じじぃの「科学・地球_252_生態学大図鑑・農薬の残留」

Silent Spring - Rachel Carson

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TyYOwyeSzwk

Rachel Carson on a beach in Maryland

The Story of Silent Spring

August 13, 2015 NRDC
Although they will probably always be less celebrated than wars, marches, riots, or stormy political campaigns, books have at times been the most powerful influencer of social change in American life.
Thomas Paine's Common Sense galvanized radical sentiment in the early days of the Revolution; Uncle Tom's Cabin by Harriet Beecher Stowe roused the North's antipathy to slavery in the decade leading up to the Civil War; and Rachel Carson's Silent Spring, which in 1962 exposed the hazards of the pesticide DDT, eloquently questioned humanity's faith in technological progress and helped set the stage for the environmental movement.
https://www.nrdc.org/stories/story-silent-spring

生態学大図鑑』

ジュリア・シュローダー/著、鷲谷いづみ/訳 三省堂 2021年発行

化学物質の集中砲火が生命の織物に浴びせられてきた 農薬の残留 より

【主要人物】レイチェル・カーソン(1907~1964年)

これまでに出版された環境問題を扱った書物のなかで、おそらく最も崇敬され影響を与えてきた『沈黙の春』は、1962年に刊行されると広く注目を集めた。それは、生まれてまもない環境保護運動に勢いを与え、法整備を促した。何より重要だったのは、権力を持つ者に疑問を投げかけ、その責任を問う市民の権利を守ったことである。
しかし、この革新的な仕事をなしとげた著者のレイチェル・カーソンは、決して典型的な「エコ戦死」――その著書が刊行されたときにはまさ存在しなかった言葉だが――ではなかった。レイチェル・カーソン(はそれとは対照的な物静かな学究肌の女性で、動物学の修士号を持ち、20年間水生生物学者として米国政府機関に勤務した。何よりも、彼女は科学的事実を説得力ある叙述に融合できる、比類なき著述家であった。

死にゆく野生生物

偉大な影響力ある作品の多くがそうであるように、『沈黙の春』もきわめて個人的な動機をきっかけとして執筆された。1958年1月、カーソンのもとに友人オルガ・ハッキンズから1通の手紙が届いた。それは、ハッキンズが「ボストン・ヘラルド」紙で発表しようとしたものだった。ミシガン州の彼女の家に近い小さい島の保護域の近くで、DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)という合成化学物質と燃料油の混合物が空中散布されたことが記されていた。散布の翌朝、ハッキンズは彼女の家の家の敷地で数羽の鳥が死んでいるのを発見した。手紙には、これ以上の散布をやめさせることができる政府関係者をカーソンが知っているのではないかとの期待が記されていた。カーソンは怒りを覚え、友人の助けになろうと決めた。カーソンは10年以上前からDDTの無差別散布が野生生物を殺すという悩ましい事件が起こっていることを知っていた。すぐに『ニューヨーカー』誌の編集者E・B・ホワイトに連絡をとり、化学合成農薬の殺虫剤が標的の害虫以外の生物に及ぼす影響について紙面で取り上げたところ、編集者は、カーソン自身がそれについて書くよう勧めてきた。カーソンはしぶしぶ、彼女が「毒物の書」と呼んだその本のために、資料を集め始めた。それがのちに世間に衝撃を与えることになった。

殺虫剤の散布

DDTなどの化学合成農薬は戸外でも戸内でも使われた。DDTマラリアを媒介するカを減らす一般的な方法だった(今でも使用する地域はある)。

新しい政策

著名な科学者たちが、カーソンが見いだしたことを支持した。カーソンは1963年、ジョン・F・ケネディ大統領によって、証言をするよう議会の委員会に呼ばれた。彼女は環境保護のための新しい政策の必要性を訴えた。委員会はカーソンの本の内容をおおむね支持する「化学合成農薬の使用」と題する報告書を公表した。カーソンに刺激されて、環境保護運動の活動家たちは政府に対するロビー活動を続け、ついに『沈黙の春』の初版刊行から10年後の1972年に米国はDDTを使用禁止とした。他の国々もそれに続いたが、いくつかの国では今もカの駆除のために使用されている。
沈黙の春』の遺したものはDDTの禁止だけではない。それは、大企業と政府に、教養のある一般市民の力を見せつけたことである。