じじぃの「記憶の暗殺者・適者生存とはなにか?理不尽な進化」

What was the Holocaust?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qnEllhLF6ww

What was the Holocaust?

Introduction to the Holocaust

Holocaust Encyclopedia
●What was the Holocaust?
The Holocaust (1933-1945) was the systematic, state-sponsored persecution and murder of six million European Jews by the Nazi German regime and its allies and collaborators.
https://encyclopedia.ushmm.org/content/en/article/introduction-to-the-holocaust

吉川浩満(2014)『理不尽な進化ーー遺伝子と運のあいだ』朝日出版社

2018年3月16日 Twitter for iPad
自然淘汰は足跡を消す…かつて祖先集団に存在したはずの競争相手が見出されないという事実それ自体が、形質Aが自然淘汰による適応の産物であるという推測の根拠になるのだが、まさにその同じ事実によって、適応の過程で淘汰されていったはずのほかの形質を特定できないという事態が生じる」140-3頁
https://twitter.com/9w9w9w92/status/975161766391906304

トートロジーとは

コトバンク より
ギリシア語での「同語反復」に由来することばである。正しいことがすぐにわかるような単純な命題のことを「それはトートロジーにすぎない」ということがある。
「犬が西向きゃ尾は東」などは、この意味でトートロジーである。
命題論理では、命題論理の記号と文変項とを連ねてつくった合成文の形式のうち、文変項に代入される文の正しさをどのように決めてもつねに合成文が正しくなるようなものを「トートロジー」という。

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『理不尽な進化――遺伝子と運のあいだ』

吉川浩満/著 ちくま文庫 2021年発行

第2章 適者生存とはなにか より

自然淘汰説――誤解される主役

私たちはみな進化論をよく知っていると思っている。よく勉強しているという意味ではない。とくに勉強なんかしなくても、なんとなくイメージとしてよくわかっているように思っているという意味だ。メディアや広告で踊る進化論風の言葉がわからないなんて話は聞いたことがないし、みんなわかるだろうと思うからこそ、コピーライターもそうした文句を書き連ねるのである。
だが、私は次のような疑問を抱いている。私たちは進化論を根本的に誤解しているのではないか、私たちが愛しているのはじつは別のなにかなのではないか、という疑問である。
その誤解とは、進化論の中心アイデアである自然淘汰説についての誤解である。自然淘汰説こそ、進化論をまさに進化論たらしめる主要学説だ。それを誤解することは、進化論そのものを誤解することに等しい。
そこで、自然淘汰説が本書のテーマとなる。
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第1章の理不尽な絶滅シナリオで確認したように、生物の存亡は、しばしばその生物学的性質(遺伝子)とは関係のない外的要因(運)に左右される。ある時点で適者であった者が、次の時点では不適者に転落することがふつうに起こる。この事実と、適者は適者だから生き延びたのではなく、生き延びたからこそ適者と呼ばれるという自然淘汰の基準を考え合わせれば、時代や場所が変われば適者の適者性も変わりうるということになる。
それなのに、自然淘汰のプロセスがかつての競合相手を破壊してしまうために、いまいる適者が必然的に生き残ったかのようにしか見えなくなるのである。過去を振り返って歴史を再構成しようとしたとき、歴史のカンヴァスには、現在の適者へとつながる1本の系統だけしか見当たらないのだ。その結果、あらかじめ適者の定めにあった適者がやっぱり適者になったのだ、というトートロジカルな歴史絵巻ができあがることになる。
このようにして私たちは、「適者生存の法則」にたいする「確証事例」を、「生存したのは(やっぱり)適者だった」というかたちで、そこに見出してしまうのである。そもそも「適者生存の法則」は本来トートロジーなのだから、「確証事例」を見出すのは当然なのである。
まるで、かつて哲学者ハンナ・アーレントが論じた「忘却の穴」を想起させる酷薄さである。ナチス・ドイツは、ユダヤ族を組織的に抹殺しながら、そのような抹殺行為の痕跡すら抹殺することで、そもそもはじめからユダヤ人など存在しなかったかのような世界をつくろうとした(Arendt 1951=2017: vol.3, 234)。

それをアーレントは「忘却の穴」と呼んだのだが、自然淘汰のプロセスは、自身の犯行の証拠を「忘却の穴」へと隠滅しながら作動する「記憶の暗殺者」(ヴィダル=ナケ)のように働くのである。自然淘汰が足跡を消すとは、このような事態を指す。

ここでも私たちは、自然淘汰の原理を基準――適者を生存によって定義するという基準――ではなく、自然法則のようなもの――「適者生存の法則」――とみなすことになる。そして、トートロジーを法則として扱うとき、それがどんな事柄にも適用できる言葉のお守りになることは、前項で確認したとおりだ。ここでは、自然淘汰それ自体がもつ性質が、適者ははじめから決まっているという、反ー自然淘汰説的な結論に私たちを導いているのである。