。

  「ただ、私、昔ある飲み屋で飲んでいたら、昔友人だった開高健の書いた色紙が飾ってあった。焼き鳥の煙で真っ黄色になっていたけれども、いい文句で、なるほどなと思った。それは、あす地球が滅びるとも、君はきょうリンゴの木を植える。たとえあす地球が滅びるとも、君はきょうリンゴの木を植える。開高にしてはいい言葉だなと思って、これは実は調べてみたら、ポーランドの詩人ゲオルグの、この人もマルチン・ルターに非常に影響を受けて、その言葉を考えた詩人ですけれども、たとえ地球があす滅びるとも、君はきょうリンゴの木を植える」
結構、きついことも言っていたが、ほとんど正論だったような気がします。