Sellafield: Britain’s Nuclear Power Secrets | Inside Sellafield | Timeline
セラフィールド
ウィキペディア(Wikipedia) より
セラフィールドは、英国の原子力発電施設で現在稼動停止中。
英国原子力廃止措置機関 (NDA) の下、セラフィールド社が2120年完了を目標に、放射能汚染の調査や処理、建物の解体などを進めている。大学やベンチャーを含む企業も参加して、こうした廃炉工程に必要な技術・機材の開発も行われている。
施設の廃止決定後も、管理や解体作業のためセラフィールドでは約1万1000人が働いており、英国政府は年間およそ20億ポンドを拠出している。
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『私たちが、地球に住めなくなる前に』
マーティン・リース/著、塩原通緒/訳 作品社 2019年発行
第1章 人新世の真っ只中で より
クリーンエネルギーと「プランB」
世界経済の「脱炭素化」を妨げている大きな要因は、再生可能エネルギーの生産費用がいまだ高すぎることだ。こうした「クリーン」テクノロジーがもっと早く進歩すれば、それだけ早く価格も下がるのだから、発展途上国にも手が届くものになる。そうなれば、薪や糞を燃料とするストーブの煙で貧困層の健康が脅かされることもない。石炭を燃料とした火力発電所を建設する必要もなくなるだろう。
太陽は、全人類が必要とする量の5000倍のエネルギーを地球の表面に届けている。エネルギー需要が最も早く高まると予測されるアジアとアフリカには、とくに強く日光が当たっている。化石燃料と違って、太陽は大気汚染を発生させないし、採掘労働者を死なせたりもしない。核分裂と違って、放射性廃棄物を残すこともない。送電網が届いていないインドやアフリカの何千もの村では、すでに太陽エネルギーが競争力を得ている。しかし大半のところでは、やはり化石燃料に比べて価格が高いため、補助金や固定価格買取制度に頼らないかぎりは採算が合わない。そして、こうした補助金にいつまでも頼れるわけでもない。
もし太陽を(あるいは風を)私たちの主要エネルギー資源に使用と思うなら、なんらかの方法でこのエネルギーを貯蔵できるようにしなくてはならない。そうすれば夜でも、あるいは風の吹いていない日中でも、エネルギーを供給できる。蓄電池の改良と大規模化には、すでに多大な投資がなされている。2017年にはイーロン・マスク率いるソーラーシティ社が、オーストラリア南部に容量100メガワットのリチウムイオン蓄電池群を設置した。エネルギーを貯蔵できるほかの手法としては、蓄熱、蓄電器、圧縮空気、溶融塩、揚水発電、水素などが考えられる。
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原子力発電についてはどうだろうか。私個人は、イギリスとアメリカがとりあえず発電所の世代交代を進めているのを支持したい。しかし原発事故の危険は、たとえ起こりそうもないとしても不安を呼ぶ。世論も政治的見解も穏やかでない。2011年の福島第一原発事故のあと、反原発感情は日本はもちろん、ドイツでも高まった。さらに言えば、国際的に管理された燃料バンクが設立されて濃縮ウランを提供しつつ、廃棄物を除去して貯蔵するようにでもしないかぎり、世界的な原子力計画が快諾されることはありえない。加えて、二流の航空会社からもたらされるのと同程度リスクを防止するために厳密に実行される安全規定、放射性物質が兵器製造に転用されるのを阻止するための確固とした核拡散防止協定も求められるだろう。
広く普及した原子力エネルギーには賛否半ばの反応があるとはいえ、研究開発を推し進めて第4世代のさまざまなコンセプトを検討してみる価値はある。これらは従来の原子炉より大きさに制約がなく、かつ安全であることも確認されるかもしれない。この20年、原子力業界の勢いはかなり衰えており、現在の設計は1960年代か、さらに以前にさかのぼる。しかし規格化された小型のモジュール式原子炉の経済性は、とくに研究に値する。この原子炉はけっこうな数で建設できて、しかも最終的な設置場所に輸送される前に工場で組み立てられるほど小さい。ついでに言えば、1960年代に考案されたいくつかの設計も再考に値する。とりわけトリウム基盤の原子炉は、トリウムが地球の地殻にウランよりもふんだんにあり、しかも危険な廃棄物の生成が少ないという利点を持つ。
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2011年に日本で起こった地震と津波は、2万人近くの命を奪った。その多くは溺死だった。
この津波で福島第一原子力発電所も破壊された。15メートルの高波に襲われては防御が足りず、もともとの設計も最善レベルには達していなかった(たとえば非常用発電機が地下に設置されていて、水をかぶったために作動しなかった)。その結果、放射性物質が漏れて拡散した。周囲の集落からの住民避難に関しても混乱があった。最初は発電所から3キロメートル以内だったが、ついで10キロメートル、ついで20キロメートルと場当たり的に範囲を拡大し、風の吹き方によって汚染の広がりがばらばらであることにも注意が足りず、一部の避難者は3度も移動しなければならなかった。いくつかの集落は今も無人のままで、昔からの住民の生活はめちゃめちゃにされた。実際、精神的なトラウマや、糖尿病などの健康問題は、放射線のリスクよりもひどく体を弱らせることがわかっている。多くの避難者、とくに高齢の避難者は、住み慣れた環境で人生をまっとうする自由と引き換えに、がんのリスクが高まるのを受け入れる覚悟をすることになる。それでも彼らにはその選択肢が与えられてしかるべきだ(チェルノブイリ原発事故のあとの大規模避難にしても、退去させられた住民にとっては必ずしも最善の策ではなかった)。
低レベルの放射線の危険についてのガイドラインが過剰に厳しいと、原子力発電の経済性全体が損なわれる。
スコットランド北部にあったドーンレイ実験用「高速増殖」原子炉が閉鎖されたあと、現在から2030年代までに数十億ポンドが「暫定的浄化」に費やされる見込みで、その後もさらに数十年にわたっていっそうの支出が見込まれる。また、イギリスのセラフィールドの原発施設を「更地」に戻すため、次の世紀にかけて1000億ポンド(1ポンドは約154円)近くの予算が組まれている。
そして、もうひとつの政策課題もある。都市の中心部が「汚染爆弾」(従来型の化学爆発に放射性物質を混ぜ込んだもの)で攻撃されたら、それなりの住民避難が必要になる。だが、福島の場合がそうだったように、現在のガイドラインにそのまましたがえば、非難の規模に関しても期間に関しても、過度に激しい反応を読んでしまうだろう。原子力事故の起こった直後は、バランスのとれた議論によって最適の時期ではない。したがって、この問題には今こそ新しい評価と、明確で適切なガイドラインの普及が必要なのだ。