じじぃの「沈黙の春・先日見た蝶は二度と戻ってはこない?迷走生活の方法」

Rachel Carson - Silent Spring (1962)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iBVC3uXu4js

Rachel Carson

『迷走生活の方法』

福岡伸一/著 文藝春秋 2021年発行

沈黙の春 より

また4月14日が巡ってきた。福岡ハカセが、心から愛し、尊敬する科学者レイチェル・カーソンの命日である。享年56。
近くの花屋さんでカスミソウを買ってきて、花瓶に飾り、テーブルの上においた。その前に、カーソンの代表作、”Silent Spring”(沈黙の春)と”The Sea Around Us”(われらをめぐる海)を並べておいて、しばし黙祷した。カーソンの本は、文章もすばらしいのだが、なんといってもタイトルがすばらしい。私の一番好きな言葉、”センス・オブ・ワンダー”(自然に対する畏敬の念)も彼女の本のタイトルだ。
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カーソンは白い小さな花が好きだった。なのでカスミソウを手向けたのだが、かなうことならミルクウイードを飾ってあげたかった。ミルクウイードとは米国の草地のあちこちに自生している雑草だが、渡りをする蝶、オオカバマダラモナーク蝶)の食草としてつとに有名である。
彼女は死の直前、友人のドロシーと土手に座り、風に吹かれながら、その風に吹かれながら、その風の中を、見えない糸に引かれるように、次から次へとひらひらと漂いながら西の方へ飛び去っていくモナーク蝶を何時間にもわたって眺めていた。彼女はその蝶たちがもう二度とここへ戻ってくることがないことを知っていた。カーソンは後にドロシーへの手紙にこのように記している。
「今日の午後、そのことを思い出しながら、その光景がすばらしかったこと、彼らが帰ってくることはないだろうと話したときも、何の悲しさも湧いてこなかったことに気づきました。そしてほんとうに、生きとし生けるものがその一生の終わりを迎えるとき、私たちはその最期を自然の営みとして受けとります」
彼女は自分の運命を、自然の流れの1つの帰結として静かに受け入れようとしていた。
原書”Silent Spring”の中にはペン画の美しい挿絵が入っている。ハカセが好きなのは、渓流を泳ぐイワナの群れが、水面近くに飛んできたカワゲラ(餌となる水生昆虫)を見つけて、目を翻してそれを追う跳躍的なシーンを描いた1枚の絵である。ここに込められたカーソンの警告は、無制限に農薬を耕作地に大量散布することによって害虫を駆除することはできるかもしれないが、カワゲラのような自然界の小昆虫までもダメージを受け、それが川魚の生存を乱し、今度は魚を餌にしていた鳥たちにも影響して、生態系全体の動的平衡が大きく乱される。そして最後には、鳥のさえずりが途絶えた「沈黙の春」がやってくる、というものだった。
カーソンが亡くなったのは、1964年。ちょうど東京にオリンピックが来る年の春。長らくがんと闘病していた彼女は永遠に旅立った。オリンピックが再び東京に来るはずだった今年(2020年)、ニューヨークのタイムズスクエアも、パリの凱旋門も、そして銀座の歩行者天国沈黙の春を迎えている。目に見えないウイルスの拡散の連鎖が可視化されたことによって、人間が作り出した社会システムが機能不全に陥ってしまった。
カーソンが予言したとおり、システムのバランスを乱すことは一瞬でできるが、そこに再び平衡を取り戻すには途方もない時間がかかる。私たちは、もとの日常が戻る日を漫然と待つのではなく、別の生き方を考えるべき時に至っている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
神奈川の藤沢市から千葉の東金市に移り住んで12年経った。
住まいは東金市のはずれにあることもあり、周りに山林が少し残っていた。
朝はウグイスの鳴き声で目を覚ました。
ときどき、家のそばにタヌキがやってきたり、キジが田んぼにやってきた。
引っ越してきた当時は、よく夜明け前に散歩した。
散歩の途中でフクロウと出会ったのは驚きだった。
今年は、ウグイスの鳴き声は聞かず、タヌキもキジも見かけなかった。
先日見た蝶は、二度と戻ってはこないのか。

”Silent Spring”(沈黙の春)。

私もそろそろ、沈黙の春です。 (^^;;