じじぃの「歴史・思想_552_嘘の世界史・浴槽のほら話」

Bizarre Rat Washes Itself Like Human

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fOI8bA3xEJU

Shower rat is taking the internet by storm.

There's a problematic truth behind 'Shower Rat,' the rodent whose human-like bathing habits are taking the internet by storm

Jan 31, 2018 IFL Science
https://www.businessinsider.com/problematic-truth-behind-shower-rat-2018-1

グレート・ムーン捏造記事

ウィキペディアWikipedia) より
グレート・ムーン捏造記事(Great Moon Hoax)は、1835年8月にアメリカ合衆国ニューヨークの新聞『The Sun』に掲載された月の生命に関する記事を指す。
記事は有名な天文学者のサー・ジョン・ハーシェルが、月に生命が存在し、文明を築いていることを発見した、と報じた。記事は捏造であり、ハーシェルがそのような発見をしたという事実はなかった。しかし読者の反応は凄まじく、追加情報を求める読者が『The Sun』社を取り囲む事態となった。

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『とてつもない嘘の世界史』

トム・フィリップス/著、禰宜田亜希/訳 河出書房新社 2020年発行

第3章 誤情報があふれる時代 より

蛇の話について正確さを欠く記事を書いた記者たちは、単にぐうたらだったかもしれないし、脳なしだったのかもしれない。あるいは、たまたまついてなかっただけかもしれない。そうであっても、ただひたすら仕事に最善を尽くしていたかもしれない。
今日、「フェイクニュース」という表現はいたるところにあり、その意味は、「ただクリックを誘う目的でニュースらしく見せかけたまったくの作り話」(2016年の意味)から「ある政治家にとって気に喰わない当人についての記事」(2017年から現在)へとめまぐるしく変化した。たった1年でこうなったかと思うと気がめいる。だが、「フェイク」という言葉がニュース業界に入ってきたのはこれが初めてではなく、その意味が時代に応じて移り変わってきただけである。この言葉が初めて世界のニュースにあらわれた19世紀後半から20世紀初頭にかけて、今とひじょうによく似た現象が起こっていた。
それより前は、「フェイク(偽る、ふりをする)」という概念は通常の話し言葉で使われていなかった。泥棒や詐欺師や俳優など、いかがわしい職業の人たちの間でだけ使われる用語だった。だが蛇の話を調査した報道の歴史家、タッカーいわく、1880年代後半には、新たに職業として確立されたジャーナリズムの世界に<フェイク>という言葉が入ってきた。ただし、かならずしも報道の負の遺産として扱われたのではない。現代なら<フェイク>はジャーナリズム業界から叩き出されてしまう行為だが、当時、何人かの権威筋によると、<フェイク>はなくてはならない仕事状の技能だとみなされていた。
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グレート・ムーンのほら話は、アメリカのニュース業界で最も有名なデマだろう。

だが、ジャーナリズムの歴史において、その仕事ぶりでこのデマの栄冠に迫った者がいる。ロークよりはるかに著名なH・L・メンケンである。
メンケンは20世紀前半で最も称賛された作家兼、編集者だった。政治においても、社会においても、おおむね皮肉たっぷりで、ときに容赦ない批評を浴びせる評論家であり、「ザ・ニューヨーカー」誌が「アメリが輩出した最も影響力のある記者」と形容した人物だった。メンケンの文章の引用は、勤め先だった「ボルティモア・サン」紙の自社ビルの壁に何十年も大書きされていた(壁の引用文はHBOの警察ドラマ、「ザ・ワイヤー」のシーズン最終回で唖然とするほどはっきりと映し出される。この回の内容は記事を捏造する記者についてである。そして、2018年に新聞社がビルを移転してまもなく、「ボルティモア・サン」紙は、じつはあの引用文がビルの壁にあった間じゅう、引用文の日付はずっと間違ったままだったとツイッターにつぶやいた)。
メンケンがどんなに嫌なやつだったかも記しておこう。エリートの気取り屋で、なによりひどかったのは、そのはなはだしい人種差別だった。貧民を憎み、黒人を憎み、ユダヤ人を憎んでいた。このことは本論とそうかかわりはないが、お伝えしておくに越したことはない。本書ですでに取り上げたほかの2人のほら吹き記者は、当時の基準からしたら、かなりまともな人たちだったが、メンケンは最低だった。ただし、文章にかけては秀でていた。
まあ、とにかく。第一次世界大戦が佳境に入った1917年12月、メンケンは穏やかで楽しいアメリカの浴槽の歴史を題材にコラムを書き、浴槽が初めてアメリカにやってきた「忘れられた記念日」と称するものをたたえた。1842年12月、新事業に意欲を燃やしたアダム・トンプソンという商人が、その草分けとなった浴槽をシンシナティの集合住宅に備えつけたというのである。
このコラムは(メンケンが8年後にがっくりとうなだれて告白したように)、「ただの寝言」で「でたらめの詰め合わせ」だった。アダム・トンプソン(そんな人物は実在しない)は1928年のジョン・ラッセル卿によるイングランドへの浴槽の紹介(これも事実ではない)には感化されなかった。風呂に浸かるという概念を、遅まきながらアメリカ人が受け入れるようになったのは、ミラード・フィルモア大統領がホワイトハウスに浴槽を備え付けることをめぐって、物儀をかもしたときだった(これもでたらめである)。
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浴槽のほら話は、単にメンケン流のストレス発散法だった。だが、なにしろメンケンには文才がありすぎた。コラムは軽いものでありながらもここよくうなずける楽しいうんちくに満ち、ほろ酔いの千鳥足でご機嫌に行きつ戻りつする、まさに本物の歴史のようだった。その内容はこんな具合だった。トンプソンの浴槽は鉛で裏打ちされた「ニカラグアマホガニー材」でできていて、「重さは1750ポンド」だった。浴槽はにわかに物儀をかもした。浴槽は「結核、リウマチ、肺炎、さまざまな種類の発酵病」を引き起こす恐れがあり、入浴はフィラデルフィアとボストンでほぼ全面的に禁止され、ヴァージニアは浴槽税をかけ始めた。フィルモア大統領はホワイトハウスに浴槽を導入する決断をしたことで、政敵からの非難を浴びた。入浴中心主義の行為はうとましいほどフランス的だからである。
メンケンはこのコラムを書くのを楽しんでいたが、(「憂鬱な反応」と題された1926年の告白で書いているように)たちまちメンケンの「満足は狼狽に変った」。人々はそれが冗談だとは気づかなかった。