じじぃの「科学・芸術_600_他我問題・他者との関わり」

The Mind Body Problem 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=q8uM9_tbfCI
The problem of other minds

「ホモ・デウス」テクノロジーとサピエンスの未来 特設サイト  河出書房新社『HOMO DEUS(ホモデウス)』特設サイト。全世界800万部突破『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリが描く衝撃の未来。『ホモ・デウス』好評発売中!
『サピエンス全史』は、私たちがどこからやってきたのかを示し、『ホモ・デウス』は、私たちがどこへ向かうのかを示す。
http://www.kawade.co.jp/homo-deus/
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』 ユヴァル・ノア・ハラリ/著、柴田裕之/訳 河出書房新社 2018年発行
人類の輝き より
私たちに心が必要なのは、心が記憶を保存したり、計画を立てたり、完全に新しいイメージやアイデアを自発的に生み出したりするからだと主張する人もいるかもしれない。ただ外部の刺激に反応しているだけではないのである。たとえば、人がライオンを見かけたとき、その人は捕食者を目にして自動的に反応したりはしない。1年前に伯母がライオンに食われたことを思い出す。ライオンに八つ裂きにされるのはどんな感じかを想像する。親を失った我が子の運命を予想する。だから人は感じる。事実、外部からの直接の刺激ではなく、心そのものの主導によって多くの連鎖反応が始まる。たとえば、以前にライオンに襲われた記憶が自然に頭に浮かび、その人はライオンの危険について考え始めるかもしれない。それから、その人は部族の人々を全員集めて知恵を出し合い、ライオンを怖がらせて追い払う斬新な方法を考えつくかもしれない。
だが、ちょっと待ってほしい。こうした記憶や想像や思考とはみな、何なのか? どこに存在するのか?
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人間に関してなら、私たちは今日、意識される心的経験と意識されない脳の活動を区別できる。私たちは意識を理解する段階には桁違いとはいえ、科学者たちはすでに、意識の電気化学的なシグネチャー(特徴的なしるし)の一部を突き止めるにに成功している。突き止めるにあたっては、人が何かを意識していることを報告するときにはいつもそれを信用できるという前提から出発した。次にこの前提に基づいて、人が意識があると報告するたびに現れ、無意識状態の間はけっして現れない特定のパターンを分離することができた。
科学者たちはこれによって、たとえば、一見すると植物状態脳卒中患者が完全に意識を失ってしまったのか、たんに体を動かしたり口を動かしたり口を利いたりする能力を失っただけなのかを判定できる。もし、見てすぐそれとわかる意識のシグネチャーを患者の脳が示せば、その患者はたとえ動いたり話したりすることができなくとも、おそらく意識があるのだろう。実際、最近医師たちはfMRIの画像法を使ってそのような患者たちとの意思の疎通を成功させた。患者たちにイエスかノーで答えられる質問をし、イエスならテニスをしているところを想像し、ノーなら自宅内を動きまわる様子を思い描くように指示した。患者がテニスをしているところを想像すると(つまり「イエス」)、運動野が活性化し、「ノー」のときは空間的記憶にかかわる脳領域が活性化した。
これはすべて人間ではとてもうまくいくが、コンピューターの場合はどうなのか? シリコンベースのコンピューターの構造は、炭素ベースの人間の神経ネットワークとは大違いなので、人間の意識のシグネチャーは、コンピューターには当てはまらないかもしれない。
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これまでのところ、私たちにはこの問題に対する妥当な答えがない。哲学者たちがすでに何千年も前に気づいていたように、私たちは自分以外の人に心があると、反論の余地がないまでに証明することはけっしてできない。実際、他人の場合には、私たちはただ、意識があると推定しているだけで、本当に意識があると確実に知ることはできない。ひょっとしたら、全宇宙の中で何かを感じる生き物は唯一私だけで、他の人間と動物はすべて、心を持たないただのロボットなのか? ことによると、私は夢を見ており、出会う人はみな、夢に出てくる人物にすぎないのか? もしかしたら、私はバーチャル世界の中に閉じこめられていて、私が目にする生き物はすべて、ただのシミュレーションなのか?
現在の科学の定説によれば、私の経験することはどれも、脳の中の電気的活動の結果であり、したがって、「リアルな」世界とは私には区別のしようがないバーチャルな世界をまるごとシミュレーションすることは、理論上は実行可能だという。そう遠くないない将来、私たちが実際にそのようなことをするだろうと信じている脳科学者もいる。考えてみると、それはすでに行われているかもしれない――あなたに。もしかしたら、今は2216年で、あなたは退屈したティーンエイジーであり、原始的で胸躍る21世紀初頭の世界をシミュレートする「バーチャル世界」のゲームに夢中になっているのかもしれない。この筋書きの実現可能性が少しでもあると認めれば、数学によってなんとも恐ろしい結論へと導かれる。現実の世界は1つしかないのに対して、考えうるバーチャル世界の数は無限なので、あなたがその唯一の現実の世界に暮らしている確率はゼロに近い。
科学の大躍進のうち、他人にも自分と同じような心があるかどうかという、悪名高いこの他我問題を克服してのけたものは1つもない。