The history of the Cuban Missile Crisis - Matthew A. Jordan
Cuban Missile Crisis
プーチン氏は「核のボタン」を本当に押すのか?その時何が…専門家が「使い方」想定! 止められるのは、あの”親友”?
2022.3.7 Yahoo!ニュース
ソ連が解体され、能力の大部分を失った後もロシアは核保有国の一つだ。
我々を攻撃すれば、不幸な結果になるのは目に見えている。
プーチン氏を止められるのは、あの人物か…?
https://news.yahoo.co.jp/articles/73a539e6f00743cf16bc19fd4cb6d3ee5d86bfc0
『私たちが、地球に住めなくなる前に』
マーティン・リース/著、塩原通緒/訳 作品社 2019年発行
第1章 人新世の真っ只中で より
核の脅威
冷戦時代、すなわち軍備規模がむやみにエスカレートしていたこる、超大国は下手をすると混乱と誤算のすえにハルマゲドンに突っ込んでいてもおかしくなかった。それは「放射能退避壕(フォールアウトシェルター)」の時代だった。キューバ危機のときには私も学生仲間とともに徹夜での座り込みやデモに参加したものだ。私たちの気分を上げてくれるものといえば、トム・レーラーの歌のような「プロテストソング」ぐらいしかなかった――「ゆくときはみんないっしょさ、みんなで白熱光に包まれるんだ」。だが、そのとき私たちがどれほど破滅に近づいていたかを本当にわかっていたなら、とてもその程度の恐れでは済まなかっただろう。のちの話では、当時のアメリカ大統領ケネディが核戦争勃発の見込みを「3分の1かそれ以上」と言っていたということだ。さらに当時の国防長官ロバート・マクナマラも、引退してからずいぶん経って、初めて率直にこう語った。「われわれは気づかぬうちに核戦争の寸前まで来ていた。回避できたのはわれわれの功績ではない――フルシチョフとケネディは賢明だったが、それと同じぐらい幸運だった」
この最高に緊迫した事態のひとつについて、現在ではもっと詳しいことがわかっている。ソ連の海軍士官として高い評価を受け、多くの勲章を叙されたヴァシーリイ・アルヒーポフは、その当時、核ミサイルを積んだ潜水案の副艦長を務めていた。潜水艦がアメリカから爆雷攻撃されたとき、艦長は米ソが開戦したものと判断して、乗員にミサイルの発射を命じようとした。規定上、発射には乗艦している上位3名の士官の承認が必要だった。アルヒーポフ副艦長は、これに頑として抵抗した――その結果として、破滅的なまでにエスカレートしていたかもしれない核攻撃の応酬の始まりが防がれることとなった。
キューバ危機後の評価にしたがえば、冷戦中の熱核破壊の年間リスクは、小惑星衝突による平均死亡率の約1万倍にも達していた。そして実際、大惨事が間一髪で防がれた。「ニアミス」はほかにもあった。1983年、ソ連防空軍士官のスタニスラフ・ペトロフがスクリーンを監視していると、アメリカがソ連に向けて大陸間弾道ミサイル「ミニットマン」5発を発射したことを示す「警報」が出た。そうした場合にすべきこととしてペトロフが命じられていたのは、上官に警報を伝えることだった(それによって即座に上官が報復核攻撃の動きに入れる)。しかしペトロフは直感的に、自分がスクリーンに見たものを無視することに決めた。開発初期の警報システムの誤動作ではないかと判断したからだ。そして事実、そのとおりだった。雲の頂から差し込んだ太陽光線の反射がミサイル発射と誤認されていたのである。
核抑止力は機能していた、と力説する人はたくさんいる。たしかにある意味ではそうだった。しかし、だからといって、それが賢明な方針だったとは限らない。6連発のピストルのピストルに1発か2発の弾を込めてロシアンルーレットをやった場合、生き残る可能性はそうでない可能性よりも高いだろう。
・