じじぃの「歴史・思想_534_老人支配国家・日本の危機・本郷和人氏との対談」

家族システムの起源(上) 〔I ユーラシア〕〔2分冊〕 Amazon

エマニュエル・トッド (著)
中国とその周縁部/日本/インド/東南アジア。
伝統的な家族構造が多様な近代化の道筋をつけたと論証してきたトッドは、家族構造が不変のものではなく変遷するという方法の大転換を経て、家族構造の単一の起源が核家族であること、現在、先進的なヨーロッパや日本はその古代的な家族構造を保持しているということを発見した。図版多数。

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文春新書 老人支配国家 日本の危機 エマニュエル・トッド

本当の脅威は、「コロナ」でも「経済」でも「中国」でもない。「日本型家族」だ!
【目次】
日本の読者へ――同盟は不可欠でも「米国の危うさ」に注意せよ

Ⅰ 老人支配と日本の危機

1 コロナで犠牲になったのは誰か
2 日本は核を持つべきだ
3 「日本人になりたい外国人」は受け入れよ

Ⅱ アングロサクソンダイナミクス

4 トランプ以後の世界史を語ろう
5 それでも米国が世界史をリードする
6 それでも私はトランプ再選を望んでいた
7 それでもトランプは歴史的大統領だった

Ⅲ 「ドイツ帝国」と化したEU

8 ユーロが欧州のデモクラシーを破壊する
9 トッドが読む、ピケティ『21世紀の資本

ⅳ 「家族」という日本の病

10 「直系家族病」としての少子化磯田道史氏との対談)
11 トッドが語る、日本の天皇・女性・歴史(本郷和人氏との対談)

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『老人支配国家 日本の危機』

エマニュエル・トッド/著 文春新書 2021年発行

11 トッドが語る、日本の天皇・女性・歴史(本郷和人氏との対談) より

核家族が「最も原始的」

本郷 さっそく日本の歴史について伺いたいのですが、その前に、歴史を見る上でのトッドさんの武器ともいえる「家族類型」について、簡単に説明していただけますか。
トッド では、ごく簡単に。家族というものを、親子関係、兄弟姉妹関係、内婚制(イトコ婚を許容)か外婚制かといった基準で分類し、大きく5つに整理してみます。
 まず英米を中心に見られる「絶対核家族」。このシステムでは子供は早くから親元を離れ、結婚すると独立した世帯を持ちます。遺産相続は親の意思による遺言で決定されることが多い。つまり、親子関係は自由で、兄弟間の平等は重視されません。
 次に、フランスの北部や広大なパリ盆地、スペイン、イタリア北西部などで見られるが「平等主義核家族」です。結婚するとすっかり独立するのは英米型と同じですが、相続においては子供たちの間で平等に、しかも男女差別なく遺産を分け合います。
 一方、ドイツ、フランス南西部、スウェーデンやノルウエー、日本、韓国などは伝統的に「直系家族」です。通常は男子長子(時には末子)が跡どりとなり、彼だけが結婚した後も父の家に住んで、すべてを相続する。親子関係は権威主義的(親の権威に従う)で、兄弟間は不平等です。
 最後に「共同体家族」です。これは男の子供が全員、結婚後も親の家に住み続ける家族形態です。父親の下に兄弟の家族もみな同居するため、家族が1つの巨大な「共同体」となります。相続は平等ですが、親子関係は権威主義的です。
 このうち、イトコ婚を認めない「外婚制共同体家族」は中国、ロシア、北インドフィンランドブルガリア、そしてイタリア中部のトスカーナ地方などに、イトコ婚を選好する「内婚制共同体家族」はアラブ地域、トルコ、イランなどに広がっています。つまり、この「共同体家族」はユーラシア大陸の中央部の広大なエリアに分布しているのです。
 これらのうち、最も新しいのは「共同体家族」です。反対に、最も近代的に見える核家族こそ、実は「最も原始的」なのです。
 これを、従来の家族史の定説をくつがえす見方です。私自身も、当初は世界の家族構造の分布を「偶然の結果」と考えていました。ヒントをくれたのは、友人の言語学者で、中国語研究を専門とするローラン・サガールでした。「中心地で生まれた新たな語形が周辺へ伝播する結果、古い語形ほど外に、新しい語形ほど内に分布する」というのは言語学の常識だというのです。そこで、共同体家族がユーラシア大陸の中心にあり、核家族が周縁にあるなら、それは核家族が最も古く、共同体家族が最も新しいにちがいない、と示唆してくれました。このことを人類史全体にわたって実証的に検証したのが、私の『家族システムの起源』です。

女性天皇は中国の父系文化への反発

本郷 日本の家族を論じる上で欠かすことができないのが天皇家だと思います。トッドさんも、『家族システムの起源』のなかで女帝の問題に言及されていますね。
トッド フランス語で「女帝」というと、すぐナポレオンの妻ジョゼフイーヌなどを連想してしまうので厄介なのですが(笑)。
 それはともかく、日本の女性天皇のことには、日本の家族類型がどのように変わっていったかを記述した部分で触れました。私はやはり隣国、中国からのインパクトが大きかったと考えています。最初の女性天皇推古天皇が即位した数年後に、およそ1世紀途絶えていた中国との公式の接触が再開されていますね。
 もともと日本の家族は最も原始的な形態に近い双系制(若い夫婦が夫と妻いずれの家族集団にも所属できる)の核家族だったと思われます。
 それに対し、隣の中国では、先にも述べましたが、早くから父系的な直系家族が成立しました。その権威主義的家族関係を倫理化したものが儒教です。
 日本は文字を含め、中国から高度な文明を摂取する立場でした。当時の日本にとっては、中国の父系主義、男性を女性の上に置く社会構造も、先進的な文明の一部だったのです。 現在の世界では、女性の地位向上は進歩であり、文明のバロメーターの1つとも見なされている。ところが、当時はそうではなかった。男性上位こそが文明化のあかしだった。これは古代のギリシャ・ローマ時代も同様で、女性の地位が高い地域は野蛮だと蔑(さげす)まれていたほどです。
その意味で、平安朝以前の女性天皇には、中国から流入してきた父系文化、男性上位文化への、まだ双系的な要素を多分に残していた日本の反発、反動、リアクションという側面があったのではないでしょうか。