じじぃの「歴史・思想_554_嘘の世界史・国家は嘘をつく」

Titus Oates Popish Plot

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7AGlS68CQn0

タイタス・オーツ

カトリック陰謀事件

ウィキペディアWikipedia) より
カトリック陰謀事件(Popish Plot)は、1678年から1681年に発生したイングランドカトリック教徒が国家転覆の陰謀を企てているという陰謀の捏造と、それに伴う集団ヒステリーの事件・社会現象である。
捏造されたテロ計画が本当に存在していると信じられ、イングランドの反カトリック感情をあおって国全体がパニックに陥った。
陰謀事件をでっち上げ、首枷をはめられて晒しものにされるタイタス・オーツ(画像参照)。
2年半にわたってカトリックを敵視した立法・裁判が横行したが、陰謀がまったくの捏造であったことがわかると、反カトリックを鮮明にしているホイッグたちの地位を低下させた。その後、1680年代においてヨーク公ジェームズの信仰自由宣言や国王即位の道筋をつけることになった。

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『とてつもない嘘の世界史』

トム・フィリップス/著、禰宜田亜希/訳 河出書房新社 2020年発行

第6章 国家は嘘をつく より

政治の嘘は、政治と同じくらい長きにわたって続いてきた(人類が、正確に言っていつ政治を始めたのは明白でなく、だいぶ昔だったと言うのが無難だろう)。例を1つ挙げると、歴史上、最もきわだった嘘つきのひとりはタイタス・オーツという男である。オーツのせいで1678年から3年間、イングランドスコットランドは反カトリックの怒りで燃えたぎった。きっかけは、この男が誰にでもわかる見えすいた嘘をつくことだった。
ここで肝心なのは、「あれは異常な出来事だった」と特別視しすぎないことである。歴史の大半を鑑みるに、イギリス人がカトリック教徒を憎む熱狂にふけるのはだいたい犬が自分の尻尾におびえて半狂乱になるのと同じくらいたやすかった。だがそれでも、この国で最高の影響力を持つ人たちが、何年間もある男の言いなりになったのは注目に値する。この男はケンブリッジ大学の学位があるとうそぶいて、イングランド国教会の牧師の職を得たが、その後の10年のほとんどを、偽証や男色などさまざまな罪を犯しながらも罰せられずに過ごしていた。
「読み書きできない最悪のまぬけで、つける薬もない」と言われたこともある。オーツは暴力をふるう父のもとで育った。頭の鈍い不機嫌な子どもだった。そして、授業料の金をよからぬことに使い果たし、学校から追い出された。オーツはケンブリッジ大学の2つの学部で勉強したが中退した。だがそれでも、『オックスフォード英国人名辞典』に、ケンブリッジ大学で「愚かな行為と男色行為と『もったいぶった口調で熱を帯びたように喋る』という評判」があると記された(どの特徴も、ケンブリッジ大学ではとくに前例がないことではないけれども)。
1677年、オーツはイギリス海軍の牧師だったが、男色行為にふけったととがめられたときに職を短時間でしりぞき、偽証罪で収監された刑務所から少なくとも2度は脱走し、この機に乗じてカトリック教に改宗した。だが、その後、おそらく精神錯乱者だった反カトリック陰謀論者、イズレイエル・トングにのめりこんだ。なんというか、この尋常でない2つの影響があいまって、期してオーツは最も恥ずべく汚点を歴史に残すことになった。カトリック教会がイングランド王チャールズ2世暗殺の陰謀計画を企てているといういかがわしい申し立てをしたのである。
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どのようにしてオーツが、つまり、つじつまの合わない話をくり広げ、頭がいかれた人物同然にふるまう評判が悪い男が、一国の政治言論を何年もあやつることができたのだろう? それも、陰謀計画で暗殺の標的とされた当の王自身が、オーツの話を信じなかったというのに。げんだいの陰謀論の多くがそうであるように、オーツの話はすでに大勢の心に潜んでいた考えにしっくり合っていた。人々はそう信じたくてたまらなかった。だからこそ、話がちぐはぐでも、筋が通っていなくても、何の妨げにもならなかった。それに、オーツ自身に関しても言えることがある。彼は無骨で魅力のかけらもない男だったにもかかわらず、聴衆の心を磁石のごとく惹きつけたようである。単純に言えば、でたらめを並べたてる名人級の才能があった。称賛に価しなくても、少なくとも人々を楽しませた。
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政治の嘘について語るなら、ウォーターゲート事件に触れないわけにはいかない。だが、この事件はもう、ハリウッド映画でさんざんあつかわれたように思う。読者のあなたも話の大すじをざっくりとご存じではないか? ご存じないなら、ちょっと調べたりしてぜひとも知ってほしい。おもしろさ満点だから。だがそれでも、再考の価値がある面もある。ウォーターゲート事件で、おそらく2番目に興味深いのは、事件関係者が全員、捕まらないままで逃げおおせていたかもしれない点である。この事件が明るみに出るのに中心的な役目を果たした「ワシントン・ポスト」紙の記事は、たいして規模の大きくない話ばかりがゆっくりとしたたる落ちるようなもので、ややもすると大きな醜聞にならないままだったかもしれない。人々が新聞記事をただ「そんなものか」と受け入れ、どれくらいの不正直さが不正直すぎるのかという、心の目安そのものを調整したものだから、話が世界をゆるがす醜聞にまでふくれあがることはなかった。そうなったのは、あとになってからである。
最も興味深いのは、連中は皆、揃いもそろって嘘をつくのが驚くほど下手だったことである。