じじぃの「歴史・思想_572_恐怖のパラドックス・恐怖のパラドックス」

映画『エクス・マキナ

【ネタバレ感想・考察】映画『エクスマキナ』は意味を知ると面白い

2022年2月3日 モブログ
検索エンジン世界最大手のブルーブック社に勤めるプログラマーのケイレブは、人前に姿を見せない社長のネイサンの山荘へ選ばれ招待される。
彼の別荘には、女性型ロボットのエヴァの姿があった。
そこでケイレブは、エヴァに搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能の実験に手を貸すことになるが…。
https://movie-architecture.com/exmachina

『「恐怖」のパラドックス 安心感への執着が恐怖心を生む』

フランク・ファランダ/著、清水寛之、井上智義/訳 ニュートンプレス 2021年発行

第8章  恐怖のパラドックス より

この本のはじめの方で、私は想像が恐怖の監督の下に育ってきたことを説明した。想像が学んだ最初の仕事は、暗闇のなかを覗き、予測し、準備することが必要というものだった。そこから始まって、想像は、脅威の感知、防衛、攻撃のために必要な数えきれないほどの革新をもって恐怖に力を貸してきたように見える。望遠鏡からCTスキャン、弓矢から原子爆弾に至るまで、私たちの文明が発明したほとんどのものは安心を推し進めることに焦点が当てられていた。事実、多くの場合、文明それ自体が、この恐怖と想像の結合――軽はずみにとらえてはならない、暗闇のなかで成立した結合――から生まれてきたものだといえる。言い換えれば、想像はその起源から、恐怖の印影を帯びているのである。
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バクテリアがどれだけ「賢く」なるか、いい換えればバクテリアが私たちの存在に対してどこまで脅威となるかを考えるうえで、米国疾病予防管理エンター(CDC)による推定値に注目することは意味があるだろう。CDCによると、現在アメリカ合衆国で一年に280万人が抗生物質耐性バクテリアも感染し、そのうち35,000人が死亡すると推定される。
毎年新種の耐性バクテリアが発見され、なかには非常に危険なものもある。最近では、「カンジダ・オーリス」と呼ばれるパンデミック真菌が世界中に広がっている。カンジダは識別するのが難しく、病院でも広がり、弱まった免疫システムを餌食にする。リヒテルとジェイコブスによって確認されたケースでは、ある高齢者が感染症で死んだが、菌は死亡した男性のからだのなかや病院内で生き続けた。二人の報告によると、病院では特殊な洗浄装置を必要とし、そのうえ、菌を完全に除去するために天井と床のタイルを取り除かなければならなかった。カンジダは主要な抗真菌処理にも耐性を有し、今や世界でもっとも危険な難治性の感染症である。早期に対策が取らないと、抗菌耐性による死亡は年1,000万人に達するという30年予測もある。そう、毎年1,000万人が亡くなるのだ。
要約すると、私たちは、目に見えない敵、すなわちバクテリアの問題に対して、想像の光を当てた。バクテリアを根絶やしにする優れた解決策、ペニシリンを見つけたのだ。しかし、バクテリアを攻撃する明快な発明の衝動の裏には、バクテリアだけでなく、それが象徴するもの、すなわち比喩的な暗闇を除去したいという二次的な欲求があった。そしてこれは、崇高だげ実現不可能なゴールとなった。ペニシリンから始まって、ずらりと並んだ膨大な数の後世物質、手を洗うという常識的な行為から、絶えず手指消毒剤を噴きかける行為に至るまで、私たちはバクテリアを不必要なまでしっこく追い掛け回した。そして、ついに追い詰められたバクテリアに残された唯一の自衛手段は攻撃することだけだった。

これが恐怖のパラドックスである。

私たちのバージョンアップ?

私たちの心と想像に似て、AIは並外れた可能性を提供すると思われる。私たちはすでに、5万年ほど前ついに私たちとつながったときに想像が解き放った脅威を見てきた。それは、ホモ・サピエンスを霊長類類縁種の進化の中央値をはるかに上回る高みへ押し上げ、そしてまず間違いなく、私たちの惑星支配と他の多くの種の絶滅に寄与した。レイ・カーツワイルやニック・ボストロムのような今日の多くのAIエキスパートは、私たちが機械知能を人間のレベルまで高めることができれば、それはこの惑星に同じように並外れた、支配的な影響を及ぼすだろうと考えている。
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自分自身の心に対する関係をたぶんもっとも完璧な形で比喩的に描写したのは、映画『エクス・マキナ』(2015年)に見られる物語の解釈だ。この映画では、ある人間が聡明で非常に魅力的な機械知能との恋に落ち、ロボットと一緒の生活を夢想し始める。結局のところ、映画のなかでは誰もこの魅力的なロボットに知能でかなうものはおらず、私たちが最後に目にするのは、このロボットがその時代の私たちの世界へと足を踏み出し、世界の支配と人間の絶滅の本物の脅威を私たちのすぐ目の前で体現する場面である。
エクス・マキナ』の物語は、私たちにAIの興味深い世界を眺める機会を提供してくれるばかりでなく、私たちと私たち自身の心に対する関係を垣間見ることのできる重要な機会を提供してくれる。『エクス・マキナ』のなかのロボットが美しく、そして自由になりたいと切望するのは不思議なことではない。AIと同じで、私たちの心と想像が有するものは、束縛を拒むように見える形のない美しさという特質である。それでいてなお、私たちがすでに発見したように、私たちの想像は予測不可能な性質をもっているため、制御不能なものへの恐怖に突き動かされ、その結果、安心の感覚を築くために必要な解決策を模索する。そうした解決策は素朴に、暗闇を根絶するか、あるいは目が見えなくなるほど光を強くすることで一種の安心感をもたらしてくれる。そして、そのために私たちが見つけた解決策とは、馬鹿正直に暗闇を根絶やしにしようとすることか、あるいは目がくらんで何も見えなくなるまで光を明るくしようとすることだ。『エクス・マキナ』のロボットのように、私たちの心にできることは二つの可能性しかないようだ。己の心を解き放ち、その結果、愛するすべてのものを破壊する危険を冒すか、もしくは、最終的に自分たちの崩壊を招くまで、想像を抑え込むかだ。
だが、もし自身の心と新しい関係を築き上げることができるとすればどうだろうか? もし不安に対して新しい取り組みを私たちが見つけることができるとしたら? もし、生命を脅かし、真の人生、有意義な人生を送っているという私たちの感覚を脅かす恐怖に対する答えが勇気あるいは否定だけでなかったら? そして、もし自分たちの想像を形づくる方法を私たちが見つけられるとしたら? もし、この星にともに暮らす愛する人々に役立つ方向へ想像を道徳的に導く方法を私たちが見つけ出せるとしたら? そのときには、自分の心に、そして私たちお互いに、疑いではなく信頼をもって接することが可能になるだろうか?