じじぃの「歴史・思想_532_老人支配国家・日本の危機・ピケティ『21世紀の資本』」

映画『21世紀の資本』公式サイト

●STORY
ピケティは、時はフランス革命に遡り、植民地主義、世界大戦、数々のバブル、大恐慌オイルショックリーマンショックなど、300年に渡る歴史の中で社会を混沌とさせた出来事と経済の結びつきを紐解いていく。
──今まさに、歴史は繰り返されようとしている。
如何にして我々は経済の負のスパイラルから抜け出せるのか?ピケティを始め、ノーベル経済学受賞のジョセフ・E・スティグリッツ、ジリアン・ラット、イアン・ブレマー、フランシス・フクヤマ他世界をリードする経済学者が集結。世界中の経済・政治の専門家たちが、膨らみ続ける資本主義社会に警鐘を鳴らし、知られざる真実を暴いていく!
https://21shihonn.com/

文春新書 老人支配国家 日本の危機 エマニュエル・トッド

本当の脅威は、「コロナ」でも「経済」でも「中国」でもない。「日本型家族」だ!
【目次】
日本の読者へ――同盟は不可欠でも「米国の危うさ」に注意せよ

Ⅰ 老人支配と日本の危機

1 コロナで犠牲になったのは誰か
2 日本は核を持つべきだ
3 「日本人になりたい外国人」は受け入れよ

Ⅱ アングロサクソンダイナミクス

4 トランプ以後の世界史を語ろう
5 それでも米国が世界史をリードする
6 それでも私はトランプ再選を望んでいた
7 それでもトランプは歴史的大統領だった

Ⅲ 「ドイツ帝国」と化したEU

8 ユーロが欧州のデモクラシーを破壊する
9 トッドが読む、ピケティ『21世紀の資本

ⅳ 「家族」という日本の病

10 「直系家族病」としての少子化磯田道史氏との対談)
11 トッドが語る、日本の天皇・女性・歴史(本郷和人氏との対談)

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『老人支配国家 日本の危機』

エマニュエル・トッド/著 文春新書 2021年発行

9 トッドが読む、ピケティ『21世紀の資本』 より

「格差拡大の現状」を理解するための200年史

政治家は無能だが、我らがフランスには研究者がいる。政府が経済にはたらきかけるのを諦め、気休めに治安問題に取り組んでいるとき、世界の経済と社会の変化を解き明かす根本的な書物が、フランスに現れた。オランド大統領は私たちをマスコミ報道の喧騒の最中に置き去りにし、さまよわせるだけだが、トマ・ピケティは『21世紀の資本』(みすず書房)によって、私たちが今、どんな時代を生きているのかを教えてくれる。
経済の停滞、格差の拡大、一部の階層による支配の拡張……。私たちは世界の崩壊を感じている。今、起きていることを理解するためには、現状を戦後の幸福な一時代、つまり1945年から1975年の「栄光の30年」と比較するだけでは不十分であり、少なくとも18世紀まで遡って考えなければならない。そのことをピケティは明らかにした。1945年から1980年は、人類の、特にヨーロッパの歴史において小休止にすぎなかったからである。私たちが生きているのは、そして闘わなければならない相手は、未知の新しい時代ではない。富の偏在という歴史のいつもの姿の再来である。
ピケティは純然たる経済学者であり、所得格差の専門家がった。フラン氏の高等師範学校(エコール・ノルマル)を卒業し、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)で教え、パリ経済学院の創設者の一人となり、最初の研究主任となった。
その後、フランス及び世界上位の1%の富裕層の変わりゆく、しかし中心的な役割を明らかにした論文を発表した。ジョセフ・スティグリッツが最新の著作の中でピケティに(そして全世界を対象とする比較研究の共同参画者であるエマニュエル・サエズとアンソニ・アトキンソンに)敬意を表しているのは、その業績に対してである。
そして、ピケティは1000ページ近い『21世紀の資本』によって、資本の集中化、労働に地位、それらから生じる所得格差についての歴史と理論を提示した。

EU主義者ピケティへの疑問

本書は現状の打開策で締めくくられている。この部分も非常に興味深い。金融市場と福祉国家の併存、インフラの矛盾に満ちた影響、国の借金によって公的資本がゼロになってしまうことについての独自の見解が詰まっている。
しかし、それらに十分な説得力があるとは思えなかぅた。所得に対する課税を改革し、全世界での資本に対する税、それが無理なら、せめてヨーロッパでの資本税を導入せよ、とピケティは提案している。確かに必要だろう。
しかし、ピケティは、それらを市民としての義務感から提言しているにすぎず、その実現可能性を信じていないように思える。今日起きているのは、ピケティの提案とはまったく逆の事態だ。税率の引き下げ、ヨーロッパ各国間の税負担軽減競争である。
メディア、大学、政党に資金援助をすることで、資本の政治的な力は強まっている。そのことが顕著に進んでいるのは米国だが、それが始まったのはヨーロッパである。
どのような突然の驚くべき危機が起これば、計器の針がゼロに戻り、我々年老いた先進国は民主的な再出発を果たせるのだろうか。この本を読んだ後に去来するのは、そんな思いである。あるいは逆に、豊かだが再び格差が非常に拡大した世界に、かつてなかったゆな、一見ソフトだが世界を包摂する支配形態が出現するのかもしれない。

歴史家への挑戦状

ピケティは、20世紀の危機が資本を制御したことを解き明かしたが、なぜナショナリズムが昂揚したのか、なぜ戦争が起きたのか、なぜ年金生活者は自殺に追い込まれたのか、といった問題は提起しなかった。心性(マンタリテ)の力学はブラックボックスのままだ。それによって偶然にしか見えない出来事や、ピケティが提案した改革の非現実的な性格がおそらく持っている道理が解き明かされるだろう。
とはいえ、ピケティが比較に基づく厳密な社会経済的な枠組みを通じて、現代史を描き出したことは確かである。そして、歴史家たちにこの枠組みをわがものとし、残された疑問を解明してみろと挑発している。
この傑作を読み終えると、まだ解かれていない問いや謎で頭が一杯になり、マルク・ブロックが『歴史のための弁明』(岩波書店)に記した一節を想起せずにはいられない。
<それぞれの学問分野は分割されてしまっているが、往々にして隣の分野からの脱走者が、学問に成功をもたらす最高の立役者となる。生物学を刷新したパストゥールは生物学者ではなかった。デュルケームとヴィダル・ド・ラ・ブラーシュは20世紀初頭の歴史研究にどんな専門家も及ばない比類のない足跡を残したが、デュルケーム社会学に移行した哲学者であり、ド・ラ・ブラーシュは地理学者であった。2人とも、いわゆる歴史学者とはみなされていなかった>