じじぃの「科学・地球_243_生態学大図鑑・時空間における種の分布」

Introducing Alexander von Humboldt

動画 YouTube
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フンボルト 自然の諸相―熱帯自然の絵画的記述 (ちくま学芸文庫) 文庫 2012年発行

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フンボルト中南米探検行は6年の準備をかけ1799年に始まり、5年の歳月を費やした。
彼は、地形や気象、地磁気などを機器測定した科学者であると同時に、ゲーテとの交遊からうかがえるように自然を深く愛好する人でもあった。「長い乾季のあと…草原の情景は一変する」「爽やかな雨を告げるのは、遠くの雷鳴である」「大地の表面が水でうるおされるや否や、かぐわしく匂う草原は多種多様なスゲ科植物、円錐花序モロコシ類、多種多様な禾本科植物で覆われる」。自然の全貌を絵画のように描きだしたこの科学的エッセイは、新しい旅行文学としても人気を博した掌編である。図版多数収録。本邦初訳。

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生態学大図鑑』

ジュリア・シュローダー/著、鷲谷いづみ/訳 三省堂 2021年発行

自然の哲学研究は現在と過去を結びつける 時空間における種の分布 より

【主要人物】アレクサンダー・フォン・フンボルト(1769~1859年)

生物学的な群集と種の分布は、緯度、気候、高度、ハビタット(生息・生育場所)、隔離度、種の特性など、さまざまな要因に応じて変化する。種の分布の研究は生物地理学と呼ばれる。生物地理学はまた、分布パターンが時間の経過とともにどのように、なぜ変化するかも扱う。
初期の動物学者カール・リンネのような植物学舎は、種の分布には地理的な違いがあることをよく知っていたが、動物学のこの側面を詳細に研究したのは、1799年にフランスの植物学舎エメ・ボンプランとともにラテンアメリカへ旅行した、プロイセンの博学家でアレクサンダー・フォン・フンボルトだった。5年間の彼らの探検旅行は、植物地理学の土台を築いた。フンボルトは、その場での観察が何よりも重要だと信じ、精巧な道具を用いて動物と植物の種両方の綿密な記録をとり、そのデータに影響を与える可能性があるすべての要因について記録した。この包括的手法は、彼が描いたエクアドルチンボラソ火山の詳細をきわめて地図と横断図面に如実に表われている。

ウォレスの貢献

19世紀の博物学者の多くが生物地理学の知見に貢献したが、なかでもイギリスの博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスの貢献は抜きん出ていた。フィリップ・スクレーターによる世界の鳥類種の地理的分布についての報告を読んだウォレスは、鳥類以外についての同様の研究に着手した。彼はまず、大陸間をつなぐ陸橋の変化や氷河作用など、当時、関連が知られていた要因をすべて検討した。植生が動物の分布にどう影響するかを示す地図を作り、当時知られていた脊椎動物すべての科の分布の概要をまとめた。
ウォレスはその後6つの動物地理区を提案したが、それは現在でもほぼそのまま使用されている。新北区(北米)、新熱帯区(中南米)、旧北区(ヨーロッパ、北アフリカ、アジアの大部分)、エチオピア区(サハラ砂漠以南)、東洋区(南アジアと東南アジア)、オーストラリア区(オーストラリア、ニューギニアニュージーランド)であり、インドネシアを通る東洋区とオーストラリア区の境界線は「ウォレス線」として知られている。

プレートテクトニクス

ウォレスは化石の記録からいくつかの優れた発見をした。たとえば、初期の齧歯(げっし)類は北半球で進化し、ユーラシア経由で南米へ移動したというものである。その後、1915年にドイツの地質学者アルフレート・ヴェーゲナーが、南米とアフリカの両大陸はかつてつながっていて、それがバクなどの種の分布拡大をもたらしたという、当時としては過激ともいえる説を唱えた。
ヴェーゲナーは、種の分布は部分的とはいえ、地史の記憶であることを理解していた。種は条件の変化に応じて新たな地域に移入して定着するが、時間が経過すると新しくできた海や山脈などの障壁で分布域を隔てられる。今日では、人間がもたらす気候や環境の変化が加速して新たな障壁が生じつつあり、このような理解が、新しくて、きわめて重要な意味を持つようになっている。