じじぃの「歴史・思想_553_嘘の世界史・詐欺の延命計画」

グレガー・マグレガー ~史上最悪の詐欺師~

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lZdzsj6qzwQ

Therese Humbert

Therese Humbert : l’escroquerie en guise d’ascenseur social.

Du Polar et de l'Histoire : Pierre Mazet
https://www.pierre-mazet42.com/therese-humbert-lescroquerie-en-guise-dascenseur-social

グレガー・マグレガー

ウィキペディアWikipedia) より
将官グレガー・マグレガー(1786年 - 1845年)はスコットランドの兵士、冒険家、そして信用詐欺師である。
彼は1821年から1837年まで、イギリスとフランスの投資家らや入植者らを、自分が「族長」("Cazique")として支配すると主張した架空の中央アメリカの領土「ポウヤイズ」("Poyais")に引き寄せようとした。何百人もの人々が貯蓄をポウヤイズ政府債券とされるものと土地証明書に投資し、1822年から23年に約250人がマグレガーの捏造国に移住すると、手つかずのジャングルだけであった。彼らの半分以上が死亡した。マグレガーのポウヤイズ計画は、歴史上最もあつかましい信用詐欺の1つと呼ばれてきた。

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『とてつもない嘘の世界史』

トム・フィリップス/著、禰宜田亜希/訳 河出書房新社 2020年発行

第5章 ぺてん師のいかさま宣言 より

本当に複雑な詐欺の例をお好みなら、その顛末がはるか遠くまで普及した「ラ・モット夫人」こと、ジャンヌ・ド・ヴァロア・サン=レミに勝る例はない。ジャンヌはフランスの成り上がりの詐欺師で、自らに称号を冠して伯爵夫人と名乗り、王妃マリー・アントワネットと親しくもないのに親しいと嘘をつき、借りた金でダイアモンドの首飾りを王妃に贈るという口実で借金の交渉にのぞんだ
この計画は枢機卿と会うときに、わざわざ王妃役の売春婦を雇うといった念の入れようだった(ジャンヌはこの枢機卿と浮気してもいた)。
この女の詐欺はうまくいきそうだったが、すんでのところでうわさが王妃の耳に入ったために頓挫した。ジャンヌは犯罪をおかした容疑で裁判にかけられ、有罪判決が下り収監された。だが、この1件はマリー・アントワネットにとっても都合のよいものではなかった。裁判で王室のぜいたくな出費に世間の注目が集まり、そのせいで王妃のたいしてよくもない好感度が地に落ちたからだ。これが数年後のフランス革命の勃発をうながし、やがてマリーはギロチンにかけられることになった。
こうしたぺてん師たちの動機はおもに富を得ることだったが、とびきり魅力的なある詐欺師の動機はまったく異なっていた。
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社会に抜け穴を見つけ、情け容赦なくつけこむ能力が偉大な詐欺師のしるしなら、私たちの最後の物語となるスターは最高に偉大でなければならない。

グレガー・マグレガーが歴史上、最大規模の舞台で詐欺をはたらいた詐欺師だったなら、これは野心も度胸もグレガーにひけを取らなかった女の話である。

だが、この女は最小の規模という、それとは正反対の端でそれを行なった。詐欺をするのにマグレガーが1国をまるごとこしらえなければならなかったら、テレーズ・ハンバートはすべてをたった1つの鍵付け金庫の中身をめぐって行なった。
この小道具のおかげで、もともと想像力だけは並はずれてたくましかった一文なしの田舎娘が、法律を手玉に取った華麗なまでにシンプルな妙技を通して、まる20年のぜいたく暮らしをすることができた。これはベルエポックと呼ばれるパリの華やかなりし時代の話である。
金庫には1揃いの債権があると言われていた。それには概算で1億フランの値打ちがあり、ロバート・ヘンリー・クロフォードという謎のアメリカ人がテレーズに遺言で残したものとされた。数年前、クロフォードは列車内で心臓発作を起こしたときにテレーズに命を救われ、命拾いしたさいの感謝の気持ちから、気前のいい礼をすると誓った。そして、その約束を守って遺言を残し、亡くなる直前に書き換えたので、テレーズは巨額な遺産を相続したというのである。
すぐにでも換金できるこの莫大な富のおかげで、テレーズは好き放題に借金ができた。債権者はじきに大きな利益が得られるという期待に胸をふくらませた。それはなにも複雑な詐欺ではなかった。基本は昔ながらの「小切手を送った」という手口と同じである。むろん、そんなトリックは限られた期間しか通用せず、やがて郵便配達人が手ぶらであらわれるまでである。
テレーズ・ハンバートはこれを完璧によくわかっていた。それまでも裕福な恩人をでっちあげては捕まってきたからである。子どものころから、実生活と空想の生活との線引きがあいまいで、ないも同然だった。これには父のオーガスト・ドリニャックの影響があった。オーガストはどことなく哀れを誘う常軌を逸した奇抜な夢想家で、自分を貴族の子孫だと信じていた。晩年は魔術を使えると言いつのり、借金のスパイラルに陥っていたが、じつは莫大な遺産があり、鍵付きの古い木箱にそれを証明する文書があると言って、債権者たちを安心させていた。
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マグレガーがつけこんだイギリスの弱みが植民地を持つ夢への憧れであり、デマラがつけこんだアメリカ人の弱みが地位を重んじ、たやすく個人に権力をゆだねるやりかたであり、グロモフがつけこんだフランスの弱みは、そのずさんな法制度だった。当時のフランスの裁判はじりじりとした速度でしか進まず、公正という概念があまりにも希薄だったことで悪名をはせていた。

