ヨーロッパ紀行「フランス ブルターニュ地方」
「日傘をさすブルターニュの女たち」
『日傘をさすブルターニュの女たち』 エミール・ベルナール
フランス象徴主義で最も重要な作品であり、ベルナールのクワロゾニスムによる代表作。
ブルターニュ地方はフランスの北端に位置し、女性たちは伝統の祭りを準備する為に民族衣装に身を包んでいる。彼女たちは無表情であり、互いに視線を合わせることなく描かれている。遠近感を消し、単純化された表現はクロワゾニスムの特徴である。
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『366日風景画をめぐる旅』
海野弘/解説・監修 パイインターナショナル 2021年発行
画家たちが愛した風景 2 ブルターニュ(Bretagne) より
ブルターニュはノルマンディーの西でイギリス海峡に突き出している。古代の巨石文化、中世のケルト文化が重なっている。近代から取り残され中世がそのまま生きているようなブルターニュに画家たちはひかれ、風景を求めてやってきた。
ブルターニュはまず文人によって発見された。19世紀の前半、ロマン主義によって中世のフランスが関心を集める。そして19世紀後半、ブルターニュに鉄道が通ることによって、この地に近づきやすくなる。シャトーブリアンやバルザックがブルターニュを舞台とする小説を書き、人々にエキゾチッな興味を抱かせる。
1850-60年代には、ドービニーやブーダンがノルマンディーの海を描いた。1870年代から浜辺の漁民生活が絵のテーマとなる。そして印象派の時代には多くの画家がやってくる。
画家たちが集まったのはブルターニュ半島の南北部の海岸で、ポン=タヴァンという小さな村は画家たちは好まれ、芸術家村がつくられた。面白いことにここを見つけたのはアメリカ人画家ロバート・ワイリーで、1865年であったという。
はじめはアメリカ人のコロニーであったがやがて各国の画家が集まって芸術家村となった。素朴な村の人々は、画家たちをあたたかく迎えた。アーティストコロニー(芸術家村)の特徴はインターナショナルなことで、さまざまな国の人々を受け入れるのだ。
ポン=タヴァン派といわれるのは、ゴーギャンがやってきてからである。彼は1886年から1894年までの間、4度、ここに滞在している。教祖的な彼は、あらわれるとたちまち画家たちのリーダーとなり、エミール・ベルナールやモーリス・ドニなどのリーダー格となった。しかしゴーギャンがサルとグループは解散した。
ポン=タヴァンにあまり多くの画家がやってきたので、ゴーギャンは1889年、少し南東の海辺のル・ブールデュに移り、シャルル・フィリジュ、ポール・セリュジェなどとここで制作した。
ゴーギャンが去った後、ブルターニュにも近代化の波が押し寄せ、かつての画家の聖地は失われていった。
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