じじぃの「第3のシナリオ・複雑な理不尽な絶滅?理不尽な進化」

Dinosaurs'extinction: The cause

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Czo9cjlpkZU

理不尽な進化 増補新版 遺伝子と運のあいだ flier

吉川浩満(著)
●なぜ絶滅に着目するのか
本書は、進化論にかんする専門書や学術書ではない。
「進化論と私たちの関係」について考えようとするエッセイ(試論)である。生物の進化は、ふつう生き残りの観点から語られる。しかし、本書はそれとは逆に、絶滅という観点から、敗者の歴史として生物の歴史をとらえようとする。
https://www.flierinc.com/summary/2674

『理不尽な進化――遺伝子と運のあいだ』

吉川浩満/著 ちくま文庫 2021年発行

第1章 絶滅のシナリオ より

ほぼすべての種が絶滅する――驚異的な生存率(の低さ)

各地に残された化石記録をもとに、当時の生物の特徴や系統関係などを明らかにする学問が古生物学だ。地層には、絶滅した過去の生物の遺骸や痕跡が化石というかたちで残されている。古生物学は、数万年から数千万年という地質学的な時間尺度でもって地層や化石を眺め、40億年ともいわれる生命の歴史を跡づけるのである。
アメリカの代表的な古生物学者のひとりであったデイヴィッド・ラウプは、現在地球上に生息している生物種はおそらく400万種は下らないだろうと推定する。そして、これまで地球上に出現した生物種の総数は、おそらく50億から500億ではないかと推定している(Raup 1991=1996: 17-8)。ここからわかるのは、現在いかにたくさんの生物種が存在していようとも、これまでに出現した生物種の数と比べたら、ほんのわずかなものにすぎないということだ。
ラウプの推定にもとづいて、いまなお存続している生物種を500万から5000万とし、これまでに出現した生物種を50億から500億として割り算をしてみよう。すると、いま生きている種はじつに全体の1000分の1でしかないということになる。つまり、これまでに出現した生物種の99.9パーセントはすでに絶滅してしまっているのだ。せっかくこの世に登場してきたというのに、ほとんどの種は冷たい土の中で永遠の眠りについているのである。

絶滅の類型学

3つのシナリオ――絶滅への道

ラウプは、絶滅生物たちがどのようにして死に絶えるにいたったかを、古生物学上の化石記録や統計データを駆使して調べ上げた(彼はコンピュータを用いた統計解析やシミュレーションを古生物学に導入したパイオニアである)。
そこで彼が注目したのは、絶滅する生物がたどる特有の筋道である。絶滅生物にはみなそれぞれに異なった事情があったにはちがいないが、それでも、絶滅絶滅生物へといたる筋道にはいくつかの特徴的なパターンが見出される。分析の結果、絶滅の筋道は煎じ詰めれば次の3つのシナリオに分類できると彼は考えた。いわば「絶滅の類型学」である。
それは次のようなものだ(Raup 1991=1996: 225)。
  1 弾幕の戦場(field of bullets)
  2 公正なゲーム(fair game)
  3 理不尽な絶滅(wanton extinction)
生物の歴史において、どのシナリオにいる絶滅も、ある時ある場所ある規模において起こったし、いまでも起こっていることはまちがいない。しかし、ラウプがとくに重視するのは第3のシナリオだ。それこそもっとも影響力のあるシナリオだと言う。どういうこtだろうか。順番に見ていこう。

第1のシナリオ――弾幕の戦場

第1のシナリオは、「弾幕の戦場」と呼ばれる。気の利いたネーミングだ。これは、生物がどれだけ優れているかとか、どれだけ環境に適応しているかといったこととは関係ない絶滅を指す。人口密集地にたいして行われる無差別爆撃をイメージするとわかりやすいかもしれない。はるか上空より飛来する爆撃機から雨のように多数の爆弾を降ってくる。このような状況では誰が倒れるかは確率論的に決まる。
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しかし、長い地球の歴史から見れば、この種の事象はそれほどまれなものでもないようだ。地球上には、天体や隕石の衝突だけでなく、火山の噴火や溶岩の流出といった、そこに居合わせた生物に弾幕の戦場的な打撃を打撃を与えたであろう事件の痕跡が、けっこうたくさん存在するのである。

