じじぃの「科学・地球_279_mRNAワクチンの衝撃・アウトブレイク」

Meet The Immigrant Couple Behind Pfizer-BioNtech Covid Vaccine

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MDEYCxXFzoA

   

FT People of the Year: BioNTech’s Ugur Sahin and Ozlem Tureci

新型コロナワクチン開発~トルコ系ドイツ人夫婦の軌跡

さいたま記念病院
勉強の過程でファイザー社のワクチンを最初に作ったのがビオンテック(バイオンテック)というドイツのベンチャー企業だと知りました。その創始者は研究者であり医師でもあるウール・シャヒン氏とエズレム・テュレジ氏の夫妻。2人ともトルコ系ということに興味を覚えました。
内外の情報を集めてみました。経歴など細かな情報は主にドイツのSpiegel誌2021/1/2号から得ました(図はその表紙。タイトル:ビオンテックの救世主「ドイツはワクチンを十分に入手できるだろう」)。
夫のシャヒン氏はトルコ生まれ、4歳のときに母親と共に西ドイツに移住してきました。当時、父親は西ドイツ・ケルンに居住し自動車工場で働いていました。シャヒン氏はケルンのギムナジウム中高一貫のエリート校)を首席で卒業し、ケルン大学医学部に進学して医師となり、ザールラント大学病院に異動しました。
2歳下の妻のテュレジ氏は西ドイツで生まれました。父親はトルコ・イスタンブール出身の外科医で西ドイツに移住後、北方のニーダーザクセン州カトリック系病院に勤めていました。テュレジ氏はギムナジウム卒業後ザールラント大学医学部に進学して医師となりました。医学部最終学年のときにシャヒン氏と知り合ったとのことです。
http://www.saitamakinen-h.or.jp/news_head/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%80%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E7%B3%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%BA%BA%E5%A4%AB%E5%A9%A6/

『mRNAワクチンの衝撃』

ジョー・ミラー、エズレム・テュレジ、ウール・シャヒン/著、石井健、柴田さとみ、山田文、山田美明/訳 早川書房 2021年発行

第1章 アウトブレイク より

その日、ウール・シャヒンの予定表は数週間ぶりに空(から)だった。金曜日の午前中、妻のエズレム・テュレジと10代の娘とともに暮らす2部屋付きのアパートはいつになくがらんとしている。静けさのなか、彼はスポティファイのライブラリをスクロールし、聴き慣れたいつものプレイリストを選択した。湯気の立つウーロン茶入りのカップを軽く揺らしながらパソコンの前に座る。トルコ生まれの免疫学者の仮のオフィスに、録音された心地よい鳥のさえずりが満ちた。
受信ボックスはメールであふれかえっていた。指導する博士課程の学生たちが送ってきた論文にようやく目を通しはじめたところで、妻のエズレムと娘が仕事と学校から帰ってくる。2人はドアからひょいと顔を出して、もう4時よ、と告げた。お気に入りのベトナム料理店にフォーとベトナム風サンドイッチを食べにいく時間だ。一家は週に一度のこの習慣をめったに取りやめることがなかった。家族の誰かがしばらく家を空けていたあととなれば、なおさらだ。一家が帰宅してウールが再び再びデスクの前に腰を下ろしたのは、もう夜になろうというころだった。ここからは、唯一の趣味らしい趣味に没頭できる。その趣味とは、各種記事を読み最新情報をキャッチすることだ。
    ・
手がかりは、ウイルスの名前にあった。コロナウイルスという名称は、ウイルス表面から無数の突起(スパイク)が突き出た形状が、どことなく王冠(ラテン語でcorona)に似ていることからついたものだ。この丸くふくらんだ突起はタンパク質から成り、長さはおよそ20ナノメートル。針の頭に5万個並べられるほどの小ささだ。新型コロナウイルスのあらゆる図解で必ず登場し、見慣れた存在となっていくこのスパイクタンパク質。これこそが、今回のウイルスの脅威をここまで高めた元凶だった。コロナウイルスのスパイクタンパク質は、健康な肺の細胞表面に、ある特定の受容体と結びつくことができるのだ。ただし、それはこのウイルスの弱点でもあった。理論上、この突起を無効化または変形させるように免疫系に教え込めば、健康な細胞との結合プロセスを阻害され、ウイルスを無害化できるからだ。
新たなウイルスと2002年のSARSウイルスがどの程度共通しているかを確認するため、ウールはこの病原体の遺伝暗号を調べた。新型ウイルスの遺伝子配列は、ある頭の切れる中国人教授によってわずか数週間前に解読され、ネットに投稿されていた。とはいえ、単一ソースによる情報を頭から信じ込むようなウールではない。その後公開サーバにアップロードされていた最新版の遺伝子配列も合わせて参照する。その結果、武漢のウイルスとSARSウイルスの類似性はおよそ80パーセントであることがわかった。このことは、スパイクタンパク質が依然としてワクチンのターゲットとして最適であることを示している。
ただし、ターゲットを特定するだけでは不十分だ。ワクチン開発を左右するのは精度であることを、ウールはよく知っていた。
    ・
大事なプロジェクトをこれ以上増やす余裕のないことは、2人とも認識していた。つい数日前にJPモルガンのカンファレンスで行ったプレゼンテーションでも、ウールは感染症についてほとんど触れていない。12年におよぶ赤字に忍耐を重ねてきたビオンテックの株主たちも、今後数ヵ月の間に画期的ながん治療法が確立することを期待することを期待しているだろう。そうしたなかで、もしいまワクチン開発に着手したら、彼らは新型ウイルスについてろくな知識もないままに、新たなチームを組織し、さまざまな決定を下していかねばならない。コロナウイルスのどの部分を分離するか。mRNAを包み込む原料には何を選ぶか。1回分の接種量はどの程度にするか。実験は1回接種のワクチンとして行なうか、それともブースター接種と組み合わせるか――。そのうえ、もし接種によって病気やアレルギー反応が出たり、誘因される免疫反応が弱すぎたりした場合は、それまで進んできたステップを一歩一歩後戻りしつつ、消去法で原因を探ることになる。リスクはあまりにも大きかった。
しかし、もう1つわかっていたことがある。ウイルスとの競争はすでに始まっており、1週間たりとも無駄にできないということだ。後々になって「あのときこうしていれば」と後悔し続けるのは嫌だった。2020年1月24日時点で、この新たな病に感染したと確認された人の数は世界で1000人に満たなかった。

25日、ウールとエズレムはひっそりと2人の間だけで、ワクチン開発に取り組むことを誓い合った。そして26日日曜日の夜までに、ウールはすでに8つの異なるワクチン候補を設計し、その技術的な構築プランをおおまかに練り上げたのだ。

その翌日には、ドイツで初の新型コロナウイルス感染者が確認されることになる。バイエルン州の自動車部品工場で働く33歳の従業員が、インフルエンザのような症状を訴えて、感染症と熱帯医学を専門に扱うミュンヘンの医療施設を訪れた。そして、そこで陽性が判明したのだ。このときすでに、ビオンテックはプロジェクトを開始していた。何百人もの人員と何百万ユーロもの資金を投じることになる一大プロジェクトだ。不確かなプラットフォームを武器に、まだ名前すらない病に立ち向かうためのワクチン開発が始まろうとしていた。