じじぃの「歴史・思想_338_エネルギーの世紀・最悪の原発事故」

Japan tsunami wave smashes into nuclear plant

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nJ3IgHQuCBM

Japan earthquake, tsunami and Fukushima nuclear disaster: 2011 review

Japan Faces Potential Nuclear Disaster as Radiation Levels Rise

March 14, 2011 The New York Times
TOKYO ―― Japan’s nuclear crisis verged toward catastrophe on Tuesday after an explosion damaged the vessel containing the nuclear core at one reactor and a fire at another spewed large amounts of radioactive material into the air, according to the statements of Japanese government and industry officials.
https://www.nytimes.com/2011/03/15/world/asia/15nuclear.html

『探求――エネルギーの世紀(上)』

ダニエル・ヤーギン/著、伏見威蕃/訳 日本経済新聞出版社 2012年発行

序 より

2011年3月11日、日本時間の午後2時46分、太平洋三陸沖深さ約24キロメートルで、巨大な2つのプレートが上向きのとてつもなく激しい力を発生させて、史上最大級の地震を起こした。

東日本の広い範囲で家屋やインフラに甚大な被害が生じたうえに、福島第一原子力発電所への送電を含む電力供給が断たれた。地震から数十分のうちに巨大な津波が海岸線を襲い、1万数千のひとびとが溺死した。海岸に面していた福島第一原発では、津波が防波堤を越えて発電所内に流れ込み、予備電源をまかなうディーゼル発電機も浸水して、原子炉を制御するのに必要な冷却水が供給できなくなった。その後、水素爆弾によって施設が損傷し、放射性物質が大気中に拡散、さらに、深刻な炉心溶融が起きた。
その結果、4半世紀前に旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故以来、最悪の原発事故となった。福島第一原発事故に他の発電所が受けた損害が重なって電力不足が生じ、停電が波状にひろがって、現代社会が突然のエネルギー供給不足にきわめて脆いことが実証された。影響は日本国内にとどまらなかった。日本の工業製品の製造が中断したことが、グローバルなサプライチェーンが分断され、北米とヨーロッパの自動車・電子製品の生産が停止して、グローバルが経済に打撃をあたえた。福島第一原発事故は、波長する世界経済の電力需要を満たすのに不可欠であると考えられていた。”グローバル原子力ルネサンス”に、大きな」疑問を投げかけた。

核燃料サイクル より

1945年に日本の広島と長崎の上空で原子爆弾が炸裂したあと、第二次世界大戦はあっというまに終結した。戦後数年は、アメリカと同盟国のイギリスだけが、原子爆弾を独占的に保有していた。しかし、1949年、スパイ組織を利用して情報を得たソ連が、予想よりもずっと早く最初の原子爆弾の核実験を実施し、たいへんな衝撃をあたえた。
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だが、アメリカで開発されたもっとも一般的な原子炉は、軽水――要するに普通の水――冷却材に使う。炉心のまわりを通過した水は、一定の温度に熱され、直接または間接的に蒸気を発生して、タービンを駆動する。この軽水炉は、現在世界中で稼働している440基ほどの原子炉の約90パーセントの基本的な設計になっており、計画中の原子炉の大半が軽水炉である。
冷却材がなんであれ、核燃料サイクルの話は避けて通れない。軽水炉の場合、サイクルはウラン採鉱からはじまり、制御された連鎖反応を持続できるレベルに放射性同位元素ウラン235を増やす濃縮作業がそれにつづく。濃縮されたウランは、原子炉に挿入する燃料棒に加工される。サイクルは、使用済み核燃料を保管もしくは再利用という形で廃棄処分するまでつづく。
軽水炉の起源は、第二次世界大戦アメリカ海軍にまで遡る。潜水艦の動力に使うために、アメリカ海軍は原子力の開発に乗り出した。この卓越した技術は、ハイマン・リックオーバー海軍大将という、ひとりの熱心な技術士官の粉骨砕身の努力によって築かれた。「各方面で全時代を通じてもっとも偉大なエンジニアだと身なされていた」と、ジミー・カーター大統領は述べている。リックオーバーは、現役勤務63年という前代未聞の軍歴を達成し、こんにちでは、原子力海軍の父であるばかりではなく、現在の原子力発電産業の父でもあると見なされている。

例外

チェルノブイリが西ヨーロッパのエネルギー分野にあたえる影響は、すさまじかった。原子力反対を煽り、その論拠を強化した。イタリアは新しい原発は建設せず、現行の原発はいずれ廃止すると明言した。スウェーデンとドイツは、原発建設の一時停止を決定し、段階的に縮小する方向を目指した。イギリスの原子力委員会は、組織解体の日まで原発の廃棄に専念することになった。チェルノブイリは、スリーマイル島アメリカにもたらしたのとおなじものを、ヨーロッパにもたらした。あらたな原発の開発は停止した。
ヨーロッパでは、フランスだえが原子力計画を押し進めていた。「大規模な事故が起きても、フランスの原子力への取り込みが再考されることはない」と、フィリップ・ド・ラドゥセットは述べた。「第一次世界大戦終結以来、エネルギー独立が国是となっている」政府高官の多くが理系のテクノクラートであることが、それをいっそう堅固にした。
政治的基盤が確立すると、原子力はフランスの電力供給にとってなくてはならない基底負荷電力(ベース・ロード)になった。原子炉58基が、フランスの電力の80パーセントを供給している。フランスは、世界最大の電気輸出国でもある。近隣諸国への電力販売はフランスの輸出品目の第4位を占めている。
日本でも原発はつぎつぎと建設された――チェルノブイリ事故後の10年間に、15基以上も増えている。しかし、日本には原子力に関して、複雑な負の文化的遺産がある。核攻撃を受けた唯一の国であり、原子力関連の政治は、選挙民と政治家の両方に激しい感情的な反応を引き起こすおそれがある。しかし、戦後の経済の奇跡を脅かす1970年代のオイルショックは、大変な衝撃だった。したがって、原子力プログラムを支持する政治の意志は、揺らがなかった。
アメリカやイギリスとはちがい、日本は化石燃料供給のほとんどすべてを輸入に依存せざるをえない」日本の旧通産省の元高官でエネルギー問題に詳しい内藤正久はいう。そのため、日本は原子力を「手にはいりやすい安定した電力源で、日本のエネルギー安全保障に不可欠」と見なしている。日本は原発を廃止せず、安全基準を強化して、さらに促進した。反対はおおむね”無力化”された。2011年はじめ、日本で稼働していた原子炉54基は、日本の全電力の30パーセントを供給していた。2030年までに原発が電力の50パーセントを供給するというのが、公式目標だった。日本の取り込みは不変であり、揺らぎそうになかった。
だが、日本はフランス同様、大きな例外だったのだ。