第2のシナリオ――公正なゲーム

2番目のシナリオは、「公正なゲーム」と呼ばれる(ラウプ邦訳書では「正当なゲーム」)。これは、同時に存在するほかの種や、新しく生じたきたほかの種との生存闘争の結果として絶滅が起こるというシナリオだ。絶滅の原因として私たちが思い浮かべるのは、まさにこのシナリオではないだろうか。企業同士の市場競争のようなイメージだ。というか、実際には逆で、私たちはこうした市場競争のイメージのほうを生物界にあてはめているのではないか。
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劇的な例として、ネアンデルタール人の絶滅が挙げられるかもしれない。ネアンデルタール人は、現生人類にもっとも近かったかつての仲間である。20万年にわたりユーラシア大陸に散らばって暮らしていたらしいのだが、2万数千年前に絶滅してしまった。数万年前には現世人類と分布域が重なっていたともいわれている。では、なぜ現生人類は生き残り、彼らは絶滅したのか。よく言われるのは、より賢い現生人類との生存競争に敗れたから、というものだ(とはいえ、現生人類との競争とは関係なく絶滅したのかもしれないし、真相はよくわからない。あるいは、なにか恐ろしいことが起こったという説もある。私たちの祖先が皆殺しにしてしまったという説だが、広く支持されているわけではない)。

第3のシナリオ――理不尽な絶滅

そこで第3のシナリオ、「理不尽な絶滅」の出番である。
このシナリオこそ、話をややこしくすると同時におもしろくもする張本人である。どうしてややこしくするのかというと、これが第1のシナリオ(弾幕の戦場)と第2のシナリオ(公正なゲーム)の組み合わされた複雑なシナリオであるからだ。どうしておもしろくするのかというと、現在の生物の多様性が生みだされるうえで大きな役割を演じたのがこのシナリオだと考えられるからだ。いわば進化(論)のややこしさとおもしろさを一身に体現したシナリオなのである。
さて、理不尽な絶滅シナリオを要約すれば、次のようになるだろうか。すなわち、「ある種の生物が生き残りやすいという意味ではランダムではなく選択的だが、通常の生息環境によりよく適応しているから生き残りやすいというわけではないような絶滅」と。あるいは、ある種の性質をもった生物だけが生き延びやすいという意味では選択性が働いている絶滅だが、普通の意味で「環境に適応したから生き延びられた」とか「適応できなかったから滅んでしまった」とはいえないような状況における絶滅ということもできる。ひとことでいえば、遺伝子を競うゲームの支配が運によってもたらされるシナリオということだ。いまの段階ではちょっとピンとこないかもしれないが、具体例を見たあとに読み返せば、なるほどと思えるはずだ。
ここで恐竜たちの話をしないわけにはいかない。
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このシナリオを理解する際のポイントは3つある。ひとつめは、生存のためのルールが変更されてしまうこと。衝突の冬では、太陽光の遮断と寒冷化によって、ルールの変更が急激かつ大規模に行われた。2つめは、そのようにしてもたらされた新しいルールの内容は、それまで効力をもってきたルールとは関係がないということ。つまり、それまで何億年ものあいだ培ってきたルールへの適応が、新しいルールのもとでは役に立たないということだ。

衝突の冬で起きたルール変更は、有力な生物の多くが前提としてきた太陽光を遮断することで、彼らの能力と実績を白紙に戻すようなものだった。そして最後に、そのようにして設定された新しいルールは、それでもルールとして厳格に適用されるということ。衝突の冬における太陽光の遮断と寒冷化は、これまで文字どおりの日陰者であった、光合成を必要としない生物や寒冷な気候に強い小さな生物だけを、選択的に行き残らせたのである。