じじぃの「歴史・思想_571_恐怖のパラドックス・想像革命」

Light for Human Well Being

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ublz0C3k068

What is light? The limits and limitlessness of imagination

What is light? The limits and limitlessness of imagination

SEPTEMBER 1, 2021 Big Think
Our senses and experiences are a good guide toward an intuitive understanding of how objects behave in the world.
But this same guide led us horribly astray when it comes to understanding light.
Light behaves like both a wave and a particle, a fact that our brains cannot really grasp.
https://bigthink.com/13-8/wave-particle-duality-imagination/

『「恐怖」のパラドックス 安心感への執着が恐怖心を生む』

フランク・ファランダ/著、清水寛之、井上智義/訳 ニュートンプレス 2021年発行

第7章  想像革命 より

数多くの私の患者は、自分たちの生育歴を振り返るのは時間の無駄のように思っている。最近、その患者の一人が次のように言った。「今現在のことで問題をたくさん抱えているのに、なぜ過去の心配事に悩まされなくちゃならないのですか?」。今直面している問題に取り組むのは大切だとは思うが、今抱える問題の解決のために過去を振り返ってみるのが必要なこともよくある。発達の初期段階に経験する出来事は、私たち一人ひとりにとって必要な適応をするように求めるが、長い目で見ればこの適応は時に、私たちが望まない人生経路に導くことがある。たとえば、もし私が患者に、「あなたは自分のことは必ず自分でやりたがる人で、他人に助けを求められない性格のようだけど、この傾向はいったいどうして出てきたのでしょうか」とたずねると、「覚えている限り、ずっとこうですから」と返ってくる。確かに、この点で私たちはそれぞれ異なる基質をもってこの世に生まれ出てきたかもしれないが、他人に助けを求められないないのは、助けを求めたけれど思うほどうまくいかなかったという子どものころの経験が原因なのはまず間違いない。人類の発達を振り返ることは、生き残るために何が必要だったのかを把握し、これらの適応の長期的コストを計算するのに役立つ。

何が変わったか?

フランシス・ベーコン卿は17世紀中ごろ貴族の家系に生まれケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに至るまで一貫して正式な教育を受けた。1597年、彼はエリザベス女王の第一顧問官に任命され、当時影響力のある政治家人生を送った。ベーコンはまた、科学に無理やり限界を設けたことが妥当だったかどうかについて疑問を抱き始めた。彼は、経験主義が社会に大きく貢献できると信じ、またそれを禁じることが、世界をよくしようという私たちの妨げになっていると信じた。ベーコンは想像する方法を見つけたようだ。
具体的には、ベーコンは人間と自然、人間と実験との関係に対して新しい青写真を描いた。彼は、学習が怠惰を招き、人々を下品にし、不道徳にし、不法なものにするなどの多くの批判を論破した。そのうえで、科学のみならず、人間の知識との関係について新たな展望を提供した。彼は、学ぶことの禁止、思い上がることへの警告は、不必要で不正確なものだと考えた。
ベーコンは、科学のすべては私たちの神に対する愛の証明であるという考えを押し通した。しかし、一方で聖アウグスティヌスと違い、神への献身のゆえに私たちは無知でなければならないという考えを拒否した。このことは、1620年の著作のなかで彼を引用した次の箴言(しんげん)に現れている。「ことを隠すのは神の誉れ、ことを捜し求めるのは王の誉れ」。
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ベーコンは、実験と文書資料に立脚したアプローチを通して楽観主義を迎え入れた。また彼は、科学を表す標語は、「これより先に何もなし(neplus ultra)」から「さらに先へ(plus ultra)」へ変わると提言した。さらに彼は想像力あふれる華麗な表現で、「かくして我々は、世界の外なる境界のいかなる終わりも心に思い描くことはできない……その向こうに必ず何かあるはずだ」とも言った。
実験し、革新することへのいざないを通して、ベーコンは17世紀の人々へ、自分たちのために、自分たちについてもっと考える道を開いた。そして、このことを理解するうえでもっとも重要なのは、ベーコンが人間の可能性を新たな高みへと導き始めたことである。
ベーコンは社会セラピストともいえる存在だったと私は思う。彼は患者よりもずっと早く変化を予見した。ベーコンに似て、私たちセラピストは精神分析家ジェームズ・フォサーギなどが患者の「前縁」と呼ぶものを認識する手助けをする。これは、患者の通常の発達が彼らを導いていく場所のことであり、ベーコンが17世紀の世界のために後押ししたものでもある。彼は知識に関する時代遅れの哲学的基礎を受け入れることに対して警告したのみならず、人間は無知で汚物にまみられているが、価値あるものだと断言した。彼は仲間に、「即座にそして突然心を打ち、そして内に入ってくるもの」によって想像の胸は高鳴ると告げた。表面の汚物の下に、ベーコンは想像する能力をもった心の美を見た。ベーコンは私たちを汚物のなかから救い出し、私たちの濡れてふやけた脳を乾かしてくれた。
ベーコンが明瞭に理解したように、想像は自己と自己価値の経験に深く関わっている。だがそれ以上に、想像を解放するという彼の構想は人間を自然との、そして光との新しい関係へと導いた。自然は手を伸ばせば手に入るところにあり、「ある種の天与の火ともいえる心によって」当然の権利として支配できるものであるとベーコンは信じた。そしてそのあいだずっと、ベーコンは、「科学の務めは黄金のためにでも、銀のためにでも、宝石のためにでもあるのではない。ただ、神の最初の創造物、すなわち光のためにのみある。そう、世界のあらゆる場所が成長するための光を手に入れるために」と提言した。ベーコンは、神が最初に創造したもの、すなわち光への忠誠を通して自らの不徳に帰属することに対して抵抗したが、この力関係がいかに恐怖に対する彼自身の脆弱性を表すものか、次の章で学ぶ。ベーコンの光への献身は私たちの自立の宣言であり、同時に私たちの不安の声明でもある。