Art and nature in Worpswede
HANS AM ENDE 「Spring in Worpswede」
わが青春のヴォルプスヴェーデ
2012-08-27 魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
パウラ・モーダーゾーン=ベッカーを知って、ようやく、ヴォルプスヴェーデ画派のことも知るようになった私。
が、ドイツではヴォルプスヴェーデは、詩人リルケゆかりの有名な芸術家村なのだそう。当時、トーマス・マンやハウプトマンらも訪れたという。
世界は多様で、裾野が広く、マイナーと思われているものですら奥が深い。
https://blog.goo.ne.jp/chimaltov/e/7946d20e945cf58b3a3f7819c933bb1e
『366日風景画をめぐる旅』
海野弘/解説・監修 パイインターナショナル 2021年発行
画家たちが愛した風景 9 ヴォルプスヴェーデ(Worpswede) より
ヴォルプスヴェーデはドイツ北部の湿地帯の村で、1910年まで鉄道も通っていなかった。ここに芸術家村がつくられた」の1889年、画家フリッツ・マッケンゼンによってであった。フリッツ・オーヴァーベツク、ハンス・アム・エンデ、オットー・モーダーゾーンが集った。そして1894年、ブレーメン生まれのハインリヒ・フォーゲラーが訪れ、1895年からここに住むことになる。ヴォルプスヴェーデ・グループはブレーメンとミュンヘンで展覧会を開いた。マッケンゼンたちは写実的な風景画を中心としたが、フォーゲラーはエッチングを試み、グラフィック・デザインや工芸へと幅を広げ、ロマンティックな傾向をもたらす。ウィリアム・モリスのアーク・アンド・クラフツ運動、アール・ヌーヴォーなどとの交流がヴォルプスヴェーデにもたらされる。
フォーゲラーはマルタ・シュレーダーと結婚し、モリスの「レッドハウス」のような愛の家「バルケンホフ」を建てる。1898年にフィレンツェで出会った詩人ライナー・マリア・リルケもヴォルプスヴェーデにやってくる。
ヴォルプスヴェーデには女性のアーティストも集まってきた。彫刻家クララ・ヴェストホフ、画家バウラ・モーダーゾーン=ベッカー、オティーリエ・ライレンダーなどである。クララはリルケと結婚し、パウラはオットー・モーダーゾーンと結婚した。
ヴォルプスヴェーデには2つの傾向があったようだ。初期のメンバーは、修道院のようなストイックな生活をし、精神性を感じさせる風景画を描いた。フォーゲラーと弟のフランツ・フォーゲラーは工芸部門をつくり、家具工房を開いた。そこにはモリス的な社会主義思想がこめられていた。そのような活動は、初期メンバーとは必ずしも一致しなかったように見える。また、フォーゲラーは妻マルタともすれちがうようになった。第一次世界大戦の中で、革命ロシアに共鳴するようになり、マルタと別れ、ヴォルプスヴェーデを去り、ソヴィエトに向かう。
ヴォルプスヴェーデ芸術村は、その後もつづき、19世紀にあらわれた芸術家コロニーで最も長い歴史を重ねている。
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