じじぃの「人の死にざま_1168_C・ベルナール」

クロード・ベルナール - あのひと検索 SPYSEE
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代謝 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=M8bZC3ISnKI
書評 「実験医学序説クロード・ベルナール − '常識' のルーツ
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/iso/argo/nl09/nl09-3-12.pdf
クロード・ベルナール ウィキペディアWikipedia)より
クロード・ベルナール(Claude Bernard, 1813年7月12日 - 1878年2月10日)は、フランスの医師、生理学者
「内部環境の固定性」と言う考え方を提唱。この考え方は後に米国の生理学者ウォルター・B・キャノンによって「ホメオスタシス」という概念に発展させられた。また、1862年ルイ・パスツールと共に低温殺菌法の実験を行った。
糖新生 ウィキペディアWikipedia)より
糖新生(gluconeogenesis)とは、飢餓状態に陥った動物が、グルカゴンの分泌をシグナルとして、ピルビン酸、乳酸、糖原性アミノ酸、プロピオン酸、グリセロールなどの糖質以外の物質から、グルコースを生産する経路である。
糖新生が急激に起こったため高血糖をもたらす現象をソモギー効果という。1850年代に、フランスの生理学者クロード・ベルナールにより明らかにされた。また、絶食を行うと糖不足を補うため筋肉が分解されて糖新生が起こり、筋肉が減少することにより新陳代謝が減少することが、絶食によるダイエットが成功しにくい原因の一つでもある。

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『栄養学を拓いた巨人たち 「病原菌なき難病」征服のドラマ』 杉晴夫/著 ブルーバックス 2013年発行
代謝」を解明した巨人 (一部抜粋しています)
食物の体内での化学変化を「代謝」という。現在、われわれが知っている代謝についての知見の多くは、フランスの巨人クロード・ベルナールが明らかにしたものである。しかし、彼が代謝の研究を天職として選ぶまでには、長い紆余曲折があった。彼の歩んだ道のりは、自分の本当にやりたいことを見つけられずに悩んでいる、現代の多くの若い人々を勇気づけるものであろう。
ベルナールは1813年、フランスのローヌ川渓谷にある村で生まれた。父親は葡萄栽培家であったが、事業に失敗し、貧困に苦しむ家族を残して死亡した。村の神父の好意で痴呆のカレッジを出たベルナールは、当初はリヨンで薬剤師になろうとしたがこれに満足できず、今度は劇作家になる望みを抱いた。最初に書いた喜劇「ローヌ川のバラ」は、地方の劇場で上演されて好評を博した。この成功に自信を持った彼は大作歴史劇「ブルターニュアーサー王」を書き上げ、この草稿を持ってパリに出て、ある文芸批評家に意見を求めた。批評家はその作品をなかなかよくできているとは思ったが、ベルナールが劇作家として独立して成功する可能性は大きくないと判断した。彼はベルナールに、とりあえず医師になることを勧められた。これはベルナールのとって、実に適切な助言であった。彼は劇作家をあきらめ、医学の道に進路を定めた。なお、この戯曲は彼の死後、出版された。
医学生時代のベルナールは講義に気乗りせず、無口で鈍重、怠惰な印象を友人たちに与えたようだ。劇作家の夢をまだ思い切れなかったのかもしれない。しかし、医師の資格を取り、コレージュ・ド・フランスの研究室でフランソワ・マジャンディ教授(脊髄前根と後根の機能に関する「ベル―マジャンディの法則」の発見者)の実験助手として勤務しはじめると、突如、魚が水を得たように才能を発揮したのである。
多くの功績が認められたベルナールは、のちにマジャンディの後任としてコレージュ・ド・フランスの教授となり、ソルボンヌ大学の教授をも兼任するまでになった。
ベルナールの栄養学に対する最大の貢献は、体内での糖質の代謝の解明である。彼はリービッヒらがおこなったような、物質の体内への取り入れと排泄を調べる、いわばエネルギーの「出納」の研究を評価せず、これを「家のドアから何が入り、煙突から何が出るかを外から眺めて、家の中で起こることを考えようとするもの」と酷評した。
彼の最初の成果は、蔗糖(sucrose)からブドウ糖(glucose)ができることを発見し、ついで体内で両者がどのように利用されるかを調べたことである。蔗糖をイヌの静脈に注射すると、蔗糖はそのまま尿に排泄された。次にブドウ糖を注射すると、尿には現れず、どこかへ行ってしまった。つまり、糖質は体内で蔗糖というかたちでは利用されないが、ブドウ糖にかたちを変えれば利用されるのである。
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彼の家族は「罪滅ぼし」のため、捨てイヌや捨てネコを拾ってきては養っていたが、ついには彼の家を出てゆき、再び戻ることはなかった。この家庭崩壊は、彼の動物実験が直接の原因ではあったが、彼の妻が夫の知的貢献を理解することができず、夫婦の心に亀裂が生じたことがその根本であったと思われる。
いかに研究で大きな業績をあげ、多くの栄誉と名声に包まれても、妻と娘に去られたベルナールは心中、どんなにか寂しかったであろう。彼は健康を害して休養していた時期に、医学・生物学者必読の書である『実験医学序説』を著した。そこには、生理学を物理学・化学と比べうる定量的な学問にすることをめざす彼の思いが込められていた。そして彼はそれを成し遂げたのである。ちょうどラボアジェが、化学を物理学比肩するレベルにまで高めたように。なお、ベルナールは大学での講義中、彼の著書を称賛するラファロビッチという女性に出会い、その後、彼女との心の通いあう知的な交際を長く続けた。
生涯を実験室で、文字通り血まみれになって格闘したベルナールは、64歳のとき、実験中に突然倒れ、まもなくこの世を去った。死の数日前には「実に残念だ。この研究を成し遂げていたらどんなに幸せだったろう」と言い、カトリックの司祭を呼んで最後の秘蹟を受け、安らかに息をひきとった。このとき彼は、研究のために家族を失った寂しさを司祭に訴えたという。彼の死に際してフランス政府は、この国の学者としては空前の、国葬の栄誉をもって弔った。

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クロード・ベルナール ベルナール 画像
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