じじぃの「ナチス・多くの人命を救ったK感染症!人類はパンデミックをどう生き延びたか」

Syndrome K: Documentary Trailer

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wB008vwd-LQ

ユダヤ人を保護していたファーテベネフラテッリ病院

第二次世界大戦中にユダヤ人の命を救った「K症候群」 ナチスも恐れた正体不明の“奇病”

2019.11.20 クーリエ・ジャポン
ローマ市内を流れるテヴェレ川の中州にティベリーナ島という小さな島がある。
この島にあるファーテベネフラテッリ病院にはかつて、「K症候群(K Syndrome)」という正体不明の病気の治療を受ける患者たちがいた。
聞きなれないけれども、どこか結核Koch Syndrome)を思わせる病気で、ナチス兵たちも感染を恐れ、K症候群患者が収容される病棟には近づかなかった。
ユダヤ人を救った知られざる歴史をイギリスの歴史雑誌「ヒストリー・トゥデイ」が伝える。
https://courrier.jp/news/archives/181907/

『人類は「パンデミック」をどう生き延びたか』

島崎晋/著 青春文庫 2020年発行

ナチス兵を退けさせた「人を殺させないK感染症」――1943年・謎の感染症・イタリア より

アムステルダムの隠し部屋で潜伏生活を送っていたアンネ・フランクが、ナチス・ドイツに身柄を拘束されたのは1944年8月4日のことだった。ドイツ北東部ベルゲン・ベルゼン絶滅収容所に入れられた彼女はチフスで命を落とす。劣悪な環境や栄養不足、過度のストレスなどが重なり、収容所内で感染症が蔓延していたのだろう。
だが、同じユダヤ人でも「ある謎の感染症」のおかげで命を救われた人々がいた。2020年3月15日付けのオンライン雑誌『クーリエ・ジャポン』が英国の歴史雑誌『ヒストリー・トゥデイ』に掲載された記事を紹介しているので、説明を補いながらその経緯を追う。
話の舞台はイタリアのローマ。イタリアでは国家主義団体ファシスト党の指導者ムッソリーニが1922年に政権を掌握してから独裁権力を強め、ナチス・ドイツと同盟関係を結んでいた。
そのためナチスホロコーストを開始すると、ムッソリーニも歩調を合わせるべく、16世紀以来のゲットー(強制居住区)にいたユダヤ人を「絶滅収容所」に移送させていた。
イタリア北東部のトリエステ郊外に設置のサンサッバ絶滅収容所には8000人のユダヤ人が収容されたが、連合軍によって解放されたときの生存者は1000人に満たなかった。処刑された者もいたが、ムッソリーニヒトラーほどは強い反ユダヤ主義の持ち主でなかったことからすれば、それ以上の数が強制労働と栄養不足で免疫力が衰えているところへ感染症でとどめを刺されたものと考えられる。
ユダヤ人の一斉検挙は1943年16日にローマ市内でも行われ、このとき連行された1200人のうち、連合軍に解放されたときの生存者は15人にすぎなかった。これには感染症の流行も関係するが、それ以上にホロコーストによる死者の激増を挙げなければならない。
同年7月24日のムッソリーニの失脚、逮捕・拘束からナチスによる解放、ナチスへの事実上の実権譲渡と、ムッソリーニの運命は急転落下することになった。ユダヤ人狩りホロコーストの実行もナチスの手で推進されるようになったのである。
当時、ローマ市内を流れるテヴェレ川の中州には、修道院が経営する「ファーテベネフラテッリ病院」が建てられていたが、10月16日を境として、そこには「K症候群」という正体不明の病気の治療を受ける患者たちが増えていった。
結核を意味するイタリア語と発言が酷似していることから、ファシスト党政権の軍警もナチス兵たちも感染を恐れ、K症候群患者が収容されている病棟には近づこうとしなかった。
実はそれこそ、医長ジョヴァンニ・ボロメオをはじめ、心ある医療スタッフや修道士たちの狙いで、K症候群はユダヤ人を匿(かくま)うために考案した偽りの病気だったのだ。皮肉にも「K」という名称はナチスの南部軍総司令官アルベルト・ケッセルリンクとゲシュタボ(国家秘密警察)のローマ長官だったヘルベルト・カプラーをもじったものだった。病院スタッフはユダヤ人を匿うだけでなく、院内にラジオ局を設けてパルチザンと連絡を取り合ってもいた。
だが、その病院にも一度だけピンチが訪れた。同年10月末、ナチス兵が病棟内の捜索にやってきたのである。
このときスタッフは冷静に対処した。まずは一般病棟を案内しがてら、K症候群患者の悲惨な病状を語って聞かせたところ、ナチス兵は捜索を切り上げ、そそくさと病院をあとにした。相手が生きた人間であればともかく、病気、それも不治の感染症ではどうにもならない。感染症はそれほどまでに恐れられていたわけで、恐怖心を利用した同病院の作戦は功を奏したのであった。

世界の歴史上、これほど多くの人命を救った感染症はほかに例がない。

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じじぃの日記。
ナチスによるユダヤ人大虐殺から多くの命を救った実在のドイツ人実業家オスカー・シンドラー
・命の危険をかえりみず多くのユダヤ人を保護していたファーテベネフラテッリ病院の3人のイタリア人医師。
・多くのユダヤ系避難民を「命のビザ」で救った元駐リトアニア領事代理、杉原千畝
こんな人たちは、「同調圧力」と無縁なのかもしれないなあ。