じじぃの「歴史・思想_568_恐怖のパラドックス・私たちのなかに棲む恐怖」

7 Ways Childhood Trauma Follow You Into Adulthood

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=N2oUfg7qNG0

Emotional and Psychological Trauma

●What is emotional and psychological trauma?
Emotional and psychological trauma is the result of extraordinarily stressful events that shatter your sense of security, making you feel helpless in a dangerous world. Psychological trauma can leave you struggling with upsetting emotions, memories, and anxiety that won’t go away. It can also leave you feeling numb, disconnected, and unable to trust other people.
https://www.helpguide.org/articles/ptsd-trauma/coping-with-emotional-and-psychological-trauma.htm

『「恐怖」のパラドックス 安心感への執着が恐怖心を生む』

フランク・ファランダ/著、清水寛之、井上智義/訳 ニュートンプレス 2021年発行

第1章  私たちのなかに棲む恐怖 より

カメの置物のコレクションのことを患者に聞かれればいつでも話をするが、母とのつながりについて話したことはない。「しばらく前に集め始めたら、カメはなかなか興味深いものだと気がついたのです」とだけ言うことにしている。私がよく口にするのは、カメを見ていると人間を思い出すということだ。人間もカメの甲羅のように殻をもち、殻のなかに隠れる。たしか、このようなことをエイプリルという若い女性に言ったことがある。彼女は心理療法を受けに来ていたが、6ヵ月ほど経ったころにカメのことを聞いてきた。たぶん、カメの置物が私にとってどんな意味があるかを答える前に、彼女がどう思っているかたずねたと思う。
深層心理療法においては、患者とセラピストの関係は現実の世界と想像の世界の両面からなる。セラピストとして私の存在は現実であり、感情も正直に表現するという意味で現実の世界にいる。一方、セラピストは患者に対していろいろな役柄を演じ、患者もセラピストに対して同様に役柄を演じるが、論じる役柄は主観的な想像物に満ちている。この意味で想像の世界にいる。深層心理療法では、これを感情の転移および逆転移と呼ぶ。
精神分析創始者ジークムント・フロイトや心理学者カール・ユングの研究によって、「無意識」に注目が集まるようになった。それ以降およそ120年間に私たち臨床心理士が明らかにしたのは、人間の初期発達のパターンが他者の想像的知覚の形成のための原材料となり得るということであった。私たちはみんな、この「投影」を経験しており、本質的に、私たちの主観はこの投影で構成されている。
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エイプリルはすこしずつ恐怖を募らせながら成長していった。父親の娘に対する期待、要求、それとない威圧が、愛情と親子関係のなかで少しずつ脅威の認識パターンを形成し始めるようになった。エイプリルはだんだんとデートや恋愛から遠ざかり、わたしと出会ったころには、すでに何年も一人きりの暮らしを送っていた。
これまでみたような恐怖と防衛の関係性の変化を理解するために調べ始めて間もなく、「恐怖で苦しむのは動物のなかでたぶん人間だけ」だということを発見した。ここで私が言っているのは、恐怖が行動を限定したり、探究心を制限したりすることではない。それは、すべての危害から守るために恐怖が用いる武器の一つだからだ。私が言おうとしているのは、人類に対するもっと深い衝撃、つまり恐怖が私たちの敵に回る状況のことだ。命が誕生する最初の瞬間までさかのぼることで見えてくるのは、人にはほかの動物にはない特別な何かがあり、この違いが、私たちの内部における恐怖の働きを変えてしまうのだ。
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私の患者エイプリルは、カメのように頭を殻のなかへ引っ込め、危険から遠ざかろうとした。彼女が父親に見せた屈従は形だけのもので、そこに彼女のなかの真実は何も含まれていなかった。これは防衛手段としてうまく機能した。問題は、このような防衛手段が慢性的にとられると、そこから脱け出せなくなる。エイプリルは刷り込まれた恐怖から逃れられず、それが彼女を遠く離れたところに押しやった。カメのように外界の脅威に敏感に反応できる関係ではなく、エイプリルは頭を殻からもう一度突き出す能力を失ってしまった。恐怖は確かに彼女を安全な場所にかくまう方法を見つけた。だが、あの日私のところへ来た女性は空疎で抑鬱にさいなまされた女性だった。
エイプリルは、自分が何者かを他人に見せることができず、深いつながりを手に入れる道はなかった。彼女は一人で苦しんだ。そればかりか、エイプリルには自分自身の要求を意識することもなかった。誰かとつながること、誰かに親しみを感じることを切望していることさえ彼女の意識のなかになかったのだ。彼女が隠した自分自身は安全なところにあった。しかし、とてつもなく一人きりだった。そして、私たちが彼女の内なる世界とつながり始めると、そこには豊かな感情、自己表現、そして脆弱さが、幼児期から経験した苦痛の場所と混ざり合って存在していた。
彼女の心のなかには、彼女が何年ものあいだ無意識に守ってきた今にも壊れそうな創造性があった。そして、拘束から自分を守るために自分自身を隠してきたのに、彼女の恐怖そのものが新しい拘束場所になってしまった。彼女が私と一緒に発見したように、自由は苦痛を避けることでは手に入らない。苦痛を受け入れることで手に入れるものなのだ。