世界の人口推移【1950年~2100年】
人口増加分の8割を占めるアフリカ
男女差3000万人、中国の結婚できない男たち
2018/10/14 読売新聞オンライン
中国も日本と同様、結婚難が社会問題化しているが、そのスケールはケタ違いのようだ。長年続いた「一人っ子政策」により、男女の人口比が偏り、男性が女性よりはるかに多い「男余り」の社会になってしまったのだ。
一人っ子政策は、2013年に習近平政権が発足して、一部解除するまで続いた。そのため、現在30代から下の中国人は、基本的に一人っ子である。
特に農村部では、「どうせ1人しか産めないなら男児を」という傾向が顕著だった。その結果、例えば10年の全国人口調査では、この年に生まれた女児100人に対して、男児は118.64人となってしまった。04年、07年、08年に至っては、120人を超えていた。国連では「男児102人から107人の間」を正常な国家と定義づけているので、中国は明らかに「異常な国家」だ。
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20181012-OYT8T50023/
有限な地球が支えられるのは有限な人口 人口過剰 より
【主要人物】ギャレット・ハーディン(1915~2003年)
1968年、アメリカの二人の科学者が人口過剰について緊急警告を発した。生態学者ギャレット・ハーディンは、遠からず地球の資源は使う果たされ、環境破壊が増大するだろうと予想した。「共有地の悲劇」と題する論文のなかで、人口過剰によって生じているいくつかの主要な世界的危機の例をあげた。それは、乱獲による漁獲量激減、灌漑用地下水の汲み過ぎによる湖の干し上がり(旱魃)、森林破壊、大気・陸地・海洋の汚染、生物種の絶滅などである。
ハーディン自身はこの人口過剰に対して物儀をかもす解決法を提案した。それは、政府は「過度に」子どもをつくる国民への公的扶助は打ち切るべきであるというもので、それにより出生抑制でできると考えた。生物学者ポール・エーリックも同様に『人口爆弾』において人口制御を提唱したが、それは、世界人口はまもなく大量飢餓が生じる一戦を越えるだろうとの警告に基づくものだった。
成長と減少
人類史のほぼすべての時代において、人口はごくゆっくりと増加してきた。西ヨーロッパとアメリカにおいて急速に人口が増え始めたのは、産業革命の初期である。この時期にイギリスの経済学者トマス・マルサスが、人口増加による飢饉はすぐ目の前にあると警告した。しかし、期待以上に早く食料生産が高まり、マルサスの予測は杞憂に終わった。また、新しい工業都市では感染症により平均寿命が低下した。より良い医療と栄養、清潔な水、労働者の権利などが保障されるようになると、平均寿命は再び上昇した。
1924年に20億人だった世界人口は、1960年にも30億人になった。最も増加率が大きかったのは、中南米、アフリカ、東南アジアの開発途上国である。
中国の一人っ子政策
1960年代まで中国政府はできるだけ子をもうけるよう国民を奨励し、1949年に5億4000万人だった国家人口は、1976年には9億4000万人に達した。しかし、政府は人口増加による資源の逼迫を問題視するようになった。
1978年、科学者で政府高官の宋健が、中国の理想的な人口は6億5000万人から7億人の間にあると推算した。翌1979年、彼の推算が政府を動かし、夫婦一組につき一人に限定する新政策が始まった。
この「一人っ子政策」は都市部のほうがより規制が厳しく、農村部では、第一子が女児の場合は第二子を許容する地域もあった。しかし都市部では、三人目を妊娠した女性は堕胎を強いられた。1983年だけで2100万人もの女性が、避妊手術を受けさせられた。この政策は2015年に緩和させられたが、今でも政府は夫婦1組につき子は二人という制約を課している。