Sustainable Development Goals explained with 3 useful tips | Environment SDG Sustainability
SDGsとは?進め方を紹介 ~企業経営への4つの活用方法~
2019年07月09日 i-common
●SDGs(エスディージーズ)とは?
SDGsとは、国連のSustainable Development Goalsの頭文字をとった、「持続可能な開発目標」のことです。2030年にどういう世界を実現したいかをまとめ、国際社会全体の目標として採択されたものです。
https://i-common.jp/column/corporation/sdgs/
ちくま新書 SDGsがひらくビジネス新時代
竹下隆一郎(著)
SDGsの時代を迎えて、企業も消費者も大きく変わろうとしている。ビジネスの世界は一体どこへ向かっているのか? 複眼的な視点で最新動向をビビッドに描く!
序章 SNS社会が、SDGsの「きれいごと」を広めた
第1章 SDGs時代の「市民」たち
第2章 優等生化する企業
第3章 「正しさ」を求める消費者たち
第4章 衝突するアイデンティティ経済
第5章 職場が「安全地帯」になる日
最終章 SDGsが「腹落ち」するまでに
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第1章 SDGs時代の「市民」たち より
SDGs時代を読み解くカギ
序章の最後では、スウェーデンの10代の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんについて考えてみた。彼女のような存在が自らのアイデンティティを賭けて、SNSで声を上げるのが現代社会だ。若者であろうが、シニアであろうが関係ない。政治問題だけでなく、消費者としても、企業の商品やサービスに対して声を上げる。品質、値段、デザインだけではない。環境や人権問題、ジェンダーなど、SDGsに関する企業側の「価値観」に対しても批判的な目が向けられる。ビジネスなどの経済活動において、企業と消費者側の「アイデンティティ」をめぐる動きが決定的に重要になる。それがSDGsの時代を読み解くカギなのだ。
もちろん、いつの時代も若者らは怒りの声を上げて社会を動かした。消費者運動にも長い歴史がある。1960年代から70年代にかけて盛り上がりをみせた学生運動で用いたチラシや拡声器が、ツイッターやインスタグラムなどのSNSに変っただけともいえる。「デジタル時代になって、誰もが声を上げられるようになった」。そんな言葉は読者も聞き飽きているだろう。
この章では、そういう視点にとどまらず、もっともっと深堀りしていく。声を上げる人たちを、「SDGs時代の市民」(以下、SDGs市民)と位置づけ、これからの企業と個人の関係を考えるうえで、大きなポイントとなる2つの点を検討することから始めたい。
「SDGs市民」からの「無限の視線」
まず1点目は、SDGs市民たちが企業に向ける視線が「無限である」ということだ。
「会社は社会の公器」という言葉があるが、企業は多くの外部の目にさらされる存在だ。たとえば、株主、メディア、消費者団体などがすぐに思い浮かぶ。最近だと、企業の不詳事の反省から、コーポレート・ガバナンスという言葉が広がり、会社の経営をチェックする社外取締役や監査の存在感が高まっている。金融庁や消費者庁など行政機関も企業を監視する。
加えて、SNSの普及によって、これまで想定していなかったような市民たちの「視線」が生まれた。どのような企業であっても、海の向こうの若者から、自社の商品について「環境に悪い」とツイッターで批判されることが、理論的にはいつでも起こり得る時代だ。女性を差別的に描くCMを流せば、スマートフォンで録画され、あっという間に国内外に拡散されて炎上する。こうしたことが日常茶飯事になり、あたかも無限に「視線」が増殖していくかのようである。「会社は誰のモノか」という議論が2000年代の日本で盛り上がったが、2020年代の今は、あたかも「会社はみんなのモノ」になったかのようなのだ。しかも「みんな」の範囲は、無限に広がる。
2点目のポイントは、そうした無限の視線を注いでくる「SDGs市民」が、どこの誰であり、いつ、いかにして声を上げのかがる分からないという点だ。SNSによって企業の行動が可視化され、多くの人たちから見られるようになった。それまで友達と美味しいカフェの話をしていた若者が、ツイッターで流れてきた企業の不祥事のニュースを知ったとしよう。瞬時に、そのことを本人がウェブサイトで調べ、突然声を上げるだろう。まるで株主などの「ステークホルダー(利害関係者)」のように、会社と対峙する。こんなことがあっさりと起きてしまう。あえて企業側の立場に身を置くとすれば、SDGs氏市民たちは”不気味な”存在だ。
企業はより公共的になっていくのか?
コンピュータの飛躍的な発展によってグローバル企業や大手企業を中心に、何万人、何百万人、何千万人単位のデータを保存して活用できるようになった。そうした大量のデータから人々の消費パターンを読み取って、企業はマーケティングに使う。コンビニは伝統的にPOSデータと呼ばれる仕組みを使って、一人ひとりの顧客の属性や購買行動を分析し、商品の仕入れや販売に役立ててきた。そうした大量のデータが、インターネットなどの発達によって使いやすくなった。このように「みんなのデータ」を手に入れることで、企業はより公共的になっていくのだろうか。
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これまで「公共的である」とは、ある意味、理論上のことでしかなかった。さまざまな手法を使って「みんなの意見」を聞き、できるだけ「みんなの利益」を考えて企業や政治が動く。ただ、そこからこぼれ落ちてしまう人もいただろう。実際、そういう人はなかなか可視化されてこなかった。ところが今では、網の目からこぼれ落ちた人が声を上げる。「あなたたち企業は、お客様であるみんなのためにと言っているが、私は『みんな』の中に入っていない」と言ってくるだろう。文字通り、全員が参加可能な「公共性」が企業に課せられている。このようなSDGs市民に対して、企業はどのように接していくべきなのか。
第2章では、アメリカを中心としたグローバルな動きを見せながら、企業がSDGs市民をはじめとした新しい消費者の声や動きに合わせ、彼女や彼らの「個人的な価値観」と向き合い、「優等生化」していく様子を見ていきたい。