じじぃの「人の死にざま_1543_ノストラダムス(医師・占星術師)」

Nostradamus mas alla de las profecias 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KbBksGgIYno
Nostradamus 9/11 Prediction Fails! 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gF5PYQQl2Vw
『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』 雑学総研 中経の文庫 2014年発行
自分の最後を予言できなかった占星術師・ノストラダムス より
直近で起こったフランスの占星術師・ノストラダムス(本名はミシェル・ド・ノストラダムス)の大ブームといえば、やはり前世紀末の1999年7月におけるものである。
それは、彼の予言中もっとも有名といえる「ハルマゲドン」が起こるのが1999年の「7の月」であるとされたからで、ノストラダムスの予言はまったくの作り物だとわかっていても、頭の片隅で気にかかっていた人も少なくないだろう。
だが、やはり1999年7月には何も起こらなかった。ノストラダムスの信者の中には、実はハルマゲドンは2年ずれており、2001年9月11日のニューヨーク同時多発テロこそハルマゲドンであると主張する人もいたようである(大陰暦では2001年9月こそ1999年7月であるという)。
さて、このように現代においても話題となるノストラダムスだが、実は自分の最後については予言できていなかったようだ。
彼は自身の死についてこう述べている。
「私は寝台と長椅子のあいだで死ぬだろう」
通説ではノストラダムスはまさにこのように最期を迎えたとされているが、実際に彼の遺体を発見した息子はこのように証言しておらず、この予言の原本は残っていないようなのだ。加えて、現在伝えられている彼の予言は後世になってから書き換えられたものであるという説もあるほどだ。
史実として、確かに彼の「予言」があたったことはあったのだろう。何せ、彼の名前を一躍有名にしたのはフランス王・アンリ2世にまつわるもので、アンリ2世が馬上試合の最中に目を突かれて亡くなったことが、ノストラダムスの『諸世紀(百詩編集)』に収められた「若い獅子が、年老いた獅子を打ち負かすだろう/戦場で一対一の戦いによって/黄金の籠の中両目を潰すだろう/2つの召集1つ/そして残酷な死を遂げる」という詩と酷似していたため、王妃であるカトリーヌ・ド・メディシスによって彼は宮廷に招かれたのであった。
これをステップとして、ノストラダムスは王宮の後ろ盾をえて、1564年にはシャルル9世の侍医にまで出世。宗教戦争が発生している最中という混沌とした世の中を迎えて、ノストラダムス占星術師としてその座を確固たるものにしたのであった。
なお、1566年7月に彼が亡くなったあとも、ますますその名声は高まってゆき、戦争が起こるたびに彼の著作が陽の目を見ることとなった。