じじぃの「人の死にざま_1176_H・クレブス」

【オリジナル】クエン酸回路のおぼえうた【覚え歌】 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9bpdMyxNLfQ
Sir Hans Adolf Krebs 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=MNYROtMUav0
クエン酸回路(TCA回路)
TCA回路はKreb's回路またはクエン酸回路(Citric Acid Cycle)とも呼ばれ,ミトコンドリアマトリックスで行われる9段階からなる環状の代謝経路である。ただし,反応段階(7)はミトコンドリア内膜の酵素複合体が実行する。
解糖の最終産物であるピルビン酸は脱炭酸と補酵素A(CoA)との結合により,アセチル-CoAに変えられる。アセチル-CoAは脂肪酸のβ-酸化やアミノ酸代謝からも得られる。
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/tca_cycl.htm
ハンス・クレブス ウィキペディアWikipedia)より
ハンス・アドルフ・クレブス(Hans Adolf Krebs, 1900年8月25日 - 1981年11月22日)はドイツ・ヒルデスハイム出身のユダヤ人で生化学者・医師。
ゲッティンゲン大学フライブルク大学ほかで医学を学び、ハンブルク大学で博士号を取得。ベルリンで1年間化学を学んだ後、1930年までカイザー・ヴィルヘルム研究所で生物学のオットー・ワールブルグの助手を務める。その後フライブルク大学で臨床に戻る。
1933年、ナチスユダヤ人の医師活動を禁じたため、イギリスに移り、ケンブリッジ大学で生化学を学んだ後、1945年にはシェフィールド大学の教授となる。1981年、オックスフォードにて没した。
1932年、尿素回路を発見。
1937年にクエン酸回路を発見し、その功績により1953年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

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『栄養学を拓いた巨人たち 「病原菌なき難病」征服のドラマ』 杉晴夫/著 ブルーバックス 2013年発行
クレブスの「クエン酸回路」発見 (一部抜粋しています)
前の章で、ビタミンCを発見した天才セント・ジェルジについて述べた。しかし彼は、本来は栄養学者ではなく、たまたま彼が発見したヘキスウロン酸が、ビタミンCそのものであるという幸運に恵まれ、「ビタミンCの発見者」としてノーベル生理学・医学賞を受賞したのであった。
当時、ビタミンCを追求していた「本職」の栄養学者たちは、発見の寸前まで迫りながら、その所要量がすでに発見されていたビタミン類より桁違いに多いため「ビタミンの所要量は微量である」という先入観にとらわれて、大魚を逸したのである。
しかし、これから説明するクエン酸回路の発見では、セント・ジェルジはその大発見の寸前で、ハンス・クレブスの天才的な着想により、一挙に功をさらわれることになる。
ハンス・クレブスは1900年、ドイツの地方都市ヒルデスハイムに生まれた。父は外科の医師であった。彼はゲッティンゲン大学フライブルク大学、ベルリン大学で医学を学び、ハンブルク大学で医学博士の学位を得た。ドイツは現在でも、医学生は所定の単位をどこの大学で取得してもよいという規約があり、学生は自由にドイツ国内のいろいろな都市の退学をめぐって学ぶのである。
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クレブスはカイザー・ヴィルヘルム研究所のオットー・ワールブルグ研究室に入って4年後、突然ワールブルグに破門され、研究室を追放された。経済的に困っていたクレブスが、他の大学に誘われ、就職条件を打診したためである。彼はしかたなくアルトナ市立病院に医師として勤務したあと、フライブルク大学科学教授タンホイザーに薄給で雇われた。そこでは臨床医として勤務しながら、余暇に研究する時間も得られたからである。だが、ここで彼は驚くべき粘り強さを発揮し、臨床医としての片手間の研究からスタートしたにもかかわらず、禍を転じて福となす偉大な発見を成し遂げるのである。
クレブスはまず、病院で容易に得られる肝臓の切片を用いて、尿素の生成についての研究を始めた。そしてなんと9ヵ月後には、みごとな結果を得て学術誌に発表するのである。
クレブスは、肝臓切片における尿素の生成が、アミノ酸であるオルニチンやシトルリンによって促進されることを見いだした。このことから、アンモニア(NH3)と二酸化炭素(CO2)とATPが反応して、カルバミルリン酸を経由してシトルリンになり、さらにアルギニンとなって尿素を放出し、オルニチンになるというサイクル反応を発見したのである。
筆者は30年間ものあいだ、医学部の講義でこの「オルニチンサイクル」を黒板に書き続けてきたが、クレブスはこれを9ヵ月で、しかも病院勤務の片手間の研究で発見したことは、本書を執筆するまで知らなかった。オルニチンサイクルは、生化学史上初のサイクル反応回路の発見であった。
ところがクレブスは1933年、突然、フライブルク大学を解雇された。彼がユダヤ人であるという理由からだった。だが、セント・ジェルジなどのユダヤ人学者の窮状に救いの手を差し伸べてきたケンブリッジ大学のポプキンスは、ここでもクレブスを温かく迎え入れた。ただし給料は出ず、奨学金頼みであった。しかし1935年、クレブスはシェフィールド大学の生化学講師に迎えられ、初めて自分の研究室を持つことができた。
ここで彼は生体内での栄養素燃焼回路の研究に乗り出し、まもなく、彼の名を不朽のものにしたクエン酸回路の発見を成し遂げるのである。
オルニチンサイクルの発見に際して、クレブスはおそらく、当時すでに知られていた尿素生成にかかわりのありそうな化合物をリストアップし、回路の要、つまり奇点でのアンモニア二酸化炭素の反応と、終点でのアルギニンからの尿素の分離を着想していたと思われる。そして回路中の化合物の作用を確認しながら、回路のイメージを頭の中で組み立てたのであろう。このクレブス独特の発想が、クエン酸回路の発見においてもみごとに功を奏するのである。
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クレブスは彼の発見したクエン酸回路を、まず仮説の形で発表した。しかし、彼の考え方は急速に受け入れられた。セント・ジェルジはクレブスの説が真実をとらえたことを悟り、天を仰いで悔しがったという。半世紀をはるかの過ぎた現在、そこに多くの新事実がうけ加えられはしたが、クレブスの発見したクエン酸回路は、生体のエネルギー代謝の中心に位置する反応として、どの書物の代謝回路説明図でもその真ん中に燦然と輝いている。

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ハンス・クレブス Google 検索
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