テレーズは詐欺の延命計画を思いついた。とても単純かつ巧みな計画で、率直に言って、畏敬の念を抱いてしまうほどである。

テレーズは自らを法に訴えた。
正確に言えば、アメリカの慈善家クロフォードに2人の架空のおいをでっちあげ、遺言を争ってテレーズが訴えられているように見せかけた。この目的は訴訟で2人を勝たせることではなく、最も大事なことは、誰も勝てず、どの審議も次の起訴とそのまた次の控訴を経てひとめぐり、さらにもうひとめぐりする状況を保つことだった。フランスの裁判はこの過程をこれでもかというくらいの最悪の遅さで進めた。クロフォードの兄弟は法廷に姿をあらわす必要さえなく、海のかなたからの手紙でパリきっての弁護士に指示を出していた。肝心なのは、この案件をいつまでもだらだらと継続することだけだったので、翌年もテレーズは遺産が手に入るかどうかの瀬戸際にいた。だから、金を借りさせようと群がる貸し手から巨額の金を借りなければならなかった。
そして、裁判所の厳命により、その間、実際の文書は見てはならず、テレーズの鍵つき金庫に安全に保管されていなければならなかった。
ハンバート家は20年にわたってこうしたことをし続け、20年にわたってパリでそれ以上にないほど豪奢な暮らしをした。
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計画の破綻はだしぬけに起こった。それはちょっとした紙の切れっぱしに端を発していた。テレーズはニューヨークのクロフォード兄弟の住所を求められたとき、当てずっぽうにこしらえるという間違いを犯した。わざわざ調べてブロードウェイの1302番地にクロフォードという人物など住んでいないと確かめようとするはずがないと思っていたかもしれない。だが、何百万フランもの案件がかかわっていたほか、腹に据えかねた債権者が軍隊のように群れをなしていたため、とたんに「確かめる労力の壁」が低くなった。裁判所はようやく疑いを強め、遺言を調べるように命じた。
そして、1902年5月9日、かの有名な金庫がハンバードのアパートから下ろされて、1万人近い群衆が開陳を一目見ようと、グランダルメ通りに集まった。しばらく開けようとしてから、呼ばれた鍵屋がハンマーで叩いてこじ開けた。大勢が中身を垣間見ようと熱心にのぞみ込み、ついに巨富が入った金庫の中身をようやく拝めると期待していた。
皆が、驚いたことに、金庫の中身は「古新聞、イタリアのペニー硬貨、ズボンのボタン」だけだった。
テレーズ・ハンバートは新聞と硬貨とボタンと引き換えに、20年以上のぜいたく暮らしをすることができた。単に人類と人類がつくった社会制度の弱みにつけこむコツを本能を心得ていたからである。
テレーズの友人として、「マダムX」というかっこいい匿名でこんなことを書いた人物がいる。
天災的なテレーズがやってみせたことは壮麗でした。たかだか400万や600万の遺産だと言ったなら、2年ともたなかったでしょうし、しみったれた数千フランしか借りられなかったでしょう。でも1億フランです! それほどまで巨額な金には、人々は度肝を抜かれて脱帽しました。ギザのピラミッドを前にして畏怖の念でひれ伏すのと同じで、直視できなかったのです。