じじぃの「人の死にざま_1356_バルテュス」

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Balthus the Painter (1908-2001) documentary [vhs] 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FvQO7kP34ho
節子夫人ビデオメッセージ「バルテュス展」によせて 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1XQcfEPeJoE
バルテュス作 「夢見るテレーズ」(1938年)

バルテュス展 Balthus: A Retrospective 東京都美術館
2014年4月19日(土) 〜 6月22日(日)
ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001)。 時が止まったように静謐な風景画や、バルテュス曰く「この上なく完璧な美の象徴」である少女のいる室内画など、どこか神秘的で緊張感に満ちたバルテュスの絵画は、多くの人々に愛され続けています。
http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_balthus.html
バルテュス ウィキペディアWikipedia)より
バルテュス(Balthus, 1908年2月29日 - 2001年2月18日)は、フランスの画家。本名はバルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ (Balthasar Michel Klossowski de Rola) 。ピカソバルテュスを「二十世紀最後の巨匠」と称えている。
【略歴】
1937年にアントワネット・ド・ワットヴィルと最初の結婚をし、息子スタニスラス・クロソウスキー・ド・ローラをもうけるが、後に離婚。しかし、この先妻とは生涯友人であり続けた。スタニスラスは、後にバルテュスの作品集出版に当たって執筆を担当している。1941年にはピカソが、バルテュスの「ブランシャール家の子どもたち」を購入している。1944年11月には、バルテュスがパリにピカソを訪問した。
1962年、パリでの日本美術展の選定のために訪れた東京で、当時20歳だった出田節子と運命的な出会いをし、1967年に結婚した。節子夫人も画家であり、2人の間には1973年に誕生した娘春美(ハルミ・クロソフスカ=ド=ローラ、ジュエリーデザイナー)がいる。バルテュスの生前、本人の意志により夫人は基本的に和服であった。
晩年はスイス、ヴォー州、ペイダンオー地方のロシニエールにある歴史的な山荘「グラン・シャレ」に暮らした。

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日曜美術館 「バルテュス 5つのアトリエ」 2014年5月25日 NHK Eテレ
【司会】井浦新伊東敏恵 【主演】節子クロソフスカ・ド・ドーラさん(バルテュス夫人)
バルテュス(1908−2001)は、さまざまな芸術運動が勃興した20世紀を生き「最後の巨匠」と呼ばれた孤高の画家。
92年の人生を通して描き続けた特異なエロティシズムを放つ作品群は、称賛、そして同等の誤解や非難を浴びてきた。「少女」をテーマにしながら、彼が本当に描きたかったものは何か?そのヒントになるのが、彼が生涯に持った5つのアトリエだ。アトリエを変えるたびに、バルテュスは大きく作風を変えている。
20代、パリに構えた初めてのアトリエで描いた絵を中心に、初めての展覧会を開いた。その展覧会が鳴かず飛ばず、失意のうちに引っ越した2件目のアトリエで、「少女」というテーマを得た。
40代を暮らしたのは、フランス中部・シャシーの古城。15歳の少女と隠棲した田園の光と影の中で、ルネサンスの壁画にも通じ合う、画面そのものが発光しているかのようなマチエールを獲得した。
50代はローマのヴィラ・メディチ。幼少時より憧れ続けた国・日本から若い妻を迎え、凛とした静ひつな作品を描いた。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2014/0525/index.html
文藝春秋 2014年6月号
20世紀最後の巨匠 夫バルテュスが愛した美しい日本の精神 【執筆者】節子・クロソフスカ・ド・ローラ (一部抜粋しています)
このたび夫バルテュスの没後初となる大規模な回顧展(東京都美術館6月22日まで。7月から京都市美術館にも巡回)が開かれることになり、私もスイスから来日しました。
今回の展示は世界各地の美術館が所有するコレクションのみならず、バルテュス個人の愛用品など、いままで公開したことのない作品が100点以上も並びます。とくに、スイスのロシニエールにある「グラン・シャレ」(大きな山荘の意。1754年に建立されたスイス最大の木造建築物のひとつ。ユゴーが常宿にしていたおとでも知られる)のアトリエの再現は世界初の試みで、大きな決断を要しました。
バルテュスのアトリエは、在りし日のまま、いまも凛として空気が張り詰めています。ここは彼がほんとうに大切にしていた場所で、2001年に92歳で亡くなる直前にも、最後の時間を過ごしたところです。画剤もそのままなので、彼がいつ戻ってきても絵を描ける状態。ですから、アトリエの再現を提案されたときは、「言霊」のように絵の具にも彼の魂が宿っている気がして、彼の創作に必要なものを他所へ持ち出していいのか、ずいぶん迷いました。他所へ運び出すことにより、ものそのものが変わってしまうのではないかと恐れたのです。
しかし、2012年に国立新美術館で開かれた「セザンヌ――パリとプロヴァンス」展でもセザンヌのアトリエが見事に再現されていましたし、こうした試みが今後も必要とされるのであれば、やはりバルテュスが愛した日本で最初に公開したい――そう思い、このたびの決断にいたりました。本物のアトリエに近い風情を出そうと、関係者の方々が尽力してくださったおかげで、彼の創作の息を受け取った絵筆や画材が、生き生きと息を吹きかえしたようです。これならバルテュスも喜ぶだろうと、私も嬉しくなりました。